No.51




ずっとこうしていたかった。
キャプテンの腰に手を回したまま動かないでいると、キャプテンが腕を緩め少し体を離した。


「悪い、ハル。実はそんなに時間がねえんだ。」

「そうなんですか?」

「急いでたからな……面倒臭くなって途中何人か……あー、じきに人が来るんじゃねえか?」

「……そっか。じゃあ、1分待ってください。」


ライティングデスクの引き出しを開け、ホテルのロゴが入っているレターセットを取り出した。
デスクの上の万年筆を取り、ヴィスナーに当てて手紙を書いた。


「何書いてんだ?」

「弟に置手紙です。黙って出て行く時、家族には、残しておくものでしょ?」

「ほう。うちの船にはレシピの束しか見当たらなかったな。」


厭味を込めた声色で話すキャプテンにクスリと笑ってみせた。


「でも、ちゃんと通じたじゃないですか。」


ふん。と鼻をならし、ペンを滑らす私の手元を覗き込み、口角を上げたキャプテンは、黙って入り口に歩いていく。
書き終えた便箋を部屋の真ん中のテーブルに置き、大きくて重たいガラスの灰皿で角を押さえた。


「おまたせしました。」


ドアに寄りかかっているキャプテンに近づく。
刀を持たない手を差し出され、その手に自分の手を重ねた。


「行くか。」

「はい。」


にやりと笑う彼を笑って見上げる。
ヴィスナーとは違う、大きくて長い指の手に握られて、豪華だけど寂しい部屋を後にした。

−−

非常階段を駆け下りて、ホテルの裏口から外に出た。
確かこのホテルに入った時には、通路の角々に警備員が立っていたはずだが、出るまで誰にも会わなかった。
ホテルを出てからは、以前ペンギンさんに絶対に入ってはいけないと言われたような細い裏道を通り、繁華街とは逆方向に向かっていた。


「ハァ、ハァッ……キャプテン……どこに……?」


船の停泊場所があった森とは逆方向に走るキャプテンに声を掛けた。
キャプテンは私に合わせて走ってくれているらしいが、足の長さが違う。足がもつれて何度も転びそうになっていた。


「ハル、大丈夫か?もう少し頑張れ。」


足を止めて私を振り返るキャプテンに頷く。
その時、遠くから「いたぞ!!」と叫ぶ声が聞こえた。
声のした方を見ようと顔を上げると体が宙に浮き、キャプテンに抱き上げられたのだと分かった。


「キャ……キャプテン。」

「しっかり掴まってろ。」


片手で子供のように抱き上げられ、キャプテンの首に手を回す。
私が掴まったのを確認したキャプテンは、今までとは比にならないくらいの速さで走り出した。
キャプテンの肩越しに、海兵が何人も走って追いかけてきているのが見える。
追いかける私たちとの間が縮まらないのに痺れを切らしたのか数人が此方に向けて銃を発砲してきた。


「銃はやめろ!!人質を傷つけるな!!」


知っている声に目を凝らすと、海兵たちの群れの中に白いロングコートを翻したヴィスナーを見つけた。


「トラファルガー!これは誘拐だぞ!!」


ヴィスナーが此方に向けて叫ぶ。


「……姉さんっ!……姉さんっっ!!」


泣き声のように裏返った弟の叫び声に、思わずキャプテンの肩口に顔を埋めた。
今は、ヴィスナーの顔を見るのが辛い。
いつの間にか変わった周りの景色の変化に気付き、振り向いて前を見ようと顔を上げた。


「前は向かねえ方がいい。」


キャプテンの声に、進行方向に向けようとしていた視線を彼の顔に向けた。

振り向かなくても分かる。
だって、少し前から私たちの左右には切り立った崖しかない。
さっきまで土と草しかなかったキャプテンの走る足元も、今はごつごつした岩と砂利になっている。
だんだん左右の崖が近づいてきて、自分達が細い部分に向かっているのがわかった。


「そこまでだ。」


きっと、崖のその先はない……という所でキャプテンの足が止まり、後ろからヴィスナーの声がした。
キャプテンは振り向かない。


「おとなしく、姉さんを寄越すんだ。」

「悪いな。ハルの弟の頼みでも、そればっかりは聞けねぇ。」


キャプテンが、軽く振り向きヴィスナーに返した。


「姉さん……。」

「ヴィスナー……ごめんね。」

「トラファルガー……お前、こんなことしてただで済むと思うなよ……。」

「クク。追われるのが怖くて海賊稼業なんてしていられないんでね。」


低い声で話すヴィスナーに、飄々とキャプテンが返す。
じりじりとヴィスナーが此方に近づいているのが分かった。
キャプテンが「飛ぶぞ。」と囁いた。


「怖いか?」


横目で私を見たキャプテンに首を振る。


「クク。上等。」


にやりと笑ってキャプテンが返す。
本当に、不思議と全然怖くない。


「……けっこうな高さだ。最後に言い残したことあるか?」


笑ったままキャプテンが言う。
そんな事、露ほど思ってないくせに。でも、崖から飛ぶんだから普通なら死を覚悟する状況だろう。
これが最後だとするなら、私が言い残したこと……あるとするならそれは……。


「キャプテン、あなたが……好き、で……」


最後まで言い終わらないうちにキャプテンに唇を塞がれていた。

トン。と軽くキャプテンが踏み出したのが分かり、次の瞬間内臓が浮き上がるような感覚がして、自分が落ちているのが分かった。

スローモーションのように落ちながら、差し込まれるキャプテンの舌に自分のそれを合わせた。
擦り合わせるように絡みつく舌に、そこから熱を帯びていくようで、緊張で冷たかった顔がじんわりと熱くなるのを感じた。

軽く吸いながら音を立ててキャプテンが唇を離すと、ダダン!と大きな音がして、どこか地面に降り立ったのだと分かった。


「船長!!」


背後で聞きなれた声がして、振り向く。
此処が甲板の上だと理解すると、見慣れたドアからペンギンが顔を出しているのが見えた。


「ペンギン!出航だ!!」


キャプテンが言いながらドアへ向かって走る。
私たちが中に入り、ペンギンが重い扉を閉めると同時に船が沈み始め、急いでレバーを回しロックを掛けた。
カンカンカンと操縦室へ向かう階段をペンギンが上っていくと、ようやくキャプテンの腕から下ろされた。
キャプテンが私の髪を撫でてから、立てた親指を船内へ向け、口を開いた。


「さっき、言いかけたことの続きを部屋でゆっくり聞きたいところだが……先にあっちをどうにかしないとな。」

「あっち?」


親指の示す先を目で追うが、なんの事かわからず、キャプテンを見上げ首を傾げた。
彼は、心底困っているような顔をして私を見下ろした。


「ああ、ラウンジで泣いてる野郎共、なんとかしてくれよ。」

「……え。」

「……ったく、むさ苦しいったらねえ。」


クククと笑いながら手を繋がれる。
彼の手を握り返し、笑って頷いた。

−−

「ハルーー!!!」


キャプテンと手を繋いでラウンジに入った瞬間、私の視界は白いふわふわでいっぱいになった。


「ひどいよ、ハル!黙って出て行くことないじゃないか!!」


うわーん!と泣きながら抱きしめられ、私の肩はあっという間にびしょびしょになった。
いっぱいに腕を伸ばしてその大きな身体を抱きしめ返し、「もう会えないかとおもったあー」とわんわん泣きながら訴える親友に「ごめんね」と何度も繰り返した。

ポコン!と何かで頭を叩かれ、ベポから腕を放して振り向く。
丸めた紙の束を持ったキャスケットが腰に手を当てて立っていた。


「ハル、俺は怒ってる。」

「ご……ごめんね。」

「こんなレシピだけ置いていきやがって。こんなんあっても俺らはもうお前のメシじゃなきゃ嫌なんだよ!」

「……ごめんなさい。」


しょげて俯くと、頭の上にレシピの束を乗せられた。


「罰として、明日の夕飯から俺らの好物1品ずつ作れ!しばらく毎日宴だぞ!!」


頭のレシピを取りながら顔を上げると、ひひひと笑うキャスケットの顔が見えた。
太陽みたいな彼の笑顔に釣られて笑いながら大きく頷いた。
「やったぁ、宴だ宴だ!」とキャスケットが近くのクルーと肩を組んではしゃいでいる。
にこにこしながら彼らの様子を見ていると、隣に人が立った気配がした。

ぽん、と頭の上に手を乗せられ、それが誰か、見上げなくてもわかる。


「……ご迷惑おかけして、ごめんなさい。ペンギンさん。」

「迷惑じゃないだろ……心配だ。」


見上げれば、ペンギンが眉を下げて見下ろしていた。


「無事で良かった。……家出はもう、勘弁してくれよ。」

「……はい。」


ペンギンが私の頭を、乗せたままの手でぽんぽんと軽く叩いた。


「おかえり。ハル。」


ざわついていたラウンジが、いつの間にか静まり返っているのに気が付いた。
見渡すと、笑顔で皆が私を見ている。


「ハル!おかえり!!」

「……ベポ。」


「おかえり。」

「……キャスケット……」


「おかえり、ハル。」

「ロ……イ、さん……。」


皆が口々に「おかえり」を言ってくれる。
皆の向こうで、壁に背を預けたキャプテンが優しそうに笑ってくれている。

だめだ。こんなの反則だ。もう、枯れて出ないと思ってたのに次々涙が溢れる。
皆が言い終わっても、顔を上げられない私の顔をベポが覗き込んだ。


「ハル?」

「…………い……ま……。」


ポツンと床に涙が落ち、視界がクリアになったのをきっかけに顔を上げた。


「ただいま、みんな!」

「よっしゃーーー!ハルが帰ってきたぞーーーーー!!!」

キャスケットの声に、クルー全員が歓声を上げた。


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