No.112-side:LUCCI
カサリ、
もう何度、広げて見ては畳んだか分からないメモ紙を再度ズボンのポケットに突っ込んだ。
ペラペラの、厚さなんて無いに等しい薄い小さな紙なのに、やたらと存在を主張していて、ポケットが大きく膨らんだ気すらしてくる。
そのまま歩くが、落ち着かず、やはりその紙を取り出した。
四つ折りになった紙が、手の中でカサカサと乾いた音を立てる。
無意識に折り目を広げる指。
視線を落とせば、嫌でもあいつの字が目に入った。
−−
朝、会社に行くと、やはりナツの姿は無かった。
普段はあいつが各ドッグの職長に配っている書類は、毎日徒党を組んできゃあきゃあと姦しく行動している女の一人が持ってきた。
「なんじゃ。今日はナツはおらんのか?」
「なんかあ、ご実家の家族が急病とかでえ、しばらくお休みなんだそうですう。」
「……家族が?……そう……じゃったか。」
会社に届けられたものであろう理由を、女が間延びした喋り方で告げると、カクが微妙な顔をした。
カクはナツの家族は青キジだと思っている。
もし本当に家族がしばらく仕事を休んで駆けつけなければいけないほどの病気を海軍大将が患ったとなれば、今頃世間はそのニュースでもちきりのはずだ。
届けが嘘と気づき、そして嘘をついて休むほどの理由がナツにあるのかと、考えを巡らせているのだろう。
部下に、用意する木材のリストを手渡しながら、事務の女の言葉を思い返す。
たしかあの女、しばらく休みだと言っていた。
しばらく、カリファの家に泊まるつもりなのだろうか。
やはり、俺の家を出て、他に部屋を探すつもりなのだろうか。
そのつもりで、新しい部屋に落ち着くまで、休職するつもりなのだろうか。
金槌を持っても、鋸を持っても、手元に集中しない。
二枚ばかり板を切り出したところで、残りを部下に押し付け、早々にその場を後にする。
横たわる丸太材に腰を下ろし、何ともなしにドッグを見渡す。
視界の端に、煙を纏う金髪が機嫌よく大声を張り上げているのが映り、否応なしにこちらのテンションは急降下した。
昼休み。
見たくない顔から出来るだけ顔を背けたくて、聞きたくない話題から耳を塞ぎたくて、会社の外に出た。
いつも空いている古い食堂の一つに入り、水水肉料理を注文する。
幅80p程の、小さな二人掛けテーブルで、注文を取りに来た年増のウェイトレスが無造作に置いた水をひとくち口に含む。
目の前に影が差し、視線を上げると、ブロンドを掻き上げる不機嫌そうな女が座っていた。
気配を消して入って来たらしい。
今も他に客は居ないのに、店員もこの一見目立つ女の存在に気付かないのか、いらっしゃいませの一言もない。
目の前の女は、無言のまま、おもむろに小さな紙片を俺の目の前に差し出した。
To Lucci
四つ折りに折られた小さな紙は一番上にそう書かれていた。
一目で、これを書いた主が誰か分かる。
普段、家ではめったに目にすることの無い、字。
会社で本人から手渡される書類で見る事のできる字。
少し右上がりの、文字の曲線部分がやけに特徴的な癖のある字だ。
折り目の付いた紙片を開くことなく、手にし、目の前の女に視線を向ける。
「彼女は、私の部屋を出てエニエスロビーに行ったわ。今日の政府専用便の席を手配したの。」
まるで仕事の報告のように、無表情で淡々と述べられた言葉に、一つ頷く。
カリファが、顎で俺の手元を指し示す。
手の中の小さな紙片を開く。
―I'm waiting for you to come
―貴方が来るまで待っています
たった、一言だけ書きつけられた言葉。
その真意を考えるが、あいつが何を思って俺に向けてこれを書いたのか、わからない。
わからなく、なっていた。
……だって、あいつは。
カリファが続けて、昨夜俺が帰った後に本人から聞いたと、夜道を一人で歩いていた理由などを話し出したが、殆どの部分が右耳から左耳にすり抜けて行くようだった。
−−
「あ……っ、と、悪ぃ。」
廊下の角で危うく正面衝突を免れながら、目の前に迫った男が言った。
ぶわりと鼻を擽る甘い煙に、眉を顰めながら近い位置から距離を取る男を睨み付ける。
俺の視線に訝しそうな顔を返した男は「……なんだよ。」と葉巻の隙間から声を漏らす。
「お前に言っておきたい事があるっポー。」
「……なんだ。」
完全に喧嘩なら買う姿勢にある男に、一歩近づく。
「クルッポー。悪いが、断りなく人の女を夜な夜な酒場に連れ出すのはやめてくれないか。」
「はっ?!何言ってんだ。連れ出してねえよ!あれは偶然っ!」
「偶然でも、合流して一緒に飲んだっポー。」
「……ああ。でも!何もねえよ!あるわけねえ、わかるだろ?」
「パウリー……」と、目の前の男の名を呼ぶ声が耳に蘇る。
見上げた屋上の柵の向こうで金色と黒い髪が風に煽られて靡いている情景が瞼に浮かぶ。
なんで、
なんで、こいつなんか。
ムカムカと、胃の奥から煮えたぎった汚いものがこみ上げてくるようだ。
「……あいつに、何かあったのか?」
徐々に険しくなる俺の顔をみて、パウリーが怪訝そうに眉頭に力を込める。
「そういや、今日来てねえって……おい、何か言えよ!」
「……。」
俄かに焦り始めた奴を目の前にしても、無言を貫いていると、大きく舌打ちをした。
「くそっ!だから送るって言ったのに!!」
「……。」
舌打ちの後、吼えるように声を上げたパウリーを尚見つめ続けると、彼は「わかったよ!」と声を荒げた。
「ああ、わかった!あいつと二度と二人きりにはならない!これでいいか!」
「ああ。言葉を違えるんじゃないっポー。」
「それで、あいつに何があったんだよ!」
「ポー……お前に態々話す事でもない。」
視線を外して、パウリーの横を通り過ぎる。
数メートル歩いたところで「くそっ……」と吐き捨てるように呟いた声が聞こえた。
カサリ、カサリ、
歩くたびに、ポケットの奥で小さな紙片が存在を主張する。
―貴方が来るまで、待っています。
あいつが居る場所に、すぐにでも行きたい気持ちと、会う事で決定打となる言葉を聞くことになるなら、一生このまま有耶無耶にしてしまいたい気持ちが鬩ぎ合っていた。
しかし、いつかは行かなければ、ならないのだろう。
会って、言葉を聞かなければ。
俺を好きだと言ったのは、間違いだったと。
あるいは、冗談だった。それとも、そういう意味じゃなかった。
その時は感情を殺し、取り乱すことなく、相手を殺すことなく、冷静に努めなければ。
「こちらこそ。」と受け流すくらいになって居なければ。
今し方、パウリーを前に感情的にならずにいるのさえ、こんなにも努力が必要だったことを考えると、今までの、どの任務よりも難しいのではないかと、溜息を吐いた。
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