No.114
熱が引いて、体調が良くなったとなると、一度は顔を出しておかなければならない場所がある。
その部屋は大好きだし、その部屋の主も決して嫌いではないのだが、どうしても私の足取りは重く、気が進まなかった。
―コンコン
不在なら良いのに。
ここに辿り着くまで10秒に一回は考えていたことを再度思いながら大きな扉を叩く。
「入れ。」
しかし、私の願いも空しく、いつも大体この部屋に居る主は、やっぱり今日もこの部屋に居たようだ。
「失礼します。」
私が扉を開けて中に入ると、ガチャン!と音がして次いで「ぶぁっちぃ!なんだこのコーヒーは!熱いじゃねえかちくしょう!!」と怒号が飛んだ。
……相変わらずのようだ。
給仕の子が、淹れなおしたスパンダムの分と共に持ってきてくれたコーヒーを、ゆっくりと啜る。
執務机に座ったスパンダムの隣には、相変わらずファンクフリードが円らで可愛い目をこちらに向けながら長い鼻を揺らしている。
「戻って早々ぶっ倒れたって聞いたが、もういいのか?」
「はい。もう平気です。すみません、ご挨拶が遅くなって。」
発熱しなければ、あの精神状態で彼に会わなければならなかったのかと思うと、この倒れていた一週間も無駄ではなかったと思った。
今だって、この部屋に来るのがこんなに嫌だったのに、一週間前の私では平静ではいられなかったと思う。
僅かに緊張しながら、ちびりちびりとコーヒーを飲む私をスパンダムが訝しそうな顔で見る。
「お前、あれか?しばらく会わないと人見知り発動するタイプか?」
「……いえ、そういうわけでは……。」
そう言いながら目を逸らす私に、スパンダムは不機嫌そうに顔を歪めた。
「じゃあ、なんだよ。言いたい事があるなら言え。」
顔を半分隠すようなギプスの間から鋭い視線を向けられ、うっ……と息を詰める。
もう一口コーヒーを含み、ごくりと嚥下してから、ゆっくりカップをソーサーに置いた。
「じゃあ、長官。聞きたい事があるのですが……。」
「お前が一般人として生活している以上、話せない事もあるぞ。」
両手を膝の上に置いて姿勢を正した私に、スパンダムが目を細めて見返した。
「CP9の彼らに与えられている任務が何かなんて聞きません。……だけど、一つだけ。」
言ってみろ、というようにスパンダムが顎を振った。
ふう、と小さく深呼吸をして口を開く。
「……CP9は殺しが許可されているというのは本当ですか。」
「……誰に聞いた。」
スパンダムの声が僅かに低くなる。
「お答えする必要はないかと。」
「まあ、誰に聞いたかなんて大体推測できるがな。話の出所は、ただの噂だ、で済ませるような人物じゃねえ。だろ?」
「……ええ、まあ。」
「なら、もう俺の返事も分かってんだろ。聞いてどうする。俺の口から答えを聞いて、疑念を決定的にして、何かお前の中で得する事があるのか?」
「得なんて……しないけど。」
「じゃあ、知らないふりしとけ。」
この話は終わりだとばかりに軽く手を振るスパンダムを見て、指先がさっと冷たくなった。
「知らないふり、なんて。」
どんどん口の中が乾いていくのに、喉に何かが絡まっている気がして声が出しにくい。
「知らないふり、なんて、出来ませんよ。……目の前でみちゃったんだから……。」
ガチャン!!
スパンダムの手元でペンスタンドが派手な音を立てて倒れ、床に落ちた。
バラバラに散らばったペン類の合間を縫ってカラカラと軽い音を立てながらペンスタンドが転がって行った。
「いつだ。」
散らばった筆記用具も、転がって行ったペンスタンドも拾う事をせず、体を硬直させたスパンダムが掠れた声を出した。
「……一週間前です。」
私がここに来る前日だ。
スパンダムが視線を机に落とし、重なった書類の中から1枚を引き抜いた。
「……ルッチの。……そこにお前も居たのか。」
あの時カリファは、殺された人はスパンダムが手配する処理班によって秘密裏に処理されると言っていた。
スパンダムは、恐る恐るといった様子で机の書類から私に視線を上げた。
「ナツ、あー……この事は……その……青キジ殿には……。」
「言ってません。」
私の返答にあからさまに安堵の表情を浮かべ、その辺の散らばった筆記用具をようやく集め始めた。
人が一人殺されたというのに、真っ先に保身を考える男、スパンダム。
以前から、仕事において度々こういう小狡い性格が見え隠れしていた彼だが、今まで私には直接関係ない事だったので気にしていなかった。
しかし、此処でクザンの名前が出てくるとは……呆れを通り越して哀れさえ感じる。
「……長官もですか?」
「……?」
彼もCP9のはずだ。質問の意図が掴めなかったらしい彼が不思議そうな顔をした。
「長官も、CP9として罪の無い一般人を殺した事があるのですか。」
「……。」
「カリファも?ブルーノも?フクロウも、ジャブラも?」
席を立って、転がったペンスタンドを拾ったスパンダムは、口を一文字に結び眉間に皺を寄せて再び席に着いた。
コンッと音をさせて机の上にペンスタンドを置き、真っ直ぐ私を見た。
「ああ、殺した。随分前だが。CPで、殺しに手を染めた事が無い奴は居ないだろう。一般人だろうがそうでなかろうが。しかし殺すときにはそれなりに理由はある。任務の妨げとなる時、自らの命や立場が危険にさらされた時。……ルッチは何も罪の無い人間を殺したのか?」
「……それは。」
それは違う。彼があの人を殺したのは、私を……。
「意味も無く、通り魔のように、あの酔っぱらった海賊の末端構成員に指銃を撃ったのか?」
「……あの人、海賊だったんですか。」
スパンダムは「そんな事も知らなかったのか」というように嘲るような顔をした。
「ルッチが、その男を殺した理由を考えろ。俺は、処理した男の素性や死因は分かるが、どういう状況で殺されたかまでは知らねえ。でも、お前がその場に居たってだけで殺した理由なんていくらでも思いつくがな。」
痛い所を突かれ、膝の上で両手を握りしめる。
でも、それでも……
「それでも、殺しなんて正当化されて良い事じゃない……。」
「だから、政府も正当化できる人間をCP9だけに限っているんだろうが。正義の人間にその権限を与えた理由はなんだ?悪が理不尽に死を蔓延させないためだ。俺らの仕事はそれを許されなければ自分が危ないほどの任務を背負っている。」
「……でも。」
「理解しろ。」
「……理解。」
「無理でも、理解しろ。……CP9と一緒に居たいんだろ。」
強く言いくるめられ、もうそれ以上は何も言えなかった。
だって、確かに私はCP9と一緒に居たい。
カリファも、カクも、ジャブラも、ブルーノも、この世界に暮らす私にとって、かけがえのない存在になった。
もちろん、ルッチも。
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