No.130




久しぶりに玄関を開けた瞬間、馴染んだ風景と香りに少し涙が出そうになった。


何の不自由もないエニエスロビーに居たはずなのに、この部屋に帰れたことがこんなにも嬉しい。
感慨深く立ち尽くす私を残し、ルッチは彼らしくテキパキと廊下の電気を付けた。
バサバサと羽音を立て、白い影がリビングに置かれている自分の鳥かごに向かう。
私も留守にしていた自室へ向かおうと、玄関にほど近い扉のノブに手をかけた。

その瞬間、私の手首は捕らえられ、クルリと体を回転させられる。
驚きで息を飲むと、私を捕らえた犯人であるルッチはぎゅうと私の背中に回した腕に力を込めた。
肩口に埋まる彼の高い鼻先が、より強く押し付けるようにうなじを撫でる。


「どこへ行く。」


低い声が、唸るように耳元へ届いた。
どこへと言われても。
自室の扉にチラリと目を向ける。


「いや、どこへって……自分の、部屋へ?」

「そんなのは、」


「あとだ。」と掠れた声が聞こえるのと同時、私の顎は大きな手の平の中に固定され、かぷりとリンゴを丸齧るかのように口元を奪われた。

いきなり動きも呼吸も支配され、私はわたわたと手の平を宙に浮かべるしかなかった。
深い口付けの合間にあっぷあっぷと息継ぎをし、どんなに力を籠めてもビクともしない彼の肩や腕や脇腹をあちこち叩いたり押したりした後、偶然その手が彼の頬に触れた。
そこでようやく私の動きにルッチが反応を示し、少しだけ唇を放す。
その隙を見逃さず、顎を掴んだままの彼の手を退けた。


「ルッ、チさんっ……ちょ、まっ。」

「待たない。」


息も絶え絶えに彼を制しようとしても、彼はそれを一蹴して今度は首筋に唇を這わす。
相変わらず動きは封じられたままだったが、呼吸と言葉に自由が与えられたことでほんの少しだけ私にも余裕が生まれた。


「ルッチ、さん。」


彼の名前を呼んでも、彼は反応しない。
代わりに背中を撫でていた手が腰元から服の中に差し込まれ、地肌に彼の熱くてかさついた指先が触れた。
その感触に体を捩り声を上げる。
先程生まれたほんの少しの余裕など、一瞬にして吹き飛んでしまった。


「ご、ごはんは?!」

「あとで。」

「にもつ、しまわなきゃ。」

「それもあとだ。」


プチプチと軽い音を立てて、彼の手元で私の服のボタンがはじけ飛び、本格的に慌てた。


「る、ルッチさん、ルッチさん!とりあえず移動しましょう!ね!ここ玄関だし!」

「ナツ。」


器用にも私の鎖骨に吸い付いていた彼が顔を上げる。
近い位置で目を合わせてきた彼は、機嫌を損なっているわけではないようだが、いつも纏っている余裕のようなものは感じられず、睨み付けるように私を見た。


「もうこれ以上は待たない。……それに」


私の胸元に添えられていた彼の両手の間で、まるで薄い紙が千切れるような音を立てて、私の下着が破られた。
フロントホックじゃないブラジャーがカップの間で割れ、胸が露わになる。
あり得ない光景に、ひっ、と息を飲む。
暑い訳でもないのに、背中に汗が流れた。


「エニエスロビーで、俺は、お前に、覚えてろと言ったはずだ。」


言いきるや、私を手近な壁に押し付けた彼は、まるで早送りのように首元から自分のネクタイを抜き取り、ワイシャツの胸元を開けた。

こんな事なら、ギャサリンを無視して、あの時最後までしておけばよかった。
悪役の捨て台詞のように「覚えてろよ」と確かに言われたが、まさか帰宅して玄関に入った瞬間にこうなるとは思わないじゃないか。

諦めの溜息を吐き、目を瞑って宙を仰ぐ。
せめて少しの間、この階のご近所さんが廊下に出てきませんように。

彼の首に両腕を回すと、私の太ももが軽々と持ち上げられ、私の中に入るために彼が一歩を踏み出す。
宙に浮かんだ私の爪先が、そこら辺に置かれていたキャリーバッグを蹴りつけた。


ドシャッ、と、中華料理の入ったビニル袋が床に落ちる音がした。


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