No.35




まだ9時にもなっていないのに、私はホテルに向かって歩いていた。
道路脇を流れる水路を覗き込めば、闇夜に染められた水がチャプチャプと音を立てて流れていた。


「いつまでむくれているつもりだ。」


ホテルまで私を送ってくれるために隣を歩いていたルッチが溜息と共に私に話しかけた。
すぐには返答をせず、怒っている事を十分にアピールしながら、小さな声で返事をした。


「だって、まだお開きの雰囲気でもなかったのに。」


実際、ルッチが「送るから、もう帰れ。」と言って、私の腕を掴んで立ち上がった時に、他の4人は「まだいいじゃないか」と止めたのだ。

それまで、結構わいわいと楽しく飲んでいた最中、本当に唐突に腕を掴まれ、帰れと告げられたものだから私を含め他の人間は慌てた。
特にカクは「まだ仲良くなっておらん。もっとナツと喋りたいんじゃ。」と言って最後まで反対側の私の腕を掴んで離さなかった。
それでもルッチは、「こいつは朝が苦手なんだっポー。」とか「明日はどうしても早い列車に乗らなければいけない」とか言いながら私を店から連れ出したのだ。


「お前、酔ってるだろう。」

「そりゃ、酔いますよ、お酒飲んだんだから。でも、パウリーさんに余計なこと言うなってルッチさんが耳打ちするから、ちゃんと気をつけて発言してたでしょう?」


呆れたような顔で言うルッチに、咬みつくように不満を返した。
チラ、と横目で見上げると、無表情でまっすぐ前を見て歩くルッチの横顔が目に入った。
真っ暗な夜道、月明かりに彫りの深い整った顔が浮かび上がっている。
彫刻のような顔を見て少し溜息を付き、進行方向に顔を向けると、ホテルのオレンジ色の光が目に入った。

思わず、足を止める。
静かに足を止めた私に気付かず、数歩ルッチは先を歩き、私と距離が出来た事に慌てるハットリが彼の肩の上で羽をバタつかせ、ようやく彼も足を止めた。


「どうした?」

「……やっぱり、ブルーノさんのお店に戻る。」

「バカヤロウ。なに言ってんだ。」


今来た道を振り返ろうとすると、大きな手が私の二の腕を掴んだ。


「離してください。」

「いったい、何だっていうんだ。そんなに酒が飲みたかったのか?」


苛立った口調で問いかけるルッチの顔を見つめる。
彼に何か返さないとと思い、「だって……」と言った所で、言葉が詰まった。
ジワジワと胸にこみ上げるものに、自分の事ながら少し吃驚した。

……ああ、私、彼の言うとおり酔っている。
ずっと、気付かない振りをして抑えていた物を押し留めておくことが出来ないくらいに……。

胸にこみ上げる苦しさを、必死に飲み込もうとしたのに、その苦しい塊は、喉を通過し、遂に目の奥に到達して、ポロリ。と一粒雫を落とした。
一粒落とすと、コップから溢れ出た涙は止まる事を知らず、ハラハラと頬を伝い、顎を伝って、地面に落ちた。

強く二の腕を掴んでいた手が緩み、顔を上げると、驚きと困惑の表情でルッチが固まっている。


ごめんなさい、ごめんなさい。私酔ってるんです。酔っ払ってるんです。気にしないで下さい。面倒くさくて御免なさい。

ヒックヒックと、嗚咽を漏らしながら、そんな事を伝えた。
二の腕を掴む大きな手を取ると、その手はいとも簡単に解け、二の腕から離れた。
そのまま、握手をするように手を握る。


「……でも。」


ずず……と鼻を啜ってから、言葉を続ける。
相変わらず、困惑の表情なのだろうか。見上げていないから彼の表情は分からないが、おでこの辺りにひしひしと視線を感じる。


「でも……久しぶりに、楽しかったから。……皆と離れてホテルで独りになるのが……エニエスロビーに帰るのが……寂しいんです。」


泣いた直後の為、震える声でそう言って、ルッチの顔を見上げる。
眉根を寄せたルッチは、私と目が合うと、直ぐに目を逸らし、大きく溜息を吐いた。
ああ、絶対呆れられてる。酔っ払い女みっともないって思われてる……。

自分の失態に少し後悔するも、頭の芯に残ったアルコールのお陰で自棄になり、まあいいか。と開き直った。

ずし、と肩に重みを感じたと思うと、白く滑々とした小さな頭が私の頬にグリグリと押し付けられた。
重みと共に肩にじんわり広がる少し低めの鳥の体温に安心する。

ぐいっと握られた手が引っ張られて、つんのめりそうになった。
ルッチが、その手を握ったまま、ホテルと反対方向に歩き出した。
私にハットリを預け、手を繋いだまま、足早に歩くルッチに恐る恐る声を掛ける。


「ブ……ブルーノさんのお店に……戻るんですか?」

「一度出たのに、そのまま戻るなんて格好悪い事ができるか。バカヤロウ。」


……じゃあ、何処に?
聞きたいけど、長い足でサクサク歩くルッチに付いていくのが精一杯で。
とにかく、まだ一人にならなくていいらしい。という事が、嬉しかった。


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