No.134




私とウォーターセブンへ帰って来た翌日から、ルッチは一日のうちでCP9の仕事に割く時間を増やすようになった。

せっかく名実ともに恋人同士となったのに、夜を二人でゆっくり過ごす時間はなかなか持てず、一人でベッドに入り、いつの間にか帰っていた彼の腕の中で目を覚ます日々を送っていた。

ほんの少し寂しい気もしたけれど、それが彼の仕事だし、私は不満を言える立場ではなかった。
早く任務を終わらせてもらいたいとも思うけど、まだウォーターセブンでの平和な同棲生活を楽しみたい気持ちの方が勝っていて彼には言えない複雑な感情を持て余していた。


*


この日は珍しくルッチが夕食後も家に居た。

明日会社に着ていくブラウスにアイロンを掛けることも後回しにして、ソファーでコーヒーを飲む彼の膝に頭を乗せ、ぼんやりとテレビを見ていた。
彼の膝は筋肉質で硬いし見た目より太いし、頭を乗せて気持ちいい事なんて一つも無いんだけど、一緒に居たいささやかなアピールだ。
彼も文句も言わず髪を梳いてくれるから、こんなに寝心地の悪い枕で居眠りさえしようとしていた。

私の頭皮を撫でる彼の指先がピクリ、と止まる。
閉じていた目を薄らと開けてみると、視線の先の壁と窓に、音も無くスルスルと切れ込みが入る所だった。
まるで壁と窓の素材の違いも無いかのように大きな人型に切れ目が入ったそれを目を見開いて見つめる。
驚き過ぎて体を起こすこともせず、ルッチに膝枕されたまま体を硬直させていた。


「へへっ、良い所をお邪魔して悪いね。」


もとからその切れ込みがドアだったかのように入って来たのは黒尽くめの格好をしたブルーノで、その後に同じように全身黒い服を纏ったカリファとカクが続く。
カリファが私たちを見た瞬間にピンと背筋を伸ばし、きゅっと鋭く人差し指を突きだした。


「ルッチ!あなたナツになんて事しているのよ!無礼者!セクハラだわ!」


彼女の指摘に、あわてて体を起こしてルッチから距離を取る。
しかし、こんな時こそ冷かしたり冗談を飛ばしそうなカクは、何も言葉を発することなくただ、するりと部屋の隅に移動した。
おや、と思って彼を見ると、私の視線に気付いたカクは少し煩わしそうに目元を歪め、僅かに俯いた。
キャップの鍔が彼の表情を隠すように鼻の上まで影を作る。


「いつまで部外者がここに居るんじゃ。任務にチャラチャラした感情を持ち込むんじゃないわい。」


温度の無い声を上げたのは紛れも無く壁際に立っているカクで、部屋に居た人間がそれぞれ少し驚きながら彼を見る。
しかし、彼の表情はうかがい知れず、少し気まずい空気が流れた。


「え、と。そうだね、ごめんなさい。」


どうやらカクは私に怒っているらしい。
そう感じるには十分な空気だった。
静寂を少しずつ破るように小さく声を掛ける。
おずおずとソファーから立ち上がり、未だ座ったままのルッチを向いた。
私と目が合うと彼は小さく頷く。


「自分の部屋に入っておけ。」

「……はい。」


普段通りの彼の声色に安心し頷く。
カリファとブルーノを見ると、二人はどうしたらいいものか図りかねるような微妙な表情をしていた。
なんだか申し訳なくて、困ったように笑い掛け、小さく手を振ってその場を後にした。

私が部屋に入るとルッチのものか、ブルーノのものか、低い声がボソボソと聞こえ、ハットリが激しく羽ばたくような音がした。
続いて訪れた静寂に人の気配は感じられず、ほんの少しだけ部屋のドアを開けてリビングの様子を窺った。
少しだけ見えるソファーにルッチの背中は無く、やはり家の中には誰も居なくなったようだった。

細く開けたドアを静かに閉めて、肩を落とす。
一人取り残された寂しさ、ルッチ以外の三人が私の知ってる三人とは違う人のように見えた、僅かな不安。
そんなものを振り切るように頭を大きく振る。
いつからかルッチの隣では結うことの無くなった髪がバサバサと視界の邪魔をした。


「……もう!」


煩わしい髪を後頭部まで撫でつけ、ドレッサーから適当なゴムを取り出し結うと久しぶりの感覚に首筋が寒く感じた。


「あー……そうだ、アイロン。」


もう色んなことに目を瞑って眠ってしまおうと思った所で、残していた仕事を思い出す。
渋々アイロン台を出し、クローゼットの手前に掛けられたハンガーに手を伸ばした。


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