No.111




夜間出歩いていた理由については、これと言って特筆すべき事はない。

無性に一人歩きしてみたくなっただけだ。
ふらりと夜の街に出て、一杯飲んでそう遅くならないうちに帰ろうと、思って家を出た。
出た先でパウリーに出会い、予定外にも楽しい酒席となってしまった。
家まで送るというパウリーを断って、行き同様一人で夜道を歩いていたのは、私の失態だ。
全く、私が愚かだった以外に、言葉が無い。

つまり、そういうことなのだ。と、時折言葉に詰まったり、話が前後したりしながら私がカリファに話し終えた時には、彼女はなんとも気の抜けたような顔をした。


「じゃあ、貴女は家出をしようとしたわけじゃないのね?」

「……家出?」

「貴女があの家から……逃げたと……ルッチはそう思っているわ。だから、家には帰らず貴女を此処へ連れて来たの。」


瞬間、胸を圧迫されたような息苦しさが襲う。
家出なんて、


「そんなの、するわけない。……家を出て、何処に行くの?だって、……だってあの家以外、ルッチさんは居ないのに。」


私の悲愴な呟きに、カリファも辛そうに目を細めた。

彼の居ないところに行けるなら、とっくにそうしてる。
その方が、自分の為にも良いだろう事は分かっている。
何度も何度も考えた。
それでも、彼の傍に居たいから。
いつかやって来る、離れなければならない時のぎりぎりのその瞬間まで。

コトリ、とソファーテーブルに、まだ沢山のレモネードが残っているカリファのマグカップが置かれた。
ふんわりと細い腕がこちらに伸びて、私を包みこむ。


「いいのよ、それなら良いの。貴女が黙って何処かに行こうとしたので無いならいいの。」


私の肩口に顔を埋めたカリファが、慰めるように言葉を紡いだ。


「あなた達って本当に……本当に、なんて不器用なの……。」


今にも泣きそうな湿った声で言葉を続け、ゆっくりと体を放した。


「ナツ。私、思うんだけど。」


私の両肩に手を置いたまま、話をするカリファを見上げる。
怒りや、悲しさや、絶望や、いろんな感情を浮かべていた彼女の顔は、今は穏やかな物になっていた。


「あなた達、随分長く近くに居すぎたのよ。……きっとお互いの本当の事が見えなくなっているんだわ。」

「……本当の事?」


私が彼女の言葉の一部を切り取ると、彼女はやんわりと微笑んで一つ頷いた。


「だから、少しだけ離れて暮らすべきだと思う。ああ、引越せと言っているんじゃないのよ。1か月でも10日でも1週間でもいいの。少し、貴女とルッチ、距離を置くべきだわ。……近くに居すぎて、疲れたのね。」


私とルッチは喧嘩をしたわけでもないし、いつも通りの生活を送っていた。
自分たちですら何の問題も感じなかったのに、彼女に「疲れたのだ」と言われたら、そうだ、疲れているんだ。と妙に腑に落ちている自分が居た。
そうなると、確かに彼と距離を置くべきなのかもしれないと、思う。
同時に、ほんの1日も離れることが不安な気もする。

なんせ、この島に来て、1日の例外を除き全ての日を、彼のもとで過ごしたのだ。
触れることは無くても、彼と同じ空間に居るだけで、安心感と甘い感情で満たされる。
それは一種の依存状態を私に齎していた。
まるで依存性の高いドラッグのように私の内面を甘美に支配し、彼が居ない、と思うと不安を感じるほどだ。

こんな、不健康な状態から抜け出す良い機会なのかもしれない。

迷うようにしばし視線を彷徨わせた後、こくりと頷き、カリファの提案を肯定する。
彼女は、安心したように、頷き返し、私の手から温くなったマグカップを取り上げた。


「さあ、もう遅いわ。寝ましょう。起きたら貴女の休職届を手配するわ。」


促され、白いリビングを抜けてたどり着いたのは白い主寝室だった。
大きなシルクのシーツの海に、二人で潜り込む。
ヘッドボードに立てかけられた沢山の枕やクッションに体を預けると、とろけるような柔らかな手触りのシルクケットが肩まで掛けられた。


「おやすみ、ナツ。貴女が心配するような事はこの世界の何処にもないのよ。」


優しい声と一緒に伸ばされた手を、指先でそっと握った。
数時間前まで縋りつくような気持ちで握っていたルッチの骨ばった大きな手とは全く違う、しなやかで少しひんやりとした綺麗な手。


「ありがとう、カリファ。本当に……ごめんね。」


こんなにも想ってくれる彼女を、私はどれほど想えているだろう。
何でもそつなく熟してしまう彼女に、私はどれほど返せるだろう。
彼女に何かあったら、この身を投げ打ってでもきっと彼女の為に尽くそう。

ぎゅっと、繋いだ手を握ると、彼女も優しく握り返してくれた。


泥のように眠り、太陽も人々もすっかり起きて活動している時間。
自然とまどろみから浮上し、気だるく起き上がった私の枕元に置かれていたのは、とっくに外出した部屋の主が私の為に用意してくれた着替えの服と、この部屋のスペアキー、そして海列車の切符だった。

“SEA RAILWAY” とロゴが躍る封筒を開くと、本日エニエスロビー行きの片道切符が入っていた。


しばらく、久しぶりに目にした政府専用列車のチケットを眺める。
のろのろと起きだし、カリファの物にしては大人し目の服に着替えた。

パールの様な光沢の殻に身を隠す電伝虫に向かい、その横のメモ用紙を一枚切り取り、黒のペンで一言書きつける。
2回折って、一番上に出た面に“To Lucci”と走り書いた。


それを、リビングのソファーテーブルに置き、この白い部屋を後にした。


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