No.120-side:LUCCI
1週間。
あいつが姿を消してから、俺はまた元の生活に戻った。
自分の為だけに朝食を作り、街の人間に馴染みながらガレーラへ出社し、時には同僚と飲んで帰り、真夜中に闇に紛れ宙を歩く。
元通りのはず。
元通りのはずなのだ。
「貴方、いい加減にしなさいよ。」
帰り道、気配を消して急に背後に立たれたことで、瞬間殺気を放ってしまった。
背後の人物を確認し、殺気を仕舞い込む。
バササと羽音を立てて飛んだハットリが、すぐに肩へ舞い戻ってきた。
驚かせるなと後ろを睨み付けると、グレーのスーツに身を包んだカリファが眼鏡に手を触れた。
一瞥してから、再度進行方向を向く。
ぐっと肘が引っ張られ、行きたくもない脇道に連れ込まれた。
「おい、なんのつもりだっポー。」
「うるさいわね。飲みに行くのよ。」
女にしては怪力の域に入るだろう力で腕を引かれ、半ば無理矢理飲み屋に連行される。
本気で拒もうと思えばもちろん出来たが、抵抗する気も起きずに引きずられるがまま付いて行った。
正直、誰も居ない家で一人で酒を飲んで寝るのはそろそろ限界なのだ。
不機嫌を露わにしたカリファと馴染みでもなんでもない草臥れた酒場で向かい合い、お互い乾杯もせずにビールを飲む。
狭いくせにやたらと客の多い店だが、ガレーラの人間はあまり多くはなさそうだ。
他の客共は言葉も交わさずただ黙々とビールとチップスを消費する俺たちをどう見ているのだろう。
不本意ながら、喧嘩中……若しくは別れ話をしにきたカップルといった所だろうか。
自分で連れ込んだ割には、なかなか話し出さないカリファに痺れを切らし、少々乱暴にビールジョッキをテーブルに置く。
「それで?何のつもりでこんな所に連れて来たんだっポー?」
喉が渇いているのか素面では話せない事なのか、ごくごくとハイペースでビールを喉に流し込んでいたカリファがチラリと視線をこちらに向けた。
俺とは対照的に、ほぼ音も無くジョッキがテーブルに置かれる。
ふぅ、と落ち着けるように溜息を吐く。
「分かるでしょ。ナツの事よ。もう、このままナツと関わらないつもりなら良いけど……そうじゃないんでしょ。」
「クルッポー。そうじゃないって、何故そう思うんだ?」
俺の問いに、ふん、と鼻で笑った彼女は長く手入れされた爪先で塩に塗れたチップスを摘まむ。
「だって、未練タラタラじゃない。」
意味が分からず、まじまじと目の前の女を見つめる。
手に持ったチップスを口元に運び入れながら、カリファは向かいの俺をギロリと睨んだ。
「何じろじろ見てんのよ。セクハラだわ。」
心外だ。
何をどう見たらセクハラになるのやら。
話にならない、これ以上は面倒だ。大体俺はこいつとは仕事以外で馬が合った試しがないのだ。
これなら一人で飯を食った方がまだマシだったかもしれない。
席を立とうと脇に置いたシルクハットを手に取ろうとすると、カリファが慌てたようにその手を遮った。
「待って。話は終わってないわよ。」
「大した話じゃない事は分かったっポー。」
「いいから座りなさいってば!」
「クルッポー……さっさと済ませろ。」
うんざりと片肘をテーブルに付き、顎を乗せる。
カリファは食べかけのチップスを口に全て放り込み、ビールで流し込んだ。
「前にナツがね。貴方は無表情なりに喜怒哀楽があるって言ってたのよ。」
カリファがチップスの油で濡れた指先でジョッキの水滴をなぞった。
「そんなのはね、気のせいだと思っていたの。あー……調子に乗らないで欲しいんだけど、私、普段の貴方は自声と表情を完璧に出さないでいると思うのよ。」
「クルッポー、当然だ。」
「うん、なのに、ナツは貴方の感情が読めると言う。でも、彼女の気のせいじゃなかったのね。貴方は確かに感情を出してるわ。……ナツに関してだけだけど。」
テーブルの上のハットリが俺を振り返って来たので、思わず目を合わせる。
「言っている意味が分からないが。」
「貴方、最近自分がどんな顔してるか分かってる?」
カリファが手元のハンドバッグに手を突っ込んだかと思うと、開いたコンパクトを俺に向けた。
ハットリが興味深そうに首を傾げながら鏡を覗きこむ。
鏡の中には白い小さな鳥の頭部と、いつも通りなんの感情も示さない俺の顔が映っている。
「さあな。普段と変わらないと思うっポー。」
「大違いよ。置いてけぼりにされた子供みたいな顔してる。」
相変わらず喧嘩でも売ってるのか挑発的な態度だが、その顔に笑みが乗った。
「寂しいなら、迎えに行ったらどう?」
カリファが俺に向けていたコンパクトを自分の顔に向け、鼻の辺りを触りながら言った。
「クルッポー。誰が寂しいって?」
「素直にならないと、手遅れになるわよ。」
「何がだ?」
「盗られても良いの?ジャブラの話、耳に入ってない訳じゃないんでしょ?」
また、ジャブラか。……フクロウめ。
口の奥で小さく舌打ちをする。
「どっちとくっつこうが、正直私には関係ないの。私はナツが幸せになればいいから。あの子は幸せになるべきだもの。……そう思わない?」
返事を返すことなく、頬杖を付いたまま、ハットリの尾羽の辺りに目を滑らせた。
「ナツの手紙、持ってるんでしょ?……貴方が行かなきゃ、帰って来ないわよ。」
胸ポケットに意識を向けた。
小さな紙片がずっと変わらずそこに入っている。
小さくて、薄っぺらい、たった一言しか書いていない、存在感の大きい紙だ。
「行って、どうすればいいんだっポー。」
視界に白いハットリの尾羽を映しながら、脳裏に映っていたのはあの独特な癖のある筆跡だ。
―貴方が来るまで待っています。
「お前は知らないだろうが、あいつは俺を恋人だなんて思っていない。避けられることもあった。それが、あいつの目の前で殺しをして……決定的になった。怯えられて泣かれる男の気持ちが分かるか?それでもお前は、のこのこと女のケツ追っかけて振られて来いっていうのか?」
「そうね。たまには良いんじゃない?」
ようやく口にした格好悪い俺の言葉に、カリファは笑う事も怒る事も無く飄々と返した。
思わず目の前の女に鋭い視線を向けると、彼女はチップスを口に運びながらニヤリと笑う。
「人生に一度くらい、無様に本気の恋愛ってのも良いと思うの。それで振られるのも一興。」
ぱくりと口元のチップスを食べ、ぐびぐびとジョッキの中身を飲み干す。
空になったジョッキをテーブルに置き、再度バッグに手を突っ込んで白い封筒を取り出した。
「全く貴方達ったら、海列車の切符の取り方も知らないのかしらね。」
全く世話が焼けると、呆れたような溜息と共に差し出された封筒には、SEA RAILWAY の文字。
頬杖を付いてない方の指先で封筒を僅かに開いて覗くと、明日の海列車の切符だった。
「勝手な事するなっポー。」
「なんとでも言いなさい。とにかくその切符代は驕ってあげるから、ここの食事代は驕りなさいよ。」
手早く上着を羽織り立ち上がったカリファは、顎を上げて見下ろして言った。
「その切符、無駄にしたら承知しないから。」
こんなもの貰ったって行かないと、俺が口にするより先に釘を差す。
「じゃあね。彼女に振られても、任務が終わるまでは見捨てないから安心して。」
そしてビール一杯と数本のチップスだけを腹に納めた彼女は、羽織ったスーツのジャケットを翻し酒場を後にした。
グレーのスーツが酒場を出てしばらく経ってから、ようやくのろのろと席を立つ。
がやがやと煩い酒場の中を店主の所まで縫うように歩き、金を払った。
海列車の白い封筒をナツの紙きれの入ったポケットに一緒に入れる。
益々重くなった左胸のポケットに溜息を吐いた。
……ブルーノの店で飲み直すか。
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