No.117




下りていた両足をソファーに乗せ、膝を抱える。

口元を両膝に埋めながら、ソファーテーブルを睨み付けた。
テーブルの上には、中途半端なページを開いたままの書類の束が広がっている。


私の前にこの世界にやってきた4人の日本人たちを思う。
きっと彼らの人生の最も重要な部分を沢山沢山省略して語られれている、あまりに無機質な報告書の書面で、彼らという人間たちを想像する。

日本からこの世界に来て、同じようであまりに違う世界に戸惑い、信頼し、裏切られ、恋をして、愛されて、恐怖し、畏怖され、色んな事があったのだろう。

その人生が終わってみれば、たった書類1頁に要約されるのだ。
粗末な小説のプロットのような箇条書きを切ない気持ちで見つめた。

きっと、私もこの1頁になるんだろう。

そう思ったら堪らなくなり、これ以上の頁を捲る事は出来なくなった。


「起きてるか?」


急に顔を覗かせたジャブラに驚き、慌てて書類を手近にあった雑誌に挟んだ。


「ちょっと、ノック位しなさいよ。長官室じゃないんだから。」

「お前も大概長官をバカにしてるよな。」

「まさか!尊敬してるよ。」


心外だと言う風に目を見開いて返せば、冗談と思ったのかジャブラは「ハイハイ」と言いながらニヤリと笑った。


「コーヒー淹れろよ。どら焼き食おうぜ。」

「どら焼きっ?!餡子っ?」

「おう、餡子餡子。」


思いがけなく降って湧いた日本食材に色めき立って顔を上げる。
膨らんだ茶色い紙袋を見せつけるように掲げたジャブラが可笑しそうに笑い声を零す。
いそいそとキッチンに向かいながら、ふと立ち止まってジャブラを振り返った。


「でもさ、どら焼きにコーヒーは無いんじゃない?」


微妙な顔で、首を傾げて見せると、紙袋から早速どら焼きを取り出して口に咥えたジャブラが面倒そうな視線を向けた。


「知らねえよ。なんでも勝手に好きな茶淹れろ。」


はーい、と機嫌よく返事をして、再度キッチンに向かう。
そういえば、エニエスロビーに居た頃はこの世界に日本に似た文化を持つ島があるなんて知らなかったから、日本茶を要求したことも無かったのだ。
つまり、この部屋のミニキッチンには緑茶も番茶も無い。
どうしたもんかと彼方此方の棚を開け、ようやくウーロン茶のティーバッグを見つけ出した。

まぁ、これで妥協しよう。

妥協した温かいウーロン茶のマグを持ちリビングへ戻る。
ジャブラの前にマグカップを一つ投げやりに置き、紙袋から大きなどら焼きを取り出した。


「わ、まだあったかいじゃん。どうしたの?」

「最近、そこの通りの二本目の道入ったとこに、ワノ国の菓子を売る屋台が来るんだよ。」

「へえ。」

「運が良ければ、買える。これと、タイヤキ?なんか魚型のやつはその場で焼いてる。」

「良い事きいた!今度るっ……」


っち、さんに教えてあげよう。

あまりに自然に口にしそうになった言葉を途中で飲み込む。
私が途中で言葉を切った事で、ジャブラがマグカップを口元に運びながら私を上目使いに見た。
視線に気付かない振りをしながら、もくもくと口いっぱいにどら焼きを頬張る。
ズズズ、とジャブラがお茶を啜る音が室内に響いた。

何故かそのあとお互い無言でどら焼きを食べる時間が流れる。
変な風に言葉を切ってしまったから、話のきっかけを掴めずにいた。

あっという間にどら焼き2つを食べ終わり、ちびちびと熱い烏龍茶を啜っていたジャブラがマグをテーブルに置いて、ごろりとソファーに横になった。
横向きになり、片手で頭を支え、目を瞑ってはいるが顔はこちらを向いている。


「あー、そういや、フクロウが言ってたな。」


ジャブラが目を瞑ったまま口を開いた。


「どっかの命知らずなお嬢が、CP9のバカ猫と付き合い始めたってさ。」

「……へえ。」


努めてなんでもないような顔で手に持ったマグカップをしげしげと眺める。
どんなに眺めたってマグはいつものマグだ。
大きさも形もまったく変わった所はない。

私の反応が薄かったせいか、ジャブラがわざとらしく目をパッと見開いた。


「あれ?知らねえか?バカ猫。あほ猫、野良猫、クソ猫だよ。」

「そんなに色んなバリエーションで言わなくていいよ。」


少し呆れた顔でマグから顔を上げる。
彼はまずい飴玉でも口に放り込んだような顔をしていた。


「お前も馬鹿だよな。なんでよりにもよってあいつなんかと。」

「そうだね。」


自分の馬鹿さ加減は最近特に身に染みて痛感するところなので、否定もせず頷く。
私が流した事で、彼は益々面白くなさそうな顔をした。


「ほんとに理解できねえぜ。俺の方がどう贔屓目で見たっていい男だと思わねえか?なのにあいつは、愛想を振りまくわけでもなく、ただ格好つけたスーツ着てビッて人殺してりゃ女はキャーキャー言う。」


ビッと言いながら、ジャブラが立てた人差し指で空中を指した。
その動作を見ただけで心臓が跳ね、その後しばらくドキドキと脈打つ心臓を沈めるために必死に呼吸を整えなくてはならなかった。


「大体、あいつと付き合ったって、苦労するのなんか目に見えてるだろ?」


不機嫌な顔の中に、気の毒そうな視線を滲ませたので、首を傾げる。


「なにが?」

「どうせ彼女だろうが嫁だろうが、給仕扱いだ。」

「まさか!」


それまで努めて平静を装っていたが、ジャブラの決めつけに驚きの声を上げた。


「そんなわけないでしょ。あんなに家庭的な人が。」

「家庭的!!」


ジャブラが素っ頓狂な声を上げて跳ね起きた。


「おいおい、家庭的って言葉はあいつと最も対極にあるだろ。俺の知ってるロブ・ルッチの話だよな?同姓同名じゃなくて?」

「多分合ってると思うけど。肩に鳩乗っけてるシルクハットの人の事を言ってるなら。」

「まじかよ……何がどう家庭的なんだ?家庭菜園作ってる俺でさえも家庭的なんて言われた事ねえのに?!」

「だって、私、男の人であんなにオールマイティーに家事出来る人見た事ないよ?」

「……。」


ジャブラがまるでハットリが豆鉄砲をくらった様な顔をした。


「あいつが……家事?」

「……。」

「……ふ……ぐ……ぐふっ……ぶっ……。」


ゆるゆると口元から表情筋が緩み、咳込むように吹き出したかと思うと、体をひっくり返して大笑いを始めた。


「ぎゃっははははははは!あは、あっは!ぎゃははははは!!!」


壊れた玩具のように笑い声を上げるナマズ髭を観察する。
家庭的なルッチの何が可笑しいのか全く分からないのだ。
だって、私達が暮らしたあの部屋では、料理も掃除もテレビの配線もこなす、間違いなく家庭的な男だったのだ。

釣り上げられたナマズのように、小刻みにフルフルと長い髭を震わせる男を冷めた目で見つめる。


「ただスマートにスーツ着て、人を殺すだけじゃ女は惚れないよ。」


自分でも思った以上に無機質な声が出てびっくりした。
ソファーの上で笑い転げていたジャブラが、ピタリと動きを止めた。


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