※本誌ネタバレ注意
※蛇柱の過去バレ注意
※まさかの成り代わり
※おばみつを見守りたい
※百合みもある(甘露寺かわいい)
※無駄に長い
※以上のことにご注意ください















わたしは知っている。地面にへたりこんで、わたしのことを恐怖と困惑の入り交じった目で見ているこの子どもは、口元をすべて包帯で隠したこの子どもは、幼き日の伊黒小芭内であることを。

「……っ、あー」

言葉が出てこない。突然こんな状況に立たされて頭が回らない。え、いやなんで?どこよここ。誰よりも戸惑いたいわたしは、恐る恐る周りを見渡してみる。
特に何もない。家の壁の横、木の中、地面の上。背後には……特徴的な髪色の炎柱。なんとも言えなさげな顔でわたしを見守っている。
そういえばわたしは両手を前に出した体勢であった。こわごわと手を戻して、手のひらを見てみる。薄汚れた手のひら。自分の姿を目線を落として確認する。高そうな着物。わたしの髪は長い。
記憶として覚えているのはいつものパジャマで布団に潜り込んだところまでだ。1月1日、令和二年がはじまってすぐのこと。お酒を飲みまくっていい気分で床に就いた。髪は2ヶ月前にショートにしたはず。
わたしは察した。この状況、場面。そしてわたしは。
あああああ神様恨みます。こんな修羅の修羅修羅な場面じゃなくてもっといいタイミングがあったはずでしょうに。

「……ご、ごめんなさい……お、おば、おばばば」

「……?」

「……お、おばない……」

おそらく直前にわたしが突き飛ばしたのであろう。無力にも座り込んだ小芭内は、ここで色の違う双眸を見事に丸くする。驚いている様子が手に取るようにわかった。
本来であればわたしはこのか弱くも勇敢な小芭内に向けて罵詈雑言を吐き出すはずだ。ジャンプで見た。これまでのわたしの所業からしてもそんなことはできやしないので、とりあえずは突き飛ばしたことを謝罪する。今のこの感情がもっと早く戻ってくれていれば、と、ここに来て後悔に近い気持ちが湧き上がる。

「……なまえ」

ふらつきながら立ち上がった小芭内は、包帯の中からぽつりと零した。わたしはわたしより身体の小さい彼に手を貸してあげようとする。
小芭内は大きな瞳でわたしを見遣る。

「……おれのなまえ、知ってたの?」

「……え、」

「もうだれも、呼んでくれないかと。思ってた」

んんん伊黒小芭内ー!!わたしは膝から崩れ落ちてしまい、健気な幽閉少年をビビらせてしまった。君!気をしっかり!などと背後の炎柱が慌ててわたしの身体を起こす。尊さとこれまでの罪の意識に殺られたわたしは腰が砕けていて、両手で顔を隠しながら消え入りそうな悲鳴を上げた。

「ヒェェェ……」

「……え、だ、大丈夫?」

「大丈夫……わたしなんかよりお前が大丈夫か伊黒小芭内……ごめんな目覚めるのが遅くてな……許してください許して……」

「あ、ああ、うん」

盛大に困惑しまくる伊黒小芭内、のちの蛇柱である。



目が醒めたらわたしは、伊黒小芭内の生き残った唯一の従姉妹だった。現世の記憶は1月1日の夜までで終わっているので、この一連の毎日は普通に考えると夢ということになる。日にちが日にちなので初夢である。縁起がよいのか悪いのか判断に困る。
わたしと小芭内はそのまま炎柱に保護されて、半生がやばすぎてマトモに生きていけないため鬼殺隊に入隊することを目標とした。お座敷ボーイだった癖に努力努力に努力を重ね、やたらと要領良くメキメキと実力を伸ばしていく小芭内に比べて、現世でもここでもぐうたら生きていたわたしの力なんてホント微々たるもので、あーイキって小芭内について行くのやめてどっか藤の花の家とかに引き取られて陰からサポートするのもアリだったかと考えの甘い自分を恥じた。
わたしが入隊前から鬼殺隊引退を考える間にも小芭内は呼吸を会得し自分に合うものに派生させと才能をズバズバ開花させてゆく。対してわたしは超絶一般人なのでダメダメのダメで、そもそも炎の呼吸が全然合わなくて(炎の呼吸が合わないのは小芭内も同じだったけど)、じゃあ何か自分にピッタリの呼吸を見つけられたかというとそんなことは全く無く。
気付いたら小芭内は蛇柱になっていて、わたしは鬼殺隊にも入れず小芭内の家政婦のような存在になっていた。

「なんで家事してんのわたし」

「姉さんは器量良しで料理も洗濯も上手い、いつでも嫁に行けるな」

「ほぼお前と同じ顔だよ」

従姉妹なのだが小芭内はわたしを姉と呼ぶ。家族がわたししか残らなかったから、わたしを姉と思うことで心の支えにしているのかもしれない。尊いの極意である。

「まぁ姉さんが嫁に行くなど俺が許さんが」

「シスコンも大概にして」

「……シスコ?」

「姉さん大好き行動を控えてくれってこと。良い嫁さん貰って穏やかに生きてほしい」

「穏やかに」

わたしの前では包帯を外す小芭内は、啜っていたお茶を置いてコテンと首を傾ける。横で干し柿を食べていたわたしは、あまりにも不可解そうな顔をする小芭内に胸を痛めた。小芭内の穏やかな日常の可能性を奪ったのはわたしたち伊黒一族である。失言だったかと目をそらす。

「分かるだろう、無理なんだよ姉さん。俺も姉さんも、ここからは動けない」

「……」

「しあわせは俺たちの血を避ける」

「……」

小芭内は悲しげに顔を伏せた。小芭内は死んだ親戚50人にしあわせを阻止されていて、わたしは生きた小芭内ひとりにしあわせを阻止されている。
まぁ、わたしに関しては嫁も何も相手の候補もいなけりゃ縁談の宛も全く無いんですけどね。まだ出逢っていないが小芭内には甘露寺蜜璃という天女がいるので。小芭内が拗らせて束縛クソ彼氏面(付き合うつもりはない)をしはじめる前に彼の自己肯定感を高めてあげなければいけない。わたしが小芭内の姉だというならばここは意地でも矯正せねば。それが恐らく伊黒一族を代表してわたしが成すべき贖罪だ。
空いた湯呑みに茶を注ぐ。

「わたしがもっとちゃんとしていればこうなってなかったよね」

「ちゃんとって?あの家の中で、姉さんひとりが抗ったところで第二の生贄になって終わりだったろう」

「確かにそうなんだけど、そうなんだけどー」

もっと上手く出来なかったかと、後悔は今まで尽きることはない。醒める前のわたしは生まれたときからの洗脳状態にあったので、抗う可能性すら思いつきはしなかった。日に日にやせ細る小芭内を生贄と思って見ていた。蛇鬼と同じ顔にと口の端を割かれた小芭内を生贄と思って見ていた。醒めるまで、生贄の名前を思い出しすらしなかった。
わたしはここに留まったままで全く構わない。けれど被害者である小芭内はやはり救われなければならない。ほろりと涙がわたしの目から落ちる。散々痛めつけられた経験から人の痛みが分かる小芭内が、わたしの涙を見て痛々しげに眉を寄せる。鏑丸がわたしの頬をちろりと蛇の舌で舐める。

「すまない、傷付けたかったわけではないんだ」

「分かってるよー。助かったのに、生きてるのにこんな気持ちじゃ悲しいよ、ねえ。小芭内頑張ってるんだから自信持って、死んだ親戚どもなんて無視して陽の光浴びて真っ当に生きてよー」

「そんなことしたら姉さんがたった独りになる」

「わたしのことはいいよ気にしないで、小芭内は小芭内のことだけを考えて」

「悲しいことを言わないでくれ。俺は君の家族を殺したんだよ。忘れないで。俺は君の怨敵なのだから」

「あああ何もかも上手くいかねー!」

怨敵と怨敵が姉弟ごっこはさすがに笑う。お互いにドロドロで原油みたいな色した沼から抜け出し方が分からない。姉相手に束縛クソ彼氏面かましてんじゃねぇぞこのネチネチ蛇野郎が。
ああー甘露寺!はやく君に会いたい!



思ったより甘露寺との出会いは早かった。炎柱こと煉獄杏寿郎が継子である彼女の交友関係を気遣い、数年前に交流のあった女性であるわたしに甘露寺蜜璃の友人になってくれないかと頭を下げに来たのだ。わたしはもう是非ともお願いしますとこちらも何度も頭を下げまくった。お茶をお出しして更に最中と芋ようかんまで出して大歓迎の気持ちを表現した。そうしてわたしにも同性の友人ができたわけである。

「お邪魔しまーす!」

「いらっしゃいどうぞどうぞ甘露寺ちゃん〜」

「いつも頂いてばかりだから、今日は私がお菓子をたくさん買ってきたの!伊黒さんはみたらしのお団子が好きだったわよね」

「そうねぇ、ありがとうねぇ」

孫が里帰りしてきた婆さんの気分である。ふたつの風呂敷に分けられた大量のみたらし団子を示され感謝を述べる。
草履を玄関で脱いでから、甘露寺ちゃんは荷物を持ったまま台所へと向かう。何度も遊びに、というかお茶しにきているので、訪問からの流れができている。甘露寺ちゃんがみたらし団子をお皿に乗せて縁側に運び、わたしはお茶の準備をして縁側を目指す。

「蛇柱さまは今日もお仕事なのね」

「そうなのほんと機会が合わない奴で」

「いいえ!いいのよ、ただ伊黒さんと仲良くさせていただいているからご挨拶をしたいなって」

「真面目でええ子じゃ……」

「そ、そんな褒めないで、恥ずかしいわ!」

団子を片手にパタパタと赤らんだ顔をもう片手で扇いでいる。恋の呼吸は既に取得済みのようで、わたしが甘露寺ちゃんを上げる度に彼女は胸をときめかせて顔を紅潮させている。可愛らしいが逆に大変そうでもある。
恐らく甘露寺ちゃんが蛇柱こと小芭内と出逢うのは彼女が柱になってからだろう。そのあたりいい感じに原作との兼ね合いが取れている。わたしとしても甘露寺ちゃんに小芭内のステマが出来る時間が増えて万々歳だ。しかしこのみたらし団子美味しいな。

「甘露寺ちゃんは可愛いねぇ。鬼殺隊に入って結構経ってるでしょう?いい感じの人とかいないのかしら」

「ん、い、いい感じ、というと!?」

「甘露寺ちゃん、添い遂げる殿方を探しているのでしょう。いいわねぇ華やかで。進捗を教えてちょうだいな」

ネチネチとしたOL感ある絡み方をしてしまう。わたしも伊黒家の女なのでネチネチはもはやお家芸なのである。
進捗……と数秒押し黙った甘露寺ちゃんは、お団子を5本くらいもぐもぐしてから首を傾けた。この行動からして今のところ誰ともフラグは立ってないと見受けられる。良かった、小芭内と出逢う前から甘露寺ちゃんに良い人がいるなんて大惨事にならなくてよかった。出逢う前から大失恋は目も当てられない。

「うーん、どうなのかしら?キュンとしはするのだけど、そこから先がどうにも分からないのよ」

「ピュア〜〜〜〜〜〜」

「え!?な、なに?」

「いえ、純情で可憐で甘露寺ちゃんらしくて素晴らしいと思っただけよ」

「い、伊黒さぁん……」

カタカナ語を出すのはやめないといけないのについつい口をついて出てしまうのはオタクなのでもう仕方なかろう。
そしてわたしも伊黒家の女なので息をするように甘露寺ちゃんをベタベタに褒め倒してしまうのもきっとお家芸なのだと思う。確かに彼女は(私を含め)今までの女と全然違うから、小芭内が甘露寺ちゃんに惹かれ惹かれてどっぷりホの字になるのも心の底から理解できる。賛辞に照れる甘露寺は女神であった。推しカプ、おばみつ。

「誰か良い人が現れたら教えてね」

「は、はい!……あ、代わりといってはなんだけど、伊黒さんもキュンとすることがあったら私に知らせてほしいの」

「……あら、何故?」

「伊黒さんほど清楚な方がときめく殿方なんて、とてもとても素敵に決まっているわ!恋する気持ちを共有するのはすごく楽しそうだと思うのよ。私、こんな髪と身体だから、あまり恋のお話をしたことがなくて。伊黒さんと一緒にお話できたら嬉しいわ」

「……甘露寺ちゃん……」

こんな髪と身体どころか、こんな血と罪であるわたしが甘露寺ちゃんと同じ土俵に立とうとしていいのだろうか。真っ直ぐ向けられた女の子のキャッキャウフフに身体がもぞもぞして身動ぎをしてしまう。嫌だったらいいのよ、と甘露寺ちゃんが慌てて付け加え、わたしは嫌なわけではないことを伝える。

「けれど、その、わたしもあまりそういう話をしてこなかったものだから。どうしたらいいのかなって」

いつの間にかあの大量のみたらし団子を食べ尽くした甘露寺ちゃんが、わたしの無駄に長い髪に軽く触れながらふんわりと笑む。あ、わたし甘露寺ちゃんに落ちるかもしれない。小芭内すまん、他ならぬわたしが甘露寺ちゃんに恋をしそうだ。

「伊黒さん、キュンとするのはとても簡単なのよ。好ましいなと思った人をよく見て、どうしてこんなことしてるのかなって考えて、その優しさや覚悟、強さに思いを馳せたら自然と胸が狭くなるの。胸が狭くなって、息が上がって、身体が熱くなって、なんでも出来ちゃいそう!って気持ちになるのよ」

「……それが恋の呼吸か……」

「呼吸の話になってしまってごめんなさいね。けれど、誰だって胸がときめくことはあるはずよ。怖がらないで、その心臓の運動を受け入れてね」

「甘露寺ちゃん、わたしを恋の呼吸の使い手にしようとしてる?」

「まさか!でも一緒にお稽古できたら楽しそうだわ!」

現世からの根っからの芋女であるわたし、恋の呼吸の可能性なんて全く考慮してなくて頭を悩ませてしまった。理解できたら良いとは思うが、そんな都合よく使えるようになるのだろうか。ほら、伊黒一族の女だから胸も尻も希望もぺったんこなもので。



甘露寺ちゃんは恋柱となり、伊黒小芭内と出逢って伊黒小芭内はかわいいかわいい甘露寺ちゃんに人生最大の一目惚れをぶちかました。よし、ならそのままどっちかが告白して穏やかに人生添い遂げて無惨戦離脱してくれと願うが、やはりそこは甘露寺ちゃんと小芭内なので仲が進展することもなく(文通はしているようだ)、たまにご飯を共に食べに行く程度の仲で留まっている。
ある日の小芭内は何があったのか、甘露寺ちゃんからの文を右手に左手を額に添えて考える人のポーズを取っていた。尊さに殺られている人のポーズともいう。尊さが天元突破すると、人はこのような格好をしてしまうものである。

「姉さん……姉さんは誰かを好いたことがあるか。甘露寺が、甘露寺があまりにも愛らしく筆舌に尽くしがたいのだが」

もう声が恋煩いそのものであった。いやほんともう…それそのまま甘露寺ちゃんに伝えな?って気持ちである。伝えたところで甘露寺ちゃんのキュンを超えられる保証はないけれども。わたしは布団を運びながら答える。

「あるわけないでしょう、あんたがセコムしてたくせに。甘露寺ちゃんが好きなら本人に好きと言いなさいよ」

「言えるわけないだろ!俺はこんなんだぞ!」

「こんなんって言うけど、甘露寺ちゃんは人を見た目で判断なんてしないのよ」

「知った口をきくのはやめてくれ姉さん、百歩譲ってそうだとしても、だからといって俺がしゃしゃり出る理由にはならん」

いや、いやいや既にめちゃめちゃしゃしゃり出てますけど。わたしは小芭内に甘露寺に近付くなと無駄な威嚇を受けた隠さんのことを思い出してため息を吐く。近付くなも何も、近付いてお世話するのが仕事なのにどうしろと、って隠さん泣いてた。
問題なのは小芭内が勝手に自責を拗らせて、甘露寺が好きだ…しかし甘露寺と付き合うなんてとてもとても畏れ多い…しかし甘露寺が俺以外とイチャつくのは大変腹立たしいムカつく…オイお前甘露寺と以下省略と面倒臭い男になってしまったことである。この日が来てしまうことをわたしは予感していた(原作読んでるしね)。正面から小芭内にお前もしあわせになれ、そろそろ償えただろう、伊黒の親戚たちもみんな良いよって言ってるなどと口にしたところで絶対受け入れやしないので、わたしは良心を痛めながら言葉にする。

「甘露寺ちゃんもね、小芭内のことは憎からず想っているそうよ」

「嘘をつくな」

「即答かよ。少しは姉さんを信じてよ」

「甘露寺は、俺を分かってないんだ。姉さんからも言ってくれ、俺は甘露寺には相応しくない屑なのだと」

「それ普通にわたしも甘露寺ちゃんと仲良くしてちゃいけない屑ってことになるけど」

否定はしないけど。瀉血でもしまくらない限りはわたしたちに流れる血潮は伊黒のものから変わらないので。あんな汚い罪深い人間の残りカスが、甘露寺蜜璃に並ぼうだなんておこがましさの極みである。

「まぁそうなるな」

小芭内も肯定する。姉さんは違うよなどとフォローをしてはくれない。わたしたちは一蓮托生なのである。ネガティブな動機で共に生きている。
布団を敷きながら考える。こんな話をしておきながらも今すぐ甘露寺ちゃんに会いたい。キュンとするわけではないけど、甘露寺ちゃんの笑顔を求めてやまない。

「良くないと分かってて甘露寺ちゃんから離れられないのはわたしも小芭内も同じなのよね」

「甘露寺は、太陽のようだ」

「わかる。しんどい」

我々伊黒の生き残りにとって、甘露寺蜜璃は太陽なのであった。小芭内はもちろんのこと、わたしだって甘露寺ガチ恋勢である。甘露寺ちゃんが望んでくれるなら。けれど甘露寺ちゃんの運命の人はわたしじゃない。つらいけど否めない。分かりたくもないのさ……。
そもそもわたし、この時代の人間じゃないしな。中身だけだが文字通り住んでいた世界が違う。血がどうの罪がどうのの前に選択肢にすらあがらない感じ。それなら大切な人と好きな人にしあわせになってもらって、ほのぼの穏やかストーリーを眺めてただただほっこりしたい。

「あんたらをくっ付けることがわたしの人生の命題なのよ……」

「な、なん、……何故?」

「わたしが甘露寺ちゃんを好きだから」

「お、俺も甘露寺を好ましく思っている!」

「だからそれ甘露寺ちゃんに直接言えよぉー」

「無理に決まっているだろ!!」



鬼から逃げる。逃げる、逃げる。継子だった時期もあったはずなのにわたしなんでこんなに足が遅い?カランコロン鳴るオシャレな下駄では鬼のスピードにすぐに追いつかれて、わたしはつんのめりお野菜の入ったカゴを取り落としてしまった。

「あー大根が」

言ってる場合か。逃げている間に全然人のいないところに誘い込まれてしまっていて、わたしは最期を覚悟する。
思えば不思議な人生だった。特に何を成せたわけでもなく、何を成す資格があったわけでもなく、贖罪は全然上手くいかなくて、何がなんだかずっとよく分からなかった。生きるとは。
死ねば良かったなんて思ったことは一度もないけど、生きてて最高と思ったこともなかった。小芭内と同じような呪いのかかったわたしでは彼の自己評価をあれこれすることはできなくて、わたしはここで失意のままに鬼に食われようとしている。
走馬灯が一通りの再生を終えた。あばよ、鬼滅の刃……と天を仰ぐと、ひらりと翻る黒白の羽織りが。

「姉さん!」

颯爽とわたしを助けて小芭内は鬼を一太刀で滅してしまった。わたしは、情けなくも地面にへたりこんだわたしは、小芭内が背負ってきて抱え込んでいたものを今このときに真に理解出来た気がした。差し出された手を取ることが出来ず怯えた態度を取ってしまう。小芭内が不思議がって首を傾ける。

「……姉さん?どうした、足を挫いたか」

「……」

死を覚悟したとき、わたしの走馬灯は座敷牢の中からわたしを眺める幼き日の小芭内を映し出した。わたしは何もしてやれなかった。意図して名前を忘れていた。わたしも我が身が恋しかった。生きたいのはみんな一緒だという当然のことすら思いつかなかった。
鬼に食われることはとても恐ろしい。かなり痛いだろう。かなり苦しいだろう。それよりも自分という存在がなくなってしまうのが辛い。死んでしまうのだから当然だけど。その恐ろしい想いに小芭内は生まれてからずっと晒されていたのかと思うと気が狂いそうだった。わたしに今、差し出された手のひらは、当時の華奢さが嘘であるかのように逞しい。蛇柱だからか蛇の身体のようにその手がひんやりしていることを知っている。
いつかのあの日のようだった。本当に自分たちしか伊黒家は残らなかったのだ。もうあの蛇鬼はいないし、わたしたちは好きに生きていいはずだった。

「姉さん、安心してくれ。俺が鬼は全て殺すから。さぁ、野菜を拾おう」

「……小芭内」

「楽に死ねると思うな。姉さん、泣くな、泣かないで。俺は柱になれて、甘露寺に逢えて、姉さんを、家族を守ることができて嬉しい」

かつて自分が生きるために自分の親戚50人を見殺しにした人間が、今度は家族を守ることが出来たと目元で笑みを浮かべている。そろそろ解放してあげてもいいんじゃないの、ねぇ、小芭内。呪詛を吐くはずの口で、わたしは小芭内へ、謝辞を。

「ありがとう小芭内。あなたがいなければわたしは死んでいた。ありがとう、そして、今までごめんなさい」

「……もう、いい。君も辛かったのだと分かっている」

「あなたが生きていてくれて良かった」

「……生き、」

蛇柱が目頭を押さえる。おっ、心に届いている!

「諦めずに生き続けてくれてありがとう」

「……俺は、生きて良かったのか」

「当たり前でしょう。小芭内、わたしの大切なおとうと」

「許してくれるのか」

「最初から、あなたを憎んでなんてない。自分で自分を許してあげて。それだけがわたしの望みです」

「……そう、だったのか」

解呪にあまりにも時間をかけてしまった。肩の荷が降りたかのように、スっと身体が軽くなった。このまま自分は消えてしまうかと思われたが、小芭内に手を取られたことでふわついた身体が地に戻る。
小芭内はハイライトを取り戻し……はしてないけれど、幾分か生気のこもった瞳をわたしに向けている。その視線がつぅ、と地面に移動した。転けたことで汚れたわたしの着物を見て眉を寄せて息を吐く。
わたしは思い出したようにカゴを拾って野菜を集め始めた。程なくして小芭内が加勢してくれる。

「だとしたら、俺は、姉さんに……君に、とんでもないことをした」

「えっ、何?」

もごもごと告げられてびっくりした。初耳であり寝耳に水である。なんだ、風呂に入ってる間にクリアアサヒを飲まれでもしたか。家で冷えてるやつ。大正時代にクリアアサヒは無い。
人参を拾いながら小芭内は不自然に目線を逸らす。そんなことされたら深追いしたくなる。わざとらしく小芭内の視界に割り込むこと数分。

「……俺は勝手に、君を共犯にした」

玉ねぎをカゴに入れながらついに小芭内は白状した。そんなことかとわたしは笑う。実際共犯であるからして。

「いいよ、別に」

「それだけじゃない、君宛の縁談を俺はいくつも破談にした」

「なんてことしてくれたんだお前は」

「君が俺といてくれるのは、きっと俺が憎くて憎くて仕方がなくて、死ぬまで、否、死んでからも呪うつもりでいるからだろうと考えていたんだ。君が嫁に行ってしまえば、君が俺に向ける執着が薄れてしまう。君の……家族の、関心が、俺から離れてしまうのが、怖くて」

ぽつりぽつりと語られる。帰路につきながら小芭内のめちゃくちゃにされた情緒をただただ聞く。小芭内にはまともな家族がいなかったから、普通に家族から向けられる親愛の情のようなものが、きっと分からないのだろう。愛すことはできても、愛されることができないのだ。
わたしの弟を想う気持ちすら穿った見方をされていたのはちょっと、いや、だいぶショックではあったけれど。

「結婚しても、一緒に住まなくても、家族は家族よ」

「世間一般ではそうらしいな」

「従姉妹でも再従姉妹でも、お互いに家族だと思うのならばそれはきっと家族よ」

「……離れても?」

「離れても」

「…………そうか」

それから帰りつくまで無言だった。屋敷に着いてご飯にしてお風呂にして、おやすみ、と声を掛けても小芭内は上の空だった。



「姉さん」

「んー?」

「……か、かか、かんッ……かんろ、甘露寺と」

「ど、どうした落ち着いて。お茶飲む?」

「……いや、大事無い、すまない。……甘露寺と、……じ、神社参りに、行くことになった」

「………………そっか!」

よもやお付き合いしますとか婚約しましたとか言い出すのかとちょっと期待してしまった。さすがにネガティブを多少改めたからといっていきなりそこまで話を進めることはできないか。
殊更明るく答えたわたしは、鏑丸と揃ってソワソワとしている小芭内を縁側に座らせてから話を改めて聞くことにする。今更であるが、蛇柱のお屋敷の日本庭園は風光明媚で実に風流であると評判だ。枯山水が素晴らしいのだという。案外雅マンであった小芭内の趣味である。よってわたしたちはことあるごとに縁側に並んでお庭を眺めているのであった。

「神社参りがどうしたのよ。いつもご飯に行ったりしてるじゃないの」

「……飯に誘うのは記念や礼に俺が奢ってやるという名目があるが、今回はただただ目的もなく神社を参ろうという流れでな。しかも甘露寺が……ッ、甘露寺からの提案で、」

「ヒュー!やるじゃん甘露寺ちゃん!」

「俺は!俺はどうしたら……?俺に金を出しもせず甘露寺の横に並べと……!?」

「めんどくっさ!前後にでも奢ればいいじゃん」

「しかし今回は食事はしたくないのだと甘露寺から言われていて……」

「じゃあ神社の神様に賽銭奮発したら?甘露寺とイチャつかせてくれて感謝って」

「い、イチャ、……甘露寺がそんな気持ちでいるはずが」

「甘露寺ちゃん本人に聞いてもないのに勝手にネガティブ変換するなってー」

小芭内の悪い癖である。ぐ、と言い淀んだ小芭内はもにょもにょと納得いかなさげに言葉を口の中で反芻している。ちょっと考え方が根暗なくらいなら構わないのだが、たまに致命的なすれ違いを起こしてしまうからな。我々のように。
というか、実際甘露寺ちゃんは確実に小芭内に気持ちが傾いていると思う。絶対縁結びのとこ行くでしょ、隣の人とお付き合いできますようにとかお参りするでしょ。リア充か?陰キャに対して超絶可愛く美しい甘露寺ちゃんを譲ることを未だにわたしは納得してはいない。男に生まれていたら絶対甘露寺ちゃんはわたしが頂いていた。……などとわたしが思えば思うほど、小芭内の甘露寺ちゃんへの入れ込み具合を察する羽目になる。

「俺は、俺は何を着れば」

「え、いつもの隊服でいいじゃん」

「靴は?」

「いつものでいいじゃん……持ってないでしょそもそも」

「公私の区別も付けられない屑だと思われはしないか」

「めんどくさいなー!わたしの着物でも着ていくか!?」

「それは御免こうむる」

スパッと断られてわたしはむくれる。サビなので何度も言うが、甘露寺ちゃんは見た目で相手を判断しないので小芭内の心配は杞憂でしかない。

「お土産は洋菓子でいいわよ」

「かすていらとかか」

「それもよし」

「甘露寺にも買おう」

「ナチュラルに貢ぎ体質だよね」

「誰が生まれついての貢ぎ物だ」

自分そのものが生贄だった人物はさすが言うことの重みが違う。軽くネタに出来る程度には吹っ切れているらしい。
すくっと立ち上がった小芭内はいそいそと自室へと戻っていった。その背中の滅の字を見送ってから、わたしはふと気付いた事項を小芭内に伝えに廊下を駆ける。

「小芭内、甘露寺ちゃんに今日作ったあん団子持って行って!」

わたしも人のこと言えないレベルで貢ぎ体質なのであった。
後日、お茶しに来た甘露寺ちゃんは柏餅を持参してくれた。桜餅も好きだが柏餅も好きらしい。

「伊黒さんたらね、お賽銭箱の中にお札を20枚も突っ込んだのよ!」

「もう神をも買収だね。金には困らないからね柱は」

「私びっくりしちゃって。そこまでして叶えて欲しい願いごとって何かしらね!」

「さぁ、案外意中の相手と縁を結んでほしいだなんて可愛らしいお願いかもしれないわよ」

「真面目な伊黒さんに限ってそれはないわよ!……私は、その、その通りだったのだけど……」

「……だからそれさぁ〜」

お互い直接言えよ本当。