No.131




「あーあ……。」


ビニル袋を覗きこみ、私は落胆の声を上げた。


「水水肉まんに、チリソースが付いちゃってる。」


これ見よがしに、キッチンに向けて不満の声を上げる。
キッチンから数枚の皿とカトラリーを運んできたルッチは、興味なさそうに眉を上げた。


「いいじゃないか。味が付いたならタレを用意する手間が省けた。」

「そんなの手間のうちに入らないですよ!それにチリソースでベタベタになって……どうやって食べるんですかコレ。」

「俺が食わせてやる。」

「結構です。楽しそうな顔しないで下さい。」


唇を尖らせながら、彼にビニル袋を手渡す。
彼は、その中を覗きこんで、肩を上下させて息を吐いた。


「機嫌治せ、明日また買ってやるから。」

「もう、いいです!」


呆れたような声を出すルッチに頬を膨らませる。
目に見えて機嫌の良い彼とは対照的に、私の機嫌は悪かった。


*


玄関で、コトが終わって冷静に周りを見渡してみると、其処は惨憺たる有様だった。

私のキャリーバッグは倒れ、温かかったはずの食事はすっかり冷めてビニル袋ごと床に放り出され、辺りはビリビリに破れた布類が散らばっていた。
言うまでも無くそれらは全て私の衣服と下着で、ルッチ自身が身に付けていたものは皺になったり、少し汚れはしていたけど全くの無傷だった。
私が身に付けていたもので無事だったのは、かろうじて足先に引っかかっていたパンプスだけである。

へなへなと脱力して座り込む私の前で、彼は下がっていたボトムを履き直し、自分が羽織っていたワイシャツを私に着せた。
散らばる布片を目にしている筈なのに、全く悪びれた様子も無く、だ。

そして、ほんの少しも草臥れた様子も見せず、テキパキと何処かへ去っていき、すぐに戻ってくる。
バスルームの向こうで勢い良く水の流れる音がしているから、湯船にお湯を溜めているのだろう。
戻ってきたルッチは、へたり込んでいる私の足先からパンプスを脱がして裸足にし、腕を引き上げて立たせる。


「風呂に入ってこい。」


何か文句のひとつも言ってやろうと私が口を開き、ぱくぱくと口を開けたり閉めたりしている間に、彼はさっさと私をバスルームに追いやった。
いきなりの激しい情事のあとでは、断然脳に送られる酸素が足りず、文句どころか愛の言葉さえも舌先に乗せることが出来なかった。
色々と言葉を思い出したのは、半分ほど湯船に溜まったお湯に浸かり長く息を吐き出した辺りからで、ぐうと鳴るお腹を押さえながら、ひとまず食事やらお風呂やらセックスやらの順番があまりにも滅茶苦茶だと抗議しようと勢いよく立ち上がった。

脱衣所を出ると待ち構えていたかのようにルッチが立っており、丁度いいところに居た彼に風呂の中で考えていた事を伝えようと口を開く。
しかしすれ違いざまに唇を奪われ、彼の顔が離れた時には私の背後のバスルームの扉は大きな音を立てて閉まってしまったのだった。

そして、結局何も言えないまま今に至る。


ソースが零れてベタベタになったタッパーからルッチが次々と料理を皿の上に盛り付けていく。
きちんと盛り付けられると、それほど料理の被害は気にならず(水水肉まんの皮以外)美味しそうな香りで空腹感が刺激される。
ルッチが目の前に差し出した盛り付け途中の水水肉シューマイを口の中に受け入れる。
冷めてはいたけれど、プルリとした皮が口の中で弾け、水水肉の餡が口の中でジューシーに広がった。


「これは……ビールがないと!ビール飲みます?ルッチさん。」


シューマイの美味しさで容易く機嫌を直した私に、ルッチは顎を振って冷蔵庫を示した。
それを合図にいそいそとキッチンへ向かう。
大きな冷蔵庫の扉を勢いよく開けて、私はしばし固まった。

私がこの家に引っ越してきてから、ルッチが食事を疎かにしているのを見た事が無い。
勿論、付き合いで外食をする事もあるけれど、基本は家で食べることが多く、それらの殆どを彼が作る。
彼の料理の腕は本物であるから、いつもこの冷蔵庫は新鮮な食材で一杯だ。

でも、今私の目の前で広がっている冷蔵庫は私がこの家に来て初めて見る光景だった。
調味料以外で食料と言えるは、しなびたレタスに小さくなった生ハムの塊、僅かなチーズと、私が好きなメーカーのピクルスの瓶。それだけだ。
ふとゴミ箱に目を向けると、冷蔵庫に入った投げやりな感じの食材とは対照的に、そこは酒瓶やビールの缶で溢れんばかりになっていた。

私の居ない一週間の間、彼はこの部屋でまともな食事も摂らずにただ酒を飲んでいたのだろうか。
無駄に広いこの家で。
私が来る前はもしかしてそれが普通だったのかもしれない。
でも、ぽつりと無人の家に一人座る彼を想像しただけで胸元が寒くなる。
彼の隣に誰もいない光景はなんと寂しいものだろうか。
堪らなくなって、ダイニングに駆け戻ってルッチの背後に抱きついた。

皿に料理を移し終えた後の空のタッパーを適当に袋に戻していたルッチが、ふ、と息を吐き出すように笑ったのが分かった。


「なんだ。誘っているのか?」


瞼に浮かんだ光景を消し去るようにぎゅっと強く目を瞑って、彼のウエストに回した腕に力を込めた。
そして、ふっと力を抜いて、笑って彼を見上げる。


「まさか!もうお腹ペコペコです。これ以上食事を後回しにするようなら、私スト起こしますよ!」


ルッチが私の差し出したビールの缶を受け取って、ふんと鼻で笑う。


「ストか。家出よりはマシだな。」

「いいから!早く食べますよ!」

「ああ、口を開けろ。肉まんの皮中心に食わせてやる。」

「自分で食べるので結構。っていうか肉まんの皮中心?!」

「お前が食べたいって言うから買ったんだろ。」

「じゃあ、ルッチさんはシューマイのグリーンピース中心に食べて下さい。」

「いいだろう。」

「いいの?!」


下らないやり取りで、賑やかに食事が始まった。
私ばかりがケラケラと笑い転げて、ルッチは片頬を上げる位だけど、それでも、楽しい。

この人が、好きだ。

愛し合っていると交わした瞬間から、彼への想いが一層強く深いものになる。
今までも、同居人としての情、家族愛、友愛、片想いの焦がれ、そんなものはあった。
でも今私の胸の中で燃えている情念の炎はそれ以上に熱く、重く、甘い。


私達は、出会って一緒に暮らして随分経つのに、なんと勿体ない日々を過ごしていたのだろう。

きっと、もっと早く、こうあるべきだった。

ハットリに導かれてこの世界に来た時から、私達はきっと、こうなるべきだったのだ。


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