No.123




能力の出現。
それは、私にとって、ルッチの傍に居る意義を失くす事を意味した。


初めて会った日の彼が脳裏に浮かぶ。
大きなソファーに深く腰掛けた彼は、ブランデーのロックグラスを揺らしながら、冷たい笑顔を浮かべて言った。


「その能力とやらが生まれる瞬間には俺の前に居ろ。」



彼の望む通りになってしまった。

願わくば、彼の与り知らぬところで起こってほしかった。
クザンの前で起こっても、スパンダムの前で起こっても良かった。
いつどこでどんな能力が現れたとしても、彼には一生かくしておきたかった。

じわじわと、絶望が胸を支配する。
目を落とし、手の平を見つめると、そのまま頭を抱えたくなった。

彼と会ったら、何を話そうと思っていたんだっけ。
なんだかもう、それも、まったく関係の無い話になってしまった。
それもこれも全て、こんな最低のタイミングで能力なんかが生まれるせいだ。

しかも、CP9で使ってもらえそうな、ちょっと便利な能力ならいざ知らず、こんな救急セットみたいな地味な力……。
どうせなら、透明人間になるとか、この場に居ない人の話が盗み聞き出来るとか、諜報っぽいのが良かった。
俯いたままぐじぐじと自分の能力について考える。


私と向かい合っていたルッチが一歩前に出た。
重心が後ろに押され、とん、と腰の辺りがシンクにくっついた。
濡れたシンクの縁の水気を服が吸い込み、腰の辺りにひやりと濡れた気持ち悪い冷たさを感じる。
彼は私との距離を詰める事でシンクと自分との間に私を追い詰めたのだ。

下げていた視線を恐る恐る上げる。
すぐに見下ろす彼と視線が交わった。


「……それで。」


ゆっくり、彼の口が開くと共に、彼との終わりを覚悟した。


「俺がここへ来たら、お前は帰るんだな?」


彼の口から発せられたのは、想像していた言葉ではなかった。
思わず「は?」と聞き返すと、彼の眉が歪み、まつ毛が震えた。


「……帰らないのか?」

「……えっと、どこに?」


我ながら間抜けな質問だったと思う。
それほどまでに、私の脳は正常に機能していなかったのだ。
ルッチが、ゆっくりと視線を逸らし、また、戻す。


「お前の住所は、まだ、俺と同じだったと思ったが。」

「……そう、そうです。」


言いづらそうに低い声で紡ぐ彼の言葉に、小刻みに頷く。


「……あなたと、同じ。」


ふつりと瞳に涙が浮かぶ。
なんとか落ちないように堪えているが、表面張力のように限界まで溜まったそれは、ほんの些細な刺激でもあっという間に瞳から零れ落ちるだろう。

彼の左手が、私の耳元から髪の毛の中に差し込まれる。

ほら、たったこれだけで、零れて行った。
クリアになった視界で彼の瞳を見つめる。
何か言いたくても、私の最後の手札であった能力もさっき彼の目の間で生まれてしまったし、もう、何も言う事はできなかった。

右耳から側頭部に沿わされた彼の手は、まだ少し湿っていて、なのに温かかった。


「俺のこの手は……何人もの命を奪ってきた。」


静かに目を閉じて、頭に触れる彼の指先に集中する。


「諜報、暗殺、極悪犯なら生死問わず捕獲しろと言われることもある。……これからも避けることは、不可能だ。」


彼の声は決して大きくなかったが、低く響くように私の鼓膜を震わせた。


「お前がそれを受け入れられないと拒んでも、俺はお前に縋りつく覚悟でここへ来た。」


閉じていた目を開けた。
驚き、そのまま目を見開くと、彼の口角が少しだけ上がった。


「無様で格好悪い俺を、振るなら振っていい。CP9である以上、ハナから恋愛などしないと決めていた。……それでも、お前を諦めきれなくて女々しく後を追いかけて来たんだ。」


私の耳元にある、彼の左手の上に自分の手を重ねた。


「……振ったのは、貴方の方だと思ってました。」


ルッチの瞳が僅かに細められた。


「ただ諜報に名ばかりの恋人が必要なだけだと。私じゃなくても良いのだと。ただ、都合よく私が其処に居ただけなのだと。……貴方に愛されてなんか、ないと、思ってました。」


くしゃりと、彼の左手が私の髪を混ぜる。


「確かに、そういう意図もあった。……だけど、俺は、お前を愛してないなんて、一言も言ってない。」


空いていた彼の右手が、私の左頬と耳の辺りを撫でた。
切ない彼の声が、言葉を絞り出すように掠れる。


「何とも思っていない女と、一緒に暮らしたりなんか、しない。」


二度目のキスは、私からだった。

それは、衝動的な、まるで体当たりのようなキスだった。


[*prev] [next#]

ALICE+