No.113




ゴロリと寝返りを打つ。

腕を投げ出しても、手の平は宙を掴むことは無く、ちゃんとマットレスの上に着地した。
たった一人で寝るだけなのに、無駄に広いクイーンサイズのベッドの中で、間接照明に照らされて薄らと浮かぶ天井を見ていた。


……ルッチさんに会いたい。


−−

エニエスロビーに戻って、一直線に以前私に与えられていた部屋に向かった。
バッグから久しぶりにこの部屋の鍵を取り出すが、ドアに鍵はかかっていなかった。
定期的に掃除や空気の入れ替えをしてくれているのか、家具に埃は積もっておらず、空気も淀んでは居ない。
本棚に残して行った本もそのままだし、ティーポットやマグなどの食器もちゃんとカップボードに収められたままだった。

なんだかこの部屋に辿り着いた瞬間脱力してソファーに倒れ込む。
ルッチの部屋にあるスプリングが固めに利いたカウチソファーとは違う、ふんわりと体を受け止める柔らかな感触もなんだか懐かしかった。


この塔に入った時に、初めて見る給仕の制服を着た女の子に会い、少し不思議そうな顔で見られたが、特に何も聞かれなかったので軽く会釈だけして通り過ぎた。
懐かしい元気いっぱいのギャサリンと会話を楽しめるようなエネルギーは今の私にはないので、彼女に会わなくて良かったと思った。

あとで不審者が居たと騒ぎにならなければいいが。
出来れば、今は少し、誰にも会いたくない。

靴も脱がないままソファーに沈み、目を瞑ると思いのほかすんなり微睡の中に身を投じられそうだった。


「……おいっ!!!」


急に腕の辺りを強く揺すられ、はっと意識を戻す。
うまくピントが合わせられない視界に焦った顔のナマズ髭が見えた。


「……あ、ひさしぶり。」

「ひさしぶり、じゃねえよ!は?なんだ?どうした?いつから?」


横たわった私を覗きこんだ姿勢のまま、疑問符ばかりを繰り出しているジャブラは随分混乱しているようだ。
しかし、申し訳ないがイチから説明するエネルギーなど、ない。
なんだかすごく怠い。


「さっき、着いた……。」


言いながら時計を見る。
私はどれだけ寝ていたんだろう。何時に到着したんだっけ。


「……たぶん。」


ぼんやりとした私の返事に、ジャブラの目がはぁ?という風に歪んだ。


「仕事どうしたんだよ。あ、就職、したんだよな?」

「……。」

「辞めたのか?」

「……。」

「職場のやつとモメたか?」

「……。」


ジャブラの質問に答えることなくぼんやりと彼を見上げていると、彼は眉間に皺を寄せて後頭部をガリガリと掻いた。


「……あー。俺戻るわ。寝に来たんだけど、また来る。」


その一言で、私がジャブラと最後に会った日の会話を思い出した。
彼は私の言いつけを守って、芝生の上だけじゃなく、ちゃんとこのソファーで眠りに来ていたのだ。

慌てて離れて行きそうになったジャブラの服の裾を掴んだ。
すぐに動きを止めて再度私を見下ろす。
掴んだ彼の服をぐっと引っ張りながら自分の上体を起こした。


「ジャブラ、ちゃんと、寝て。私、ベッド、行く。」


カタコトのように彼に伝え、ソファーから足を下ろす。
立ち上がろうと腰を上げた所で、貧血のように眩暈が起きてグラリと体が傾いた。


「あっ、おい!」


ジャブラが腕を伸ばして、私の体を受け止めた。
なんだか足に力が入らず、背中に片腕を回され、彼の上着を掴んでやっと立っていられる有様だった。


「お前、痩せた?」

「……痩せてない。」


彼の言葉を否定する。
すると、彼はもう片方の腕も私の体に回し、背中や肩の辺りを触った。


「いや、痩せた。俺、前どんなだったか覚えてるし。」

「私、前そんなに太ってた?」


力の入らないやけに怠い体をジャブラに預けながら、なぜか抱きしめられる形になっている。
しかも、そんな変な状況で私の体型という、非常に下らない会話をする始末。
久々に会ったのになんだこれは。私の体はなんでこんなに怠いのだ。


「前がどうとかじゃなくて、今が痩せてんだって。ちゃんと食ってんのか?」

「食べてる。」

「本当かよ。」

「……食べてるよ。リンゴジャム入りイチゴクリームメロンパンとか。」

「……はぁ?……お前な……もっとちゃんとしたもん食えよ。」


ジャブラが心底呆れた声を出した。


「だから、こんなに熱出すんだよ。朦朧としやがって。」

「……熱?」


急に足が宙に浮き、横抱きにされたと思ったら、目の前にジャブラの顔が現れた。


「熱だ!ひでえ熱だぞ。道理でいつもに輪をかけてアホっぽい顔してるわけだ。バーーカ!」


至近距離で吐き捨てるように罵りながら、私を抱えたジャブラがずんずんと部屋の中を歩く。
私のお尻の下でジャブラの足が、ガンッと寝室の扉を蹴り開ける。
カーテンの開いた寝室は明るく、ジャブラは無意味に大きいサイズのベッドに私を寝かせた。


「俺の睡眠を心配する前に、お前が寝ろ。給仕呼んでやっから。」


バサッと投げるように掛け布団が私の上に放られ、そのままジャブラは寝室から出て行った。

……そうか、熱があったか。道理で体が怠いわけだ。
しかも、発熱を自覚した途端、なんだか寒気がする気がする。
風邪ではない、と思う。完全に知恵熱だ。

ジャブラに投げられた布団に包まり、横になると、対して時間を空けずに「ナツさん!失礼します!」と扉の外から可愛い声が掛かった。
……ギャサリンちゃんだ。
私は目を瞑って、寝たふりをする事にした。

ギャサリンは有能だった。
眠ったふりをする私の横で、物音を立てないように室温と湿度を調節し、カーテンを引いて日光を遮り、ベッドサイドに水差しとグラスを置いて、可愛らしくて香りの無い花を生ける。
少しでも香りのある花は睡眠を邪魔するので私の好みではないとちゃんと彼女は覚えているのだ。
そっと後頭部に手が差し込まれたかと思ったら氷枕が当てられ、それからしばらくして彼女の気配はなくなった。
目を開けると、さっきまでの無遠慮に明るい寝室風景から一変して、間接照明が1つだけ点けられた薄暗く温かい寝室に整えられている。
タオルで巻かれた氷枕を見下ろすと、その横に着替えの衣服が畳んで置かれていた。

また、ぽすんと頭を氷枕に落とした。
じわじわと頭部が冷やされると同時にふとんに包まれた体が熱を帯びていくような感覚がした。

とにかく、寝よう。

目を瞑り、睡眠を引き寄せる事に意識を向けた。
落ち着いた状態で視界を遮られると、ウォーターセブンの事ばかり考える。


……ルッチさん。


−−

それからまるっと一週間。
私はベッドの上の住人になった。
ギャサリンが私を看病するために足繁く通い、たまーにジャブラがほんの数言言葉を交わしにやってきた。

それ以外は現と微睡と夢の狭間を渡りながら、彼の事ばかり考えていた。
高熱が続いている間、彼が人を殺す悪夢は数えきれない位見た。
熱が引いて体が軽くなってから気になったのは、ラップをかけて冷蔵庫に仕舞ってしまったキノコのペンネの事だった。

無性に彼のご飯が食べたくなった。
もう、二度と食べられないのかもしれないけど。


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