No.50




「トラファルガーの船が島を出たそうだよ。」


もう、会えない。
本当に……もう会えなくなった。

弟を守れたことに安堵しているはずなのに、こんなにも絶望が胸を支配する。

大丈夫だよ、ヴィスナー。これで良かったって、ちゃんと思ってる。
分かっている。だから、こうして此処に来たのだから。
ただ、胸の奥が痛くて痛くて仕方がないだけ……。

−−

椅子に座って海を見ていた。

いつの間にか、高い位置にあった太陽は赤く色づいて、何をそんなに急いでいるのかと思うくらいの速さで海の向こうへ沈んでいく。

また、故郷に帰って、一人で生活するのか。
日が暮れても、食事を作っても、誰も帰ってこない生活。
また、慣れるまで眠れない日が続くのだろう……。

外が薄暗くなったせいで、窓ガラスに私の影が薄く映る。
いつもに増して生白く見える自分の顔、目の下にはくっきりと隈があった。
思わず立ち上がって、窓に映る自分の影に手を伸ばす。

……キャプテンとおそろいだ。

ふふっと少し笑って窓に映る目の下を指でなぞる。
再び、椅子に座って目を上げると、窓ガラスにもう一つ人の影が浮かんでいた。


白い帽子に、黒と黄色の服。片手には身長より長い刀の影。

目を見開いて見つめると、窓ガラス越しに影の人物と目が合った。
昨日から、この姿ばかり頭に思い浮かべていた。
ついに、幻覚まで見えるようになったのか……それとも。


「夢?」

「……へえ。お前の夢はこんなにリアルなのか?」


聞こえた声に勢い良く立ち上がって振り向く。
……幻覚じゃない。……夢でもない。
本物のキャプテンが立っていた。


「キャプテン……なんで?」

「なんで?……そうだな。……少し忘れ物を、な。」

「……だって……だって……船はもう出たって……。」

「島で一番高い建物の最上階に、大事なモンを忘れたから戻ってきたんだよ。」


キャプテンが、少し笑って肩を竦めてみせた。


「ああ。あと、お前にも忘れ物を届けに。」


拳を私の目の前に突き出し、静かに手を開く。
開かれた掌から、ソファーに置いてきたはずのネックレスが零れ落ちた。
ぶら下げられたネックレスを受け取ることが出来ずに立ち尽くしていると、キャプテンが困ったような顔を向けた。
そして、自らネックレスの金具を外し、私の首の後ろへ両手を回した。


「なぁ、約束しただろ?連れて行くって。……俺を嘘吐きにさせないでくれ。」


私の首の後ろに手を回したまま、私の額に自分の額を合わせてキャプテンが話す。
それでも私が返事を出来ずにいると、彼は首に回していた手を滑らすように下げ、私の手を取り片膝を付いた。

私の手の甲にキスを落とし、手に軽く唇を当てたまま口を開く。


「悪いな。俺に……攫われてくれ。ハル。」

「っ……やめてくださいっっ!!」


慌ててかがんで、キャプテンの腕に手を添えて立たせようとする。


「そんな、私なんかに膝なんて付かないで下さい。」

「ククク。いいじゃねえか。お姫様を攫ってく心境なんだ。こっちは。」

「勘弁してくださいよ……ただの漁師の娘です。私。」


私に跪いたキャプテンに困惑して慌てる。
愉快そうに笑ったキャプテンが、目線を合わせかがんでいる私を抱きしめた。

少し消毒の匂いが混じったキャプテンの香水の香りがする。
1日会わなかっただけで、こんなにも懐かしい香り。
思わず彼の胸に鼻を押し当て、腰に手を回した。


「……来てくれるか?」


耳元で甘く響く彼の低い声に、迷うことなく頷いた。
背中に回ったキャプテンの腕が少し苦しいくらいに私の体を締め付けた。


「もう……離さねえ……。」


その言葉に応えるように、私も彼の腰に回していた腕に力を込めた。


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