No.133
電伝虫が鳴る音で目が覚めた。
ふと起き上がると見慣れた部屋に一人で寝ていて、昨日の出来事が夢だったような錯覚を覚えた。
しかし、ブランケットに包まれた自分は見るまでも無く全裸で、視界に入った二の腕の赤い痕が全ての記憶を現実だと主張する。
ブランケットから腕を伸ばすと、ひんやりとした空気にブルリと震えた。
ふと風の吹く方を見ると、ルッチが窓を開けて行ったらしく、レースのカーテンがふわりと膨れた。
プルプルプル……プルプルプル……
「そうだ、電話……。」
随分と重い身体にのろのろとブランケットを巻き付け、ベッドから降りた。
「もしもし、」
「ナツ?!ナツなのね?!」
「……カリファ。」
受話器を取った瞬間、私の言葉に被せ気味に高い声が聞こえた。
私が彼女の名前を呼ぶと、息を詰めたような気配がし、その後から綺麗な彼女の声は鼻にかかったような音に変わった。
「よかった。……これで帰って来なかったらどうしようかって、もう。」
「だって、エニエスロビーに行ってみたら。ってカリファが言ったんじゃない。」
「……そうなんだけど。」
「心配した?」
「当たり前よっ!!」
彼女の声に合わせて、電伝虫が目を吊り上げた。
大好きな友人が目に前に居るような気分になり、笑みが零れた。
「今日、出勤時間に間に合わなかったんだよね?ごめん、今起きたの。」
はぁ……と溜息を吐きながら言うと、受話器の向こうでふふふと笑い声がした。
「そうね。今から来ても大遅刻よ。もうお昼だもの。」
「ああ、本当にごめーん。そういえば目覚ましも掛けてなかったし、ルッチさんも起こしてくれなかったの。」
「ルッチが、今日まで休みだって言いに来たのよ。」
「ルッチさんが?」
意外だ。
昨日の彼は例外的に情熱的だったけれど、基本はやはりドライで自己主義な人間であると思う。
カリファから「ナツはどうしたのだ。」と問われたならいざ知らず、彼からわざわざ言いに行くなんて。
私の不思議そうな声色に彼女も思う所があったのだろう。
「あなたの、事だから言いに来たのよ。あなたの、仕事に関わってくることだから。」
やたらと“あなたの”を強調する言い方は、彼女なりに私たちを冷かしているのだと分かった。
少し照れくさくなって「あ、そう。」とだけ、返す。
電伝虫がカリファの表情を模したように柔らかく笑った。
「……よかったわね。」
声色が柔らかくなる。
「あいつは、とことん恋愛に向かない奴だけど、たぶん、あなたについては真剣よ。」
「……そうなら、嬉しい。」
「そうよ。……本当に良かった。ずっと近くに居たのに馬鹿よあなた達。」
「私もそう思う。」
彼女の言葉に素直に頷くと、電話口の向こうでふっと息が漏れた。
笑ったのか、溜息を吐いたのか。
カリファの表情を模しているはずの電伝虫は、困ったような笑みから表情を崩さない。
電話口の向こうで「……カリファ?……ああ、電話中か。」と聞き覚えのある声が聞こえた。
「カリファ、社長が呼んでる。」
「……そうね。これから会合の為にプッチへ行かなければいけないの。」
「そうなの、相変わらず忙しいね。」
「ええ、まあね。」
電伝虫の顔が、キリリと引き締まった。
カリファが仕事モードに入ったのだろう。
「じゃあ、そろそろ。……ああ、ナツ。」
「……うん?」
電話を切ろうとしたカリファが思い出したように、私を呼びとめた。
彼女は、囁くような小さな声になる。
「今夜、私達、あちらの方の仕事で集まるの……だから、その、ルッチ、遅くなると思うわ。」
「え、あ、」
カリファの言葉を飲み込むのに少しばかりもたついた。
あちらの方の……CP9の、と理解し、慌てて頷く。
「そっか、わかった。うん、わざわざありがとう。教えてくれて。」
「いいの、じゃあ、また明日ね。明日は寝坊しないのよ?」
「うん、わかった。じゃあ、」
電話の切り際、受話器の向こうで男性の声が聞こえ、カリファが「手配済みです、社長」と返した声が聞こえた。
日常が戻ってくる。
ブランケットをベッドに放り投げ、そこらへんに散らばっていたキャミソールや下着を拾い上げる。
クローゼットから適当なルームウエア用のワンピースと下着を取り出して身に付けた。
リビングへ出ると、散らかしたまま寝室に移動したはずなのに、生活感を感じない程隙なく全て綺麗に片付けられ、まるでモデルルームのようだった。
カウンターの上には、ラップが掛かった玉子料理の皿と、パンと、スープボウルと小鍋。
私がこの部屋に引っ越して初めて迎えた朝を思い出した。
材料も無かったはずなのに、朝市にでも行ったのだろうか。彼の事だから、きっとそうなのだろう。
鍋の蓋を開けて、ゴロゴロと野菜が泳ぐスープを覗きこみ笑みを零した。
とりあえず私に残された仕事は、自室の掃除と、ベッドカバーの洗濯だけのようだ。
それなら洗濯機だけ先に回してしまおう。
久しぶりの彼の手料理は、その後のお楽しみだ。
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