No.07-side:BEPO




キャプテンの部屋を出て、目的地も無く苛立つ心のままに船内をずかずかと歩く。


もう!
ハルなんかもう知らないよ!

もうもう!
ハルったら、なんであんなことキャプテンの前で言ったんだ!

おれはペンギンからちょっと借りただけじゃないか!次の島で自分のコンパスを買うまでの間だけだったんだ。
だってコンパス無いと勉強も不便だったし。
キャプテンだって……あんなに怒らなくたっていいのに……。


「今すぐ、ペンギンに返してこい。」



……あ。
忘れてた。

キャプテンの言葉が思い出され、歩みを止める。

−ボスンッ!


「うわ、ベポ急に止まんなよ。」

「う、うん。ごめんね。」


それまで早足で進んでいたの急に立ち止まったものだから、おれの背中にクルーの一人がぶつかった。
慌てて謝って、通路の端に避けた。

キャプテンに言われたことはちゃんとしなきゃ。

手に持っていたペンケースを開ける。
中に入っている鉛筆やら定規やらをガチャガチャと退かして見るが、目的のコンパスは入ってなかった。


「あれ?」


無い。キャプテンに返して来いって言われたのに。

あ、

そっか、キャプテンの部屋に忘れてきちゃったんだ。
取りに、行かなきゃ。
……ハル、まだ居るかな。

途端にさっきの苛立ちが胸に蘇り、渦巻く。

今は、ハルに会いたくない。
無意識に船長室がある方向を向いていた顔を進行方向に振り向けた。

でも、キャプテンの言い付けは、ちゃんとしなきゃ。
また、船長室を向く。

しばらくうろうろとその場を行ったり来たりしてみたけど、やっぱりキャプテンの声が頭の中をぐるぐる回るのを止められない。
さっきとは打って変わってトボトボと重い足取りで船長室へ向かった。

−−


「おい、ベポ!」


ラウンジの前を通りかかると、中から呼びかけられ足を止めた。
ラウンジを覗くと立ち上がってこちらに向かってくるキャスケットが見えた。


「なあに?キャスケット。」

「ああ、さっきな……あ?お前なんだ読書か?珍しいな。」


キャスケットが何か言い掛けるが、おれの手元を見て言葉を止め目を丸くした。
彼の視線の先を追って、自分の手元を見下ろす。
航海図の本やノートや筆記用具。
なんだかバツが悪い気がしてそれらを持った腕をずらし、さりげなく体の後ろに隠した。


「あー、これは。……なんでもない。」

「ふーん?……あ、そうそう!ハルが探してたぜ。」


ハルという名前が出た事でギクリと心臓が跳ねる。
動揺を悟られないように、出来るだけ普通を心掛けてキャスケットに返す。


「そ、そう?それっていつごろ?」

「あー、そうだな。1時間くらい前かな。」


彼の言葉に全身の力が抜けるくらいホッとした。


「そっか。だったらもう会ったよ。」

「ああ、そっか。ならいいんだ。」

「うん。ありがとう。」


じゃあな、と元居た場所へ戻っていくキャスケットに手を振る。
ホッとしたら先程より少し足取り軽く船長室へ向かった。

さっきより幾分か落ち着いているものの、それでも船長室の扉の前に立つと少し緊張した。
ハルが居なくても怒ったキャプテンが居るかもしれない。
心臓がブルリと震えた気がした。

いつも通りに2回、ノックをする。
中からは声が返ってこない。
恐る恐るノブを回し扉を開けて中を覗き込むと、部屋の中には誰も居ないようだった。

安心して中に入り、先程まで座っていたソファーテーブルへ向かう。
テーブルの上にはコンパスは見当たらず、テーブルの下やソファーの下を覗き込むもそれらしきものは見当たらなかった。


……どうしよう。

無い。


キャプテンの仕事机の方を覗き込んでみるけど、キャプテンの黒いステンレス製のコンパスしか見当たらない。
違う、これじゃない。ペンギンのは、明るい茶色の、木でできたやつ……。

どうしよう。

どうしよう。どうしよう。


どうしよう。


失くしちゃった……。


胸の中がヒヤリとして、凍りついた感じがした。
胸が詰まって、すごく泣きたいけど、凍っているから涙が出てこない。そんな感じ。

くしゃりと顔がこわばって、歪むのが分かった。

キャプテンの仕事机に落としていた視線を、再度ソファーテーブルへ向ける。

相変わらず茶色いコンパスは無いけど、テーブルの向こう端にポツンと白い器が置いてあるのが見えた。
摺り足のように、そろりそろりとそちらへ近づく。
近くまで寄って、その器がプリンだという事に気が付いた。

さっき、ハルが持ってきてくれたやつだ……。

ますます胸が詰まって、おでこに変な力が入るのがわかった。
きっとおれに眉毛があったら、眉間に深い皺が刻まれているんだろうと思う。

ソファーテーブルの横に腰を下ろし、手の爪の先を使って器に掛かっていたラップを外す。
甘いミルクとバニラエッセンスの匂いが鼻を擽り、それまで気にならなかったお腹がぐう、と音を立てた。
茶色いカラメルソースがキラリと光って、ごくりと唾をのみ込む。
器の隣に置いてあったスプーンを取り上げ、プリンに差し込む。
ふんわりとした柔らかい感触で掬い上げたプリンを口の中に運び入れた。

途端に口いっぱいに広がった優しい甘さに、目を瞑る。

ハルの、プリンの味だ。

凍った胸の何処かがほんの少し溶けたようで、目を開けるとそこにじわりと水滴が溜まって視界がぼやけた。


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