No.19
「……どうかな。ペンギン。」
「……ああ。だいぶ良いと思う。現時点でここまで航路計画が立てられれば上出来だ。」
ペンギンさんが口端を上げて、手元から視線を上げるとベポはあからさまにホッとした顔をした。
食事時間を外した誰も居ない食堂の大きなテーブルの上で大きな地図を広げ、分厚い本やら、グラフが書かれた書類やらを散らばしている。
「休憩にしませんか。」
二つのコーヒーとをトレイに乗せながら声を掛ける。
白い頭が跳ねあげるように反応を見せ、すぐにキラキラした目がこっちを向いた。
その様子を見たペンギンがぷっと吹きだし、くつくつと笑いながらベポの視線を追うようにこちらを見る。
「これは、休憩はもう少し後なんて口が裂けても言えないな。」
口元に笑みを浮かべたまま、ペンギンが余すところなく広がった書類を少し集めて、テーブルの上に隙間を作った。
天板が見えた所に、ブラックのコーヒーと、ミルクと砂糖がたくさん入ったコーヒーを置く。
お茶請けに自分用に前の島で買っていたメープルビスケットを置いた。
「わ!これ、ハルが好きなやつだ!おれ達が食べちゃってもいいの?」
「いいよ。ベポ、最近頑張っているから特別。」
ベポの言葉に笑って返すと、彼は益々笑顔を輝かせる。
「おい、ボロボロ零すなよ。」と呆れたように咎めるペンギンは、もう教師でも上司でもなく、まるで父や兄の様な慈愛の色を含んでいた。
ベポの隣に座りながら、そこへ広がった書類たちに目を向ける。
他と比べると歪なラインが書かれた海図を1枚手に取りしげしげと眺めた。
「それにしても、ベポ。本当に上手に図面を描くようになったよね。」
「……そうかな。」
えへへとベポが照れると、ペンギンがうんうんと私に同意した。
「ああ、本当に上手くなった。最初はどうなる事かと思った。」
「でもおれ、まだペンギンみたいにシュッとした細くて真っ直ぐな線は描けない。」
確かにベポの描くラインはペンギンのように迷いが無くシュッとした勢いのある細い線ではなく、ゆっくりとペンを動かすため、じわじわとインクが滲む少し太めの線になっていた。
「手先が器用になったんだね。大豆の特訓の成果かな。」
私の言葉に、甘いはずのコーヒーを啜っていたベポが苦い顔をした。
「なら、良いんだけど。あの特訓はもう勘弁だよ。」
「おかげで食事の時もちゃんと箸を使えるようになったんだから良いじゃないか。お前、前はグーの手で箸を持っていただろ。」
ペンギンの言葉にベポが小さく肩を竦めた。
大豆の話で少し拗ねたようになったベポに、ペンギンが優しい笑みを向ける。
「ベポ、全部俺と同じ出来になる事は無い。この少し太い線もお前の持ち味だ。いかにも手書きっぽくて温かみがでて良いじゃないか。」
「そう?図面に温かみって必要?」
ペンギンのフォローにベポが意外にも冷静な言葉を返し、ペンギンが困ったように口を噤む。
「温かみ、俺はあってもいいと思うぞ。」
言葉に窮したペンギンの代わりに発せられた言葉は、入口付近のテーブルからで、ベポとペンギンと私の三人はギクリと肩を揺らした。
「……キャプテン。……いつから?」
「お前がキッチンの棚に隠していたビスケットを出したあたりだな。」
「そんなに前から?!」
声かけて下さいよ!と抗議する私に、気配を消してそこに居たキャプテンは楽しそうな笑みを浮かべる。
隣で我に返ったベポがバタバタとテーブルの上に散らかっていたものを腕でかき集めて隠すようにその上に覆いかぶさった。
ペンギンは諦めたように、ふぅと息を吐くと、ゆっくりとコーヒーを口元に運ぶ。
「あの……きゃ……キャプテン!これは、その、……あの。」
「なんで隠す?」
狼狽えるベポに、キャプテンが飄々と返す。
「だって、おれにはもう教えないってキャプテン言ったのに……おれ、勝手に……。」
「まさかお前、俺がクルーが自らスキルを上げるのを咎めるような愚かな船長だと思っているのか?」
「……そんなことは。」
「お前は、あの時俺がお前に怒った理由を理解したはずだ。その後俺の所に来ればまた俺が教えてやるつもりでいたが、別に代わりにペンギンに師事したからって怒ったりしない。……ハル、コーヒー。」
「あ、はい!」
入口近くの席から立ち上がりながら、指示したキャプテンに返事を返し、慌ててキッチンへ入る。
「さて、ペンギン。俺と約束したミーティングの時間は過ぎているわけだが、ここで始めても構わないか?」
「ああ、そうでした。すみません、船長。」
「まったく、最近ぼんやりが過ぎるぞ。ベポを仕上げるために寝る間を惜しむのも結構だが、キャパを超えた事はするな。」
はっとしながら謝るペンギンにキャプテンが呆れた視線を向ける。
すみません、ともう一度恐縮するペンギンにキャプテンは「まあ、甘いものでも食え。」とメープルビスケットの皿を近づけた。
「あ、じゃあ、おれ、行くね。ペンギンありがとう。」
「ああ。」
「いや、ベポ。お前、このまま座ってろ。」
荷物を纏め立ち上がったベポをキャプテンが制す。
私が濃いめのブラックコーヒーをキャプテンの前に置くと、熱そうにそれを一口啜って、マグを置いた。
ベポが困惑しながらも座り直したのを確認し、満足そうに体を僅かに逸らして背もたれに預けた。
「じゃあ、ミーティングを始めよう。……ああ、その前に、さっきの話だが。ベポ、お前の図面は悪くない。ペンギンが言ったようにお前の独特のラインは、お前の持ち味だ。どうせなら開き直ってサイン代わりに手形を押せ。」
ベポとペンギンを見渡したキャプテンが、自慢げにテーブルの上に広げたのは、随分前にベポが描いたらしい図面で、それはあちこちに小さな墨汁の染みが出来、右下に彼の肉球型の汚れがハンコのように押されていた。
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