No.18-side:LAW
「お……っと。」
カツン、と音を立てて、ペンギンの手から赤いインクペンが滑り落ちた。
慌てて拾おうとしたペンギンの体がぐらりと揺れる。
すぐに何でも無いように体を起こし、話の続きをしようとした彼を手で制した。
「どうした、珍しいな、眠れていないのか?」
「いえ。……眠ってはいますよ。……ただ。」
「なんだ?」
「……いえ、少し自己管理が出来ていなかったかもしれません。気を付けます。」
微かに俯くと、普段から見えづらい目元が完全に隠れ、鼻の先まで影になった。
日頃から肌を積極的に焼くタイプの人間ではないが、それにしても聊か顔色が悪いように感じる。
先程から俺と話しながら、一瞬言葉が止まったり、文字や図面を見ながら眉間を指で押さえたり、という事がある。
わざわざ診察するまでもねえ。明らかに過労だ。
ハルがクルーになった事でペンギンの仕事は1/3程軽くなり、そこにカリタス加わった事で彼の雑用部分の仕事は無くなったと言っても過言ではないはずだ。
なのになぜこいつはこんなに疲労困憊な状態なのだろう。
「……なので、このままレーダーの様子を見つつ、明日は海上を偵察の上問題なかったら浮上。そこでニュース・クーから新聞を買うことにしましょうか。次のこの島に着いたら少し海軍の情報が得られるかと。」
「……ああ、それで問題ない。そうだ、新しい手配書が出ていたら手に入れておいてくれ。」
「はい。」
話に一区切りがつき、ハァ、とようやく安堵の表情を浮かべた幼馴染は、テーブルの上で随分温くなったコーヒーを一気に煽った。
「最近、忙しいのか?」
「…………いえ?」
少しの間の後に、俺の言葉が否定される。
「じゃあ、何かクルーの間で問題が?ハルはそんな話していなかったが。」
「いいえ、変わりありませんよ。」
「カリタスは?」
「ああ、あいつは若いのに、よくやってくれています。」
問題が起こるとしたら新入りかと、最近クルー入りした若造の名前を出せば、ペンギンは問題ないと笑顔すら見せた。
ははーん。……なら。
「……女か。」
「……は?!」
「どこの島の女だ?夜な夜な電伝虫でもしてんのか?」
「……どういう思考回路で貴方がそんな事を思いついたのか理解に苦しみますよ。」
冗談交じりで口にすると、本気で引いたような顔で返される。
……詰まらない。相変わらず固い男だ。
目の前で呆れたようにゆるゆると首を振る男に、ふんと鼻を鳴らしてみる。
「まぁ、なんにせよ。だ。キャパ以上の仕事はするな。ミーティングで度々意識を飛ばされていたら敵わないからな。」
「すみません。……しかし、」
「これは船長命令だ。」
「……はい。」
俺の言葉に、ペンギンが苦い顔をして頷いた。
のろのろと広げられた地図や資料を掻き集め、持ってきたファイルに無造作に挟みこむ。
几帳面なペンギンは、大抵ちゃんとファイルに綴じてから席を立つのに、よほど疲れているのか、それとも早くこの場を辞したいのか。
適当に荷物をまとめ立ち上がった。
「じゃあ、船長。失礼します。」
「おう。」
俺を見下ろし、軽く頭を下げたペンギンに片手を上げると、いつもより少し早足で扉に向かう。
扉を開けた所で、もう一度俺を振り返ったペンギンは、目礼をして扉の向こうに去った。
「あ、おい。」
小脇に抱えたファイルから、数枚の紙が落ちたのにも気づかずに。
まったくアイツらしくない。と肩を竦めてみる。
扉付近にバラけている紙類を拾うために席を立った。
散らばっているのを、上下気にせず無造作に掻き集める。
手の中で適当に揃え、一番上の紙を眺めながらソファーへ戻る。
パラパラ捲りながら眺めると、今航海中の海とは全く関係ない海図が混じっている。
どうやら市販の海図のコピーのようだ。
ペンギンの走り書きのメモが散っている。
さらにもう一枚捲ると、上下逆さまの海図が現れた。
「クッ……ははっ。」
不格好な線が滲むその紙は確かに手書きの海図のようだった。
明らかにペンギンが書いたものではないそれを、上下ひっくり返し、しげしげと眺める。
きっとこれを書いた主は、ペンを持つ手がたいそう墨だらけになったのだろう。
右下に、まるでサインのようについた墨の汚れは、見慣れた丸い肉球型をしていた。
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