No.137-side:LUCCI




「無理じゃ。」


カクがぞんざいに振った手がナツの持っていたファイルに当たり、ばん、と大きな音を立てた。

二人は会話が騒音に紛れるように木挽きの作業場近くに来たのだろうが、大音量で木を挽く音が鳴り続けるこの場にずっと居ると、むしろ人間の声の方がよく耳に入ってくるというものだ。
例にもれず、二人の会話は障害なく丸太の上に座る俺の耳にも入ってきていた。

ナツはファイルを叩かれた音と手に伝わった衝撃に一瞬ひるむも、すぐに体制を立て直し、なおもカクに食らいつく。


「なんで!別に毎晩毎晩用事があるわけじゃないでしょ!」

「毎晩毎晩あるんじゃ!文句があるならお前さんの彼氏に言え!」


カクが言うと、同時に二人がこちらに一瞬目を向ける。
なんだ、こちらを見るな。


「じゃあ、ランチでもいいよ。終業後に少しお茶飲むのでもいい。10分でも5分でもいい、お願い時間頂戴。話がしたいの。」

「……。」


ナツが口調を緩め懇願する。
どんどん作り上げられる断れない雰囲気に、カクがぐっと口を閉ざした。
しばらくの無言の後、低い声で「お断りじゃ。」と呟く。


「ワシは、お前と話すことなんか、ないわい。」


そして、高く跳躍したカクが屋根に上る。
そして、こちらを振り向くこともなく港へと向かった。
まるで犬に追われ困窮した野良猫のように高い位置に飛んだカクを、俺は半ば呆れながら目で追った。

瞬く間に目の前から消えた影を言葉無く見送ったナツは、しばし呆然とした後、ふとこちらに視線を向ける。
俺の代わりにハットリが肩をすくめて見せた。
目に見えて肩を落とす彼女の様子に思わず俺もため息を吐く。

大鋸がゴリゴリと木材を挽く音と、木の節目に楔を打つ甲高い音がひっきりなしに鳴り響く。
腕の中のファイルで口元を隠した彼女は、踵に鉛でも仕込まれたかのような重い足取りで建物の中へ戻っていった。


−−−

積んである丸太の裏側。
伸びる影に擬態するように、細い体が横たわっていた。
天を突き刺すように長く伸びる鼻の上、目元を隠すように帽子をずらし、両手を後頭部に回している。
まるで眠っているようだが、俺はこいつが起きていると確信していた。
裏付けるように、俺の気配を察してか、帽子のすぐ下の鼻がヒクリと動く。


「クルッポー。お前らしくない。」


いつだったか、自分が言われた言葉をそのまま奴に投げかけてみる。
目の上の帽子を指先で浮かし、つばの下から不機嫌そうな瞳が覗いた。


「うるさいわい。ワシの事なんか放っておけ。」


そしてまた瞳は帽子の下に隠れ、帽子を持ち上げていた片手も彼の後頭部を支える役目に戻る。
俺は素直に引き下がり、いつもの様に丸太の上に腰を下ろすことにした。
背後に寝転がったままの同僚の事は放っておいて、目の前を木材を担いで行き来する部下たちの動きに中止する。


「おい、下っ端に大鋸を使わせるなら誰か真ん中に立っていろッポー。」

「ウェイッス!」


さっそく縦挽きをしている連中に声を掛ければ間髪入れずに声が返ってくる。


「誰かさんは、絶好調じゃのう。」


むにゃむにゃと、寝言のような声が背後から届く。
じろりと睨むように声の元を見下ろすが、相変わらず帽子で目元を隠し、寝たふりを決め込んでいるようだった。


「クルッポー、いつものことだろう。仕上げの前に女を整理するのは。」

「……そうじゃけど。」

「ポッポー。情に掉させば流される。だろ?」


それは、いつかの任務の時、カク本人が俺に言った言葉だ。

甘い言葉や態度で次々女を誑し込みながら、仕事が佳境に入るとあまりに冷徹に縋る女たちを切り捨てる。
俺も任務に必要ならば、富豪の娘だろうが、給仕の女だろうが、酒場の片隅で落ちぶれた売春婦だろうが、利用し捨て去ることもある。

しかし、この男は仕事に関係なくそれをする。
任務中の自分の欲を満たすためだけに、だ。
こいつも大概神経がイカレてると侮蔑の視線を向けた俺に、こいつはそう言い放った。

“情に掉させば流される”

いちいち情に絆されていると自分の足元が掬われてしまうだろう。と。
確かにそうだ。そう割り切れるなら、いい。
その日から俺はこの男がどんなに性に奔放な振る舞いをしても、目を瞑るようになったのだ。
しかし、今まさにこいつはその時の自分の言葉に首を絞められている。


「クルッポー。嫌なら、女なんて作らなければいい。今回だって別に必要なかったはずだ。」

「……お前さん、本当に正常な男か?」


思わず、といった調子で顔の上から帽子が除けられ、化け物に対峙したかのような目で見られる。


「当然、正常な男だッポー。」


きっぱりと返すと、カクは嘲るように笑った。


「ああ、そうじゃったな。お前さんはあの子をどうするつもりなんじゃ?」


この島での任務の片が付いたら……。


「ポー。連れて行く。置き去りにするつもりはない。」

「……ははは、そうか。それはいいのう。あの子には、それが出来るんじゃから……。」


カクの目元はまた帽子に覆われた。


「ポッポー。お前の葛藤はどうでもいいが、ナツに八つ当たりするのはやめろ。」

「……。」


俺の言葉にそれ以上言葉が返ってくることはなく、数分もしない間にぐうぐうと鼾が木挽きの音の合間に混じるようになった。


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