No.126-side:CP9
いやあな、臭いがしていた。
きっと世間一般では良い匂いと言われる香りだろう。グリーンノートを思わせるスッキリとした気取った香りだ。
しかし、なんと言われようと、俺にとっては嫌な臭いに違いない。
鼻をモゴモゴと動かしながら首を捻る。
これ、なんの匂いだっただろうか。
今日も任務を終え、腕を回して肩甲骨のコリをほぐしながら、長官室を後にする。
階段を下りながらウォーターセブン組を恨めしく思う。
W7で探っている事柄は、そりゃあ俺が昨夜から先程まで掛けて熟した任務とは比べ物にならない位重要で大きいものだし、大がかりな長期任務になるわけだから苦労も多いだろう。
しかし、やつらが居ないからといって仕事が減るわけではない。
本部に残った人間が熟す日々の任務の量を考えてみて欲しい。
しかも、だ。最近の革命軍や反乱軍などというのは、どうやら入口を狭く作る事が流行っているらしい。
実はフクロウなんかはああ見えて気配を消す能力に長けている。
「音無しのフクロウ」なんて呼び名があるくらいだ。
しかし、音や気配は消せても流石に体を縮ませるのは無理だ。
音が消せても内部に入れなければ意味が無い。
必然的に体の大きいフクロウ、クマドリの二人が熟せない仕事は全て俺に回ってくる。
激務すぎる。これが今流行のブラック企業か。
そろそろ俺はオーバーワークで倒れると思う。
そうなったら是非ギャサリンちゃんを俺専属のメイドにしてほしい。ギャサリンちゃんに看病されたい。
俺が癒されるためにはそれしかない。
そうなった場合のギャサリンちゃんへの給料の特別手当は労災でなんとかしてもらえるんだろうか。
ぐだぐだと考えながら階段を下る。
俺が階段を下るのと同時、階下から二つの足音が上って来た。
ふわり
またグリーンノートが香る。
あああ、思い出した、この匂い。
「お前ぇだったか、ドブ猫。どうりで気色悪ぃ匂いがしてると思ったぜ。」
自分の想像以上に、地を這うような低い声がでた。
まだ姿の見えない吹き抜けの階下に向けてそう言えば、遠慮のない殺気がビュンビュン返ってくる。
「……ジャブラ?!」
殺気と共に返って来た声は、想像していたものとは違っていた。
ああそうか。と思い立つ。
ルッチがこんな可笑しなタイミングでエニエスロビーに来る理由など、一つしかない。
そうか。本当に、迎えに来たのか。
ナツの話を聞きながら、慰めるような台詞を吐きながら、でも何処か現実感の無い話だと思っていた。
ルッチのような男と付き合うなんて。
ルッチが仕事以外に興味を示すなんて。
正直、ナツを慰めながら、あんな男の為に落ち込んでいる位なら、さっさとW7に戻って明確にピリオドを打って来るべきだと思った。
ルッチが来る確率は1割なんてもんじゃない。
5分より低いだろうとも思っていた。CP9であるなら、そうあるべきだからだ。
しかし、その場合は容赦なくナツの友人として殴らせてもらうつもりではあった。
気が振れてるとしか思えないが、それでも今こうやって一緒に居るのならやっぱり現実に二人付き合っているのだ。
話に聞いただけでは得られない実感をじわじわと感じた。
階段を下る俺と、上ってくる二人がようやく数段のステップとフロアを挟んで向かい合った。
獲物を見つけたとばかりに鋭い眼光で殺気を飛ばすルッチと、そんな危ない男の隣に居るのにも関わらず俺を見つけてヘラリと笑うナツ。
白い鳩がルッチの肩の上で翼を大きく広げて威嚇している。
普段ならルッチの面白くねぇ顔を前にすれば、軽い喧嘩の一つでも吹っかけるところだが、隣のポヤポヤした雰囲気に当てられ、すっかり気が削がれてしまった。
「喧嘩しないで下さいよ、ルッチさん。」
ナツが隣の男に釘を刺すと、ルッチはびゅんびゅん飛ばしていた殺気をあっさり仕舞いこみ、肩の鳩は広げていた翼を閉じた。
その様子に拍子抜けして、ずっこけそうになった。
なんだそれ。それでもCP9か。
ついにコイツもリーダーを降りる時が来たか。
そもそもこんな若造がCP9のリーダーなんてチャンチャラ可笑しい話だったのだ。
「そうだぜぇ。家庭的な男は喧嘩なんてするもんじゃねえ。」
ハッ、と数段下に居るヘタレ猫を嘲笑してやると、ただでさえ不機嫌な眉間に1本皺が増えた。
「ちょっと、ジャブラも煽らないで。」
「おめえが言ったんじゃねぇか、ナツ。ルッチは家庭的でオールマイティに家事をこなす男だって。」
「言……ったけど……。」
ナツが困ったように隣の男を見上げる。
ルッチは怒ったような顔のまま見上げた彼女にチラリと視線を向ける。
ナツが参ったような顔で小さく溜息を吐いたのが分かった。
「お前ぇ、ウォーターセブンで相変わらず王様になってんのかと思いきや、まさか大将んちのお嬢様の家政夫になってるとはなぁ。CP9の名が廃るぜ。」
「聞こえが悪い事を言うな。家事だろうが仕事だろうが完璧に出来てこそCP9だ。そういう事言ってるからお前は長期潜入任務を任されないんだろう。」
「うっせぇ!」
相変わらず胸糞悪い事を言うクソ猫に向け、威嚇するように歯を剥きだした。
馬鹿猫がフンと鼻を鳴らし、横のナツの肩を抱いた。
「だが、プライベートで飯を作ってやろうと思うのは限られた人物だけだ。悪いが俺の作ったフィットチーネがお前の口に入る事は一生ない。」
「要るか!死んでも食わねえ、そんなもん!」
「それがいい。そんな機会が訪れようものなら手が滑って毒でも混入しかねないからな。食いたきゃCP7に行ってワンゼのパスタでも食ってろ。」
「要らねえっつってんだろ!!」
「ルッチさん!」と咎めるように、ナツがルッチの服を引いた。
俺を睨みつけたルッチは、口元だけ笑みを浮かべて馬鹿にしたようにフッと息を漏らす。
「……行くぞ。」
ナツの肩を抱いていた手で彼女の背中を押すように促し、俺との間にあったフロアーへ曲がって行く。
「あ、あ、じゃあね、ジャブラ!」
「おう、さっさと行け。」
慌てたように振り返り、口パクで“ごめん”と伝えるナツに向けてシッシッと払うように片手を振った。
「そうだ、ナツ!」
一応聞いておかなければ、と自室に向かうその背に声を掛ける。
俺の声に二人の足が止まり、ナツがクルリと振り返った。
ルッチも顔を傾げて訝しげな視線をこちらへ寄越している。
「結局、俺の出番は、無かったんだよな?」
ボクシングの素振りのように、握った拳を左右交互に突出しながら聞く。
ナツが少し離れた場所で、アハハ!と声を上げて笑うのが聞こえた。
「うん!大丈夫。本当にありがとう!ジャブラ!!」
明るい声を上げ、手を大きく振る友人に、思わず笑みが漏れる。
男の趣味は頗る悪いが、それでも友が幸せな顔をするのは悪くない。
さて、柔らかい芝生の上で、大の字で眠るとするか。
久々に、酒を飲まなくても良く眠れそうだった。
ぐっと腕を突きあげると、肩甲骨の辺りがゴキリ、と鳴った。
……しっかし、ワンゼのパスタはねえぜ……。
[*prev] [next#]
|