No.05
そっと、ペンギンさんの部屋の扉を開ける。
大きなドラフターの前に座り、一心不乱に海図を描いている彼の後姿が目に入った。
床には沢山の海図や資料が散乱している。
忙しそうだ。
その上、扉のノックの音にも、覗いた私の気配にも気づかないくらい集中しているらしい。
声を掛けるのを諦めて、そのまま扉を閉めた。
どうしよう。
今日に限って外出しているクルーが多い。
残っている数少ないクルーは皆其々忙しいらしい。
キャプテンですら、薬の調合の為に医務室に篭りっきりだ。
ただ、ミルクを買って来たいだけなのだけれど……。
昨夜クルーの皆とやったポーカーに負けて、今日はどうしてもおやつの時間までにプリンを作らなくてはいけないのだ。
しかし、クルー全員分が作れるほどミルクが残っていない。
いくつか前の島で私が一人で船の外に出ることをキャプテンとペンギンさんに禁止されてしまっていた。
昨日、停泊中の間の食材を買いに街に出たので、店の場所は分かっている。
それほど遠い場所ではないし、人通りの少ない場所でもない。
……一人でも大丈夫だと思うんだけどな。
自室に財布を取りに行く道中と、甲板に出る道中、誰かクルーに会わないか探しながら歩いたが、あいにく誰にも会えなかった。
スカートの上から左足を触る。
一度も使ったことはないが、左太腿に括りつけられたホルスターには、以前キャプテンから護身用で渡されていた小型の拳銃が入っている。
……大丈夫、だよね。
でも、急ごう。
トトトト、と小走りで甲板を通り抜け、いつも誰かに手を取ってもらう高さの所をピョンと飛び降りた。
下が砂浜ならそれほど怖くはない。
早くしなきゃ。
昨日歩いた通りに堤防沿いに走り、街を目指した。
−−
「560ベリー……はい、確かに。結構重いよ。お嬢ちゃん、大丈夫かい。」
「ええ、大丈夫。他に荷物もないし、抱えて帰るから。」
「そうかい、気をつけて。」
滑らないよう麻布を巻いてもらった大きな瓶を両手で受け取る。
帰る途中、誰か街に出ているクルーに会えればラッキーなんだけど。
荷物が重いこともそうだが、やはり一人は少々心細い。
ガラスに入ったミルクを丁寧に運んだ方がいいのは重々承知しているが、知らず知らず早足で歩いていた。
瓶を取り落とさないように……と。早く船に戻らなければ……と。少々視界が狭くなっていたのは否めない。
−ドンッ!!
「あ!!」
−ガシャン!!
「キャア!……っごめんなさい!!」
「あーあー……参ったな。」
「本当にごめんなさい。お幾らですか?弁償します。」
ぶつかった男が瓶を落とすと、地面から濃いアルコールの匂いが漂い鼻を付いた。
「いやいや、ネエちゃん。こりゃあよお、そこの酒屋に探させてやっと取り寄せたノースブルーの酒なんだよ。」
「……そう、なんですか。」
「うちのお頭、楽しみに待ってんだよ。酒持たねえで金だけ持って帰って、許されねえ事くらいわかんねえか?」
「あー……では、どうしましょう。」
大きな体で髭面の男がニヤリと笑った。
……ああ、やっぱり無理にでも誰かに付いてきてもらえば良かった。
「ネエちゃんよぉ、直接うちのお頭に謝ってくれよ。」
「……え?」
「ネエちゃんが、酒の代わりにお頭を楽しませてくれりゃあ、お頭もそこまで怒らねえだろう。」
「……いや……それは……。」
ぎひひひ……下卑た笑いを浮かべ此方に近寄ってくる男から、ジリジリと後ずさる。
しかしすぐに間合いを詰められ、遂に黒ずんだ手で右手の手首を掴まれた。
抱えていた瓶を落としそうになり慌てて左手に力を入れる。
やばい。両手が塞がってて、これじゃあ銃が取り出せない。
近づいてくる髭面から目を背けながら周りを見渡す。
……よし、そこそこ人通りはある。
大声を出そうと腹筋に力を込めた瞬間、髭面と私の間をヒュッと何かが通過した。
瞬間「ぐああ!!」という声が上がり、髭面の男が掴んでいた私の右手を放し、よろける。
私の左手から牛乳瓶が何者かに取り上げられ、空いた腕を掴まれた。
「ハルさん!こっち!!」
「待て!てめえ!ごらぁ!!」
髭面の男が懐から大きな銃を取り出したのと、私が腕を引っ張られて走り出したのは同時だった。
走り出してすぐに、私の腕を引いてくれているのが昨日の少年だということが分かったが、いかんせん走るのに夢中で話しかけるどころではない。
半分引きずられるように、街中を通り抜けた。
走ることは苦手だが、必死で足を動かす。
しかし、髭面の男に徐々に距離を詰められているようで、後ろから撃ってくる弾が私の頬を掠めた。
「きゃ!!」
私の頬に赤い筋が走り、思わず小さく悲鳴を上げると、少年が振り返って私を見た。
彼は急に足を止め、私に牛乳瓶を押し付けると、背後に私を隠すようにして髭面の男の前に立ちはだかった。
「てめえ、小僧。ただで済むと思うんじゃねえぞ。」
少年が、短めの剣を構え、髭面の男に向ける。
男の左腕はシャツが破け、血が滲んでいた。
おそらく、私の腕を放す直前に少年が切りつけたものだろう。
男が銃を少年に向ける。
少年は怯む事無く、軽い身のこなしであっという間に男の懐に入り込み、銃を持つ手と脛を切りつけた。
悲鳴を上げて銃を手放し、男がその場に膝を付く。
少年はすぐに私の元に戻り、また手を引いてその場を後にした。
「はぁ……はぁ……はぁ……!」
「大丈夫でしたか?ハルさん。」
船が見える場所まで来て、ようやく足を止めた。
息の上がる私を覗き込み、心配そうに少年が話しかける。
数回、大きく呼吸をして、なんとか話せるくらいまで落ち着けると数回頷いた。
「う……ん……はぁ、はぁ……ありがとう。」
「この島は、あまり治安が良いとはいえないですからね。無事でよかった。」
「ごめんね。本当に助かった。」
「すみません……顔……。」
少年が、私の頬を見て眉を下げる。
ぶんぶんと首を振り、にっこりと笑って彼に返した。
「なんで?君のせいじゃないじゃない。大丈夫!だって私は海賊だよ?」
私の言葉に、複雑な顔で笑顔を返した彼は、少し俯き「……じゃあ。」と言って街へ帰っていった。
お礼に、作っておいたクッキーでも持たせたかったのに、声を掛ける間もなく行ってしまった。
少しため息をついて、船のハシゴに足を掛ける。
なにはともあれ、これでプリンが無事作れる。
ホッとしながらドアを開け船内に入ると、目の前に二人の人影が立ちふさがった。
思わず、ヒッと息を吸い、肩を強張らせる。
「……どこに行ってやがった。ハル。」
「……あ……あの……キャプテン……。」
腕を組んだキャプテンが一歩私に近づく。
首をすくめて、逃げるように背後のドアに背中をつけた。
「お前一人で船の外に出てはいけないと約束したのを忘れたか?」
「……ペ……ンギン……さん……あの……あのですね。」
ペンギンさんが、一歩近づく。
暑くもないのに額に汗が伝った。
「その、頬の傷は……なんだ?」
「え……っと……転んで……。」
キャプテンが傷を覗き込むように顔を近づけた。
ゆるゆると隠すように顔を背ける。
「ほお……ミルクを持ったまま顔面から転んだのか。よくミルクが無事だったな?」
「…………。」
ペンギンさんの言葉に、ついに言い訳を返すのを諦め、その場にミルク瓶を置く。
そして、ゆっくりと、屈み……
……正座をした。
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