No.101




―今日のウォーターセブンは夏の訪れを感じさせる汗ばむ陽気となりましたね。
では、キャロルに明日のお天気を伝えて貰いましょう。−キャロル?

―はい!キャロルです。私は今セントポプラの花時計の前に来ています!
現在、スミレに影が掛かり……



テレビを付けてから、ソファーテーブルをずずずと押して端に避ける。
ソファーテーブルがあった場所にアイロン台を設置して、籠の中から大きな白いワイシャツを抜き取った。

アイロン台の上にシャツの片方の前身ごろを広げる。
アイロンを傾ければ、シュウと音を立てて蒸気が噴射した。
軽く糊をつけながら皺を伸ばしたシャツを再度ハンガーに掛けていく。
全て掛け終えた所で、廊下の壁面のフックに彼の分のハンガーを纏めて引っ掛けた。
続けて自分の分をしようとアイロン台の前に戻ったところで、玄関でガチャガチャと鍵がまわされる音がした。


「おかえりなさい。」


解錠と共に入って来た人物に顔だけ向けて声を掛ける。
ルッチは目線を寄越しただけで特には返さず、アイロンをかけたばかりのハンガーを手に取り、代わりにシルクハットをフックに掛け主寝室に入って行った。

アイロンをブラウスの衿に滑らせている所で、ラフな格好に着替えたルッチが部屋から出てくる。
洗面所を経由して、リビングに寄ることなくキッチンに入って行った。
相変わらず愛想の無い人だがいつも通りの事だ。

すぐに水道から水が流れ出る音や、とてつもない速さで包丁が食材を切り刻む音が聞こえてくる。
テレビの音よりそちらに耳を傾けながら、シュワシュワとアイロンの蒸気をブラウスのボタン周りに当てた。

−−

自室のクローゼットに自分の服を仕舞って戻ってくると、ルッチがテーブルに料理を並べている所だった。
テーブルの上を見て、キッチンのカップボードからカトラリーとグラスを取り出す。
私は毎日お酒を飲むわけではないので、私の場所にはゴブレットグラスを、ルッチの場所にはゴブレットグラスとワイングラスを置いた。


「ああ、ワイングラスは要らない。」

「ロックグラスの方が良いですか?」

「いや、今日は酒を飲まない。」


一度置いたワイングラスを引き上げながら掛けた問いかけに、ルッチが返す。
その返事に思わず手にしていたワイングラスを落としそうになった。


「ええっ!どうしたんですか?具合でも?」


わたわたと落としかけたワイングラスを空中で掴みながら、驚きの声を上げる。

あのルッチが!毎日欠かさずアルコールを摂るルッチが!休日は午前中から何かしら飲んでいるルッチが!酒を飲まないなんて!
驚く私にルッチが「大げさだ。」と言いながら軽く眉を寄せる。
そのまま席に座り、ピッチャーから2つのゴブレットに氷水を注いだ。

早く座れ、と言うように自分の向かい側を顎で指し示す。
手に持っていたワイングラスを仕舞い席に着くと、ルッチは先に食べ始めていた。


「いただきます。」


小さく呟き、フォークを手にする。
サラダの天辺に乗っていたミニトマトを口に運びながら、目の前でもくもくと食事を口に運ぶルッチをじっと観察する。

顔色は悪くない。
食事の盛りも普段と変わらない。食欲もありそうだ。
何故お酒を飲まないなんて……今更肝臓を気にするようにも見えないのに。
いや、でも確かに毎日ワイン1本空けて、ブランデーも2日で1本消費するのは、飲み過ぎだと思うし休肝日を設けるのはとてもいい事だと思います。うん。

ポリポリとキュウリを前歯で齧りながら、視線をルッチに向けていると、彼はカチリとフォークを置いて、ガクリと俯き、肩を上下させながらふぅーと大きな溜息を吐いた。
ゆるゆると顔を上げると煩わしそうに私を見返した。


「いいか。酒を飲まないのは、この後仕事で出かけるからだ。休肝日を設けたわけではない。無暗にこっちを見るな。視線がうるさい。ウサギじゃないんだからキュウリ1枚食うのに何分も時間を掛けるんじゃない。わかったか?わかったらさっさと食え。」

「……すみません。」


な、なぜ考えていたことが分かったのだろう。
人差し指で指されながら、一言一言区切るように強く告げられる。
相変わらずのオーラに思わず謝り、料理に目を向けフォークを適当に皿の上に刺した。
ふん、と鼻を鳴らす音が聞こえ、目の前の彼が食事を再開したのが分かった。

ちょっと待て。


「……この後仕事?」


彼は仕事から帰ってきてここに居るはずだ。
稀に夜通しで造船する時もあるが、残業がある時はわざわざ家に戻ってまた出かける事なんかない。

また食事の手を止めている私の考えが分かったのか、今度は彼は食事を進めながら私をみた。


「本職だ。」


と、言われてもピンと来ず、軽く首を傾げると、その一言で理解しない私に気分を害した様子で軽く睨んだ視線を向けられた。


「お前……まさか、俺の本職が船大工とでも言うんじゃないだろうな。」

「……ああ!CPの!」

「遅い。バカヤロウ。」


そうそう、そうだった。
そういえば、船大工は仮の姿だったんでした。

分かっている筈なのに、日常を過ごしていると、彼が政府の諜報部員などという事は忘れてしまう。
エニエスロビーに居た頃、ウォーターセブン組じゃないCP9が長官室で指令を受けたり報告をしたりしている場面に出くわしていたから、彼らに対してはちゃんとCP9としての実感がある。
が、ウォーターセブン組はどうも毎日船造ったり、テキパキ社長の仕事をサポートしたり、酒場を切り盛りしたりしている部分しか目にしたことがないため、イマイチ現実味に欠けるのだ。

そうか。仕事って、そっちの仕事か。
彼が諜報の仕事で家を空けるのは、私がこの家に来てから初めてかもしれない。

サクリ、とレタス数枚を纏めてフォークに刺して口に運ぶ。
今日のドレッシングは少しいつもより酸っぱい。
レモンとペッパーが効いていて、爽やかさに食欲が湧いた。
キノコとクリームソースが絡まったペンネに手を付けたところで、目の前でガチャガチャと皿が重ねられた。
顔を上げると、私が愚図愚図している間にさっさと食事を終えたルッチが重ねた皿を持って立ち上がる所だった。


「そういう訳だから、俺は出かける。」


フォークを咥えたまま顔を上げる私を見下ろし、簡単に一言告げ、皿をキッチンに運んだ。
シンクにガチャガチャと皿が置かれた音がする。
直ぐにルッチがカウンターの向こうを横切るのが見え、キッチンから出て行ったのが分かった。

廊下の向こうで、足音やドアが開閉する音が響く。
暫くしてカツカツと足音がリビングに入ってきたと思ったら、黒いスーツを身に纏ったルッチが一直線にハットリに向かう。
見慣れた格好のはずなのに、どこか違うと違和感を覚えたのは、ジャケットの下は白いワイシャツではなく、黒いワイシャツだったからだ。

被っていたシルクハットも、廊下の壁のフックに掛かっている物ではなかった。
普段被っているものは、シルクサテンのリボン部分が赤や白いものだが、今被っているものは帽子と同色の黒いサテンリボンが巻かれている。
明るい室内でまるでルッチだけが闇夜に巻かれているようだ。
急に胸がざわつき、不安感を覚える。
ハットリを肩に乗せ、私を一瞥しながらテーブルの横を通り過ぎていく。


「あ、あの!いってらっしゃい。」


振り向いて慌てて声を掛けるが、彼が足を止めたり言葉を返したりすることは無かった。
立ち上がって、リビングの入り口まで駆け寄る。


「ルッチさん!」


玄関の棚の上のトレイから鍵を取り上げポケットに入れているルッチを呼び止めた。
ルッチが一瞬静止し、こちらを振り返った。


「えっと、あの、気を付けて。」


廊下の向こう側に居る彼に、リビングの入り口から声を掛ける。
彼は、数秒私を見つめると、何も言わないまま玄関の向こうに消えた。

少し呆然としながら、ダイニングテーブルに戻る。
引き出されたままの椅子にストンと腰掛ける。

―カチャン。

食事を再開しようとすると、フォークがお皿に触れる音がやけに大きく耳に付いた。
のろのろと、ペンネを口に運ぶ。
もぐもぐとしつこいくらいに咀嚼してようやく飲み込む。
レモンドレッシングのサラダを食べても、先程のように食欲が湧きあがる事はなかった。
カチャ、と小さな音を立ててフォークを皿の端に置いた。


−さーあ!始まりました、クリスとトムのびっくりグルメレポート。本日お邪魔するのは今話題の水水肉しゃぶしゃぶのお店……



つけっぱなしだったテレビの音が静まり返る部屋に大きく響き渡った。


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