No.05




「なあ、ハル。俺のデバイダー……あー……コンパス、知らないか?」


クルーの部屋からシーツ類を回収し運んでいると、通りかかったペンギンさんに声を掛けられた。


「コンパス?って、方位磁石の事ですか?」

「いや、二股の、円を描いたりするようなやつ。両脚とも針だけど。」


ペンギンさんが言いながら、チョキにした片手をクルンと回す。
コンパスか……。
今日通ったキッチン、食堂、ラウンジ、クルーの部屋。
それらしいものは置いていなかったか思い返してみる。


「えーと、たぶん……見てないと、思います。」


私の答えにペンギンは、ハァ、とため息を吐き、参ったというような顔をした。


「そうか、もし見つけたら知らせてくれ。あれがないと海図を見るのに不便なんだ。」


海図、という言葉に少し耳がピクリと動いた。


「そう、なんですか。少し注意してみますね。」

「ああ、頼む。多分俺がどこかに置き忘れていると思うんだが、最近そういう小さな失くしものが度々あってな。困っているんだ。」


苦笑を零し去っていく彼に、曖昧に笑顔を向けて見送る。
海図か……。
もしかして、ベポかキャプテンなら知っているかもしれない。
最近、常に海図とにらめっこ状態の大きな友人を思い浮かべた。


「キャスケット。」

「おう、どうした?」


洗濯室の帰り、ラウンジを覗く。
白い大きなシルエットは見当たらず、近くに他のクルーと座っていたキャスケットに声をかけた。


「ベポ、どこに居るかしらない?ベポの部屋には居ないみたいで。」

「さぁー、知らねえなあ。お前ら知ってる?」


私の質問を、キャスケットが周りのクルーに振った。
口々に「知らねえ」「食堂じゃねえの?」「どっかで行き倒れて昼寝してるんじゃねえの?」と答えが出てくる。


「最近さあ、あいつ付き合い悪ぃんだよ。あんまりラウンジにも出てこねえし。具合悪いわけじゃなさそうだから放っといてるけど。」


最後にキャスケットが肩を竦めて言葉を付け加えた。


「そっか、ありがとう。」


彼らにお礼を言って、ラウンジを後にする。
部屋に帰る途中、食堂を覗くが目当ての姿は見当たらず、冷蔵庫のおやつも減った様子はなかった。

これはそろそろ食べないと、と大き目の器に入ったプリンを取り出し部屋へ向かう。
少し大きいけど、自分で食べるしかない。捨てるよりはいい。
キャプテンに手伝ってって言っても、ひとくちか、ふたくち位だろう。

少しだけ憂鬱になりながら、船長室のドアを開ける。
部屋に入り、キャプテンが座っているであろうライティングデスクに真っ先に目を向けるが、そこに彼の姿は無く、ぐるりと部屋を見渡すとソファーの所に彼を見つけた。
ソファーに座るキャプテンの足元に、白とオレンジの大きな塊が見える。
まさか、と思って近づき、その正体が思った通りのもので嬉しくなる。


「ベポ!」

「わあ!びっくりした。」


私が彼の名前を呼ぶと、驚いた彼の身体が大きく跳ね、ソファーテーブルの上のペンケースが大きな音を立てて落ちた。


「ああっ、ごめんねベポ!」


慌てて近寄り、プリンをソファーテーブルに置いて、床に散らばった筆記用具を拾う。
ベポも、作業の手を止めて床に落ちたものを拾っていた。
目に見える範囲の物は拾い終え、もう一度彼に謝罪を言葉を述べながらペンケースに拾ったものを戻す。
にっこり笑って「いいよ。」と答えた彼は、またテーブルの上の作業に戻った。

私がここに居ると、邪魔かな……。
ソファーに座るキャプテンを見ると、私を見て微笑んだ彼は自分の隣を顎で指し示した。
少しほっとして、彼の隣に座る。

落ち着いてから、プリンの存在を思い出す。
さっき慌てて置いた場所から、プリンを引き寄せ、今度は努めて静かな声で一生懸命にテーブルに向かう彼に話しかける。


「ねえ、ベポ。お腹すかない?」


私の声に顔を上げたベポは、んー、と少し考えるような顔をした。


「うん、そういえば。でも今はまだそんなに気にならないかな。」

「そっか、じゃあ。一区切りついたらこのプリン食べてね。」

「うわあ!プリン?わぁい、ありがとう!!」


そして、よーし頑張るぞー!とオレンジのユニフォームの袖を捲る。
キリ、と表情が変わり、丸い彼の背中が僅かに伸びた。

その様子を見て、すぐに食べれるようにスプーンも用意しておいてあげようと腰を上げる。
キャプテンの部屋のミニキッチンからミニトレイとスプーンを取り出し、ソファーへ戻る。
ソファーテーブルの下に、木製の物差しのような太めのペンのようなものが見えた。
トレイにプリンとスプーンを乗せてテーブルに置き直し、屈んでテーブルの下を覗き込む。
身体が大きいベポは、きっとさっき気づかなかったのだろう。
ソファーテーブルの下に見えた木製の長細いものを手を伸ばして拾う。
それは、畳まれた木製のコンパスで、片方の脚の部分に歪な形で小さく“P”と彫ってあった。

……P。

あ。

これ、たぶん、ペンギンさんのものだ。
ペンギンさん、ここに落として行ったのかな……いや、今朝掃除した時には落ちてなかったし。
じゃあ、さっきのでベポのペンケースから、落ちたの……かな。


「ベポ。」


私が呼ぶと、ベポが顔を上げた。
前屈みになってベポの手元を覗いていたキャプテンも体を起こす。
2人に近づいて、手の平を広げる。


「ベポ、これもさっき落ちたやつ、かな……。」

「……えっと、あ、うん。……ありがと。」


少し戸惑ったあと、短くお礼を言ったベポは、私の手に乗ったコンパスに手を伸ばした。


「ベポ、これ“P”って彫ってあるの……。もしかして、ペンギンさんの?」


ベポの大きな手の平がコンパスを捕まえる前に口を開くと、私の手の平の上で白い大きな手がピクリと動きを止めた。
ベポが、伸ばした手を元に戻し、目を逸らす。
キャプテンが、眉間に皺を一本寄せてベポを見た。


「ベポ。」


キャプテンが、低い声でベポを呼ぶ。
ベポが上目使いにキャプテンを見た。


「盗ったのか。」

「違う!……借りた、だけだよ。」

「え、まって、キャプテン。私そんな事言ってな」

「お前は黙ってろ。」


キャプテンの鋭い視線を受け、ベポが少し慌てて否定した後、小さい声でポツリと言った。
一方的に決めつけた言い方をするキャプテンに慌てて声を掛けるが一蹴される。


「今すぐ、ペンギンに返してこい。」

「……はい。」

「もうお前に教えるのはやめだ。」

「え!」

「え!」

「もう、いい。」

「そんな!キャプテン!」


キャプテンが席を立って部屋のドアに近づく。


「俺が欲しいのは、信頼できる、航海士だ。」

「キャプテン!ごめんなさい!まって!まって!」


止めるベポの声に耳を貸さず、こちらを見ないまま、ドアを開けた。
出口に向かう彼は、脚を止めず、相変わらずこちらを見ない。


「……お前には、がっかりだ。」


バタン、と大きく冷たい音を立てて扉が閉まった。

ベポが、閉められた扉を呆然と見つめる。
そして、よろよろと腰を下ろし、俯いて床に両手を付いた。
このポーズはベポが落ち込んでいる時の癖だ。
思わず駆け寄る。


「ベポ……ごめんベポ。ベポが拾って持ってたと思ったの……。」


彼の肩に手を掛けようとすると遮るように彼が口を開いた。


「……なんで」


彼の肩に触れる直前で制止して、言葉の続きを待つ。


「……なんで、キャプテンの前であんなこと言ったの。」

「……ベポ?」


今にも泣きそうな震える声で紡がれるものの、それは声を掛けようとする私に対しての拒絶の色を含んでいた。
ゆっくりと体を起こした彼は、私を避けるように立ち上がり、ソファーテーブルの上の本や紙を掻き集め、それらを抱いて立ち上がる。
そして、私と目を合わせようとしないまま、出口に向かう。
ドアノブを掴んだ時、彼が止まり、横顔をこちらに向けた。


「ハル……おれは、真剣だったんだよ。キャプテンの為に、ここのクルーの一員としてもっと役に立つ存在になるために、今は大事な時期だったんだ。」

「ベポ……。」

「ハルには、キャプテンも、カリタスも居るじゃないか。ハルしかできない仕事があるじゃないか。」

「そんなことないよ!ベポ、急にどうしたの?」

「ハルにはわかんないよ!」


ギィ……と、ゆっくり扉が開けられる。


「ハルには、わかんないよ……。」


ポツン、と呟いて、彼は出て行った。
未だ握ったままだった自分の手に気付く。

そろりと開くと、木製の細いコンパスがなんだか重く感じた。
誰もいない部屋を振り返ると、ソファーテーブルの上に大きめの器に入ったプリンがひとつ、残されていた。


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