No.36-side:LUCCI
いつもなら、ザカザカと音がしそうなくらい、大またで勢い良く歩くこの女が、僅かな石畳の段差に時折躓きながら歩いている。
やはり、結構酔っている。
店でのふわふわとした感じでそうじゃないかと思ってはいたが、さっき急に泣き出したので確信した。
グラスビールを2・3杯しか飲んでいないと思っていたが、もしかしたら俺が店に着く前に既にカリファと何杯か飲んでいたのかもしれない。
それか、本当に弱いのか。
爪先が段差に引っ掛かる度に、繋いだ手に力を込めるものだから、俺も急に転ばないようにその都度慎重に意識を向けた。
酔っ払いの介抱などしたことが無い。
ガレーラの連中と飲みに行く事はしょっちゅうあるし、中には羽目を外す奴もいるが、そいつらの相手をするのは俺の役目じゃない。
大抵は、面倒見のよいルル辺りがその役を買って出る事となる。
泣き出した時は慣れない事態にどうしようかと戸惑ったが、とりあえず呂律が回らない訳でもなく話が飛ぶ事もない。ひどく酩酊しているわけではないらしい。
そのまま、ホテルに無理矢理送って、部屋に帰らせれば、そのまま大人しく寝たであろうが、つい、ホテルとは反対方向へ歩いてきてしまった。
泣き上戸な女なんて面倒くさいだけだ。さっさとホテルに送って寝かせてしまえ。
頭の中の俺がしきりに叫んでいる。
真理だと思うし、実際そのつもりだったのに、何故、俺はこの手を離すことが出来ないんだろう。
なんやかんやと理由を付けて店を出てきてしまった手前、今更あの酒場に戻る事は憚られる。
かといって、この時間から酔っ払った女を連れて行くところなんか思いつくはずも無く……。
「ルッチさん……ここって。」
「……水だ。」
「あ、ありがとうございます……。」
ナツの呟きには答えず、冷えたミネラルウォーターを手渡した。
俺の部屋のソファーにおずおずと座ったナツは、ペットボトルを両手で持ったまま、しきりに部屋を見渡している。
「綺麗なお部屋、ですね。……すごく広いし。」
「最近引っ越したばかりだ。」
「そうなんですか。」
「……貸せ。」
ペットボトルのキャップに手を掛けて力を込めるも、なかなか開く様子のないペットボトルをナツの手から取り上げた。
キャップを回し、ゆるめた所でペットボトルをナツに返す。
小さくお礼を述べ、喉を鳴らして水を飲むナツを見る。
3分の1程減ったペットボトルから口を離し、フゥと息を吐いたナツは先程より大分酔いが冷めた顔つきだ。
その表情に少し安堵し、再度立ち上がって水を入れたケトルをコンロの火にかけた。
「さっき、なんで泣いた?」
「あー……。」
もしかしたら、もう少しオブラートに包んで聞くべきなのかも知れないが生憎そんなまどろっこしい事には慣れていない。
俺が、率直に聞いた質問に、ナツは少しバツが悪そうな顔になり、俯いた。
「あの、ほんとに気にしないで下さい。少しセンチメンタルになってたんです。実は、飲んでる時からずっと。」
「……ああ、付き合ってた男を思い出してか。」
「!!」
俺が言ってのけた言葉にナツが大きく目を見開く。
カクとカリファが、こいつに「付き合っている奴はいないのか」と聞いた後の表情を思い出したのだ。
暫くの間の後、いつも通りのヘラリとした顔で「いない」と答えたこいつは、俺と目が合った時、酷く苦しそうな顔をしていた。
尤も、目はすぐに逸らされてしまったし、カクやカリファは気づいてない様子だったが。
「ルッチさんは、ごまかせませんね……。」
眉を下げ、困ったように笑いながらナツが言った。
キッチンで火に掛けていたケトルがシュンシュンと音を立て、それに気づいたナツが立ち上がった。
火を止めるナツの横に、紅茶の茶葉とティーポットを出す。
「私、淹れますよ。」というナツに任せて、カップを2つ出し、一人ソファーに戻った。
「付き合ってた人とは、もう、別れる寸前みたいな状態だったんです。だから、好きだけど、もう諦めていたから未練はないっていうか。」
トレイにカップとティーコゼーが被ったポットを載せて戻ってきたナツは、ソファーには座らず、ラグマットに直接腰を下ろし、ソファーテーブルにトレイを置いた。
ポットからティーコゼーを外し、カップに静かに紅茶を注ぐ。
3・4人分は楽に淹れられる大きなポットの為、残った紅茶が冷めないように再度ティーコゼーを被せた。
俺の前に、カップを一つ差し出しながら、言葉を続ける。
「ただ、友人同士で飲んで恋バナみたいな状況、すごく久しぶりで、懐かしくて嬉しくて楽しくて、同性の友達もすごく嬉しくて、離れがたくなっちゃったんです。」
何も答えず紅茶を啜る俺に「だから、泣いちゃって。ごめんなさい。」と呟く。
小さく頭を下げるナツに「―いや。」と一言告げる。
頭を上げたナツが俺をじっと見つめるのに気づき、何事かとその顔を見返した。
「……なんだ。」
「あの……。」
神妙な顔つきで俺を見ていたナツは、少し言いづらそうにしながらも、決意したように口を開いた。
「あの、……実は、カリファさんにウォーターセブンで暮らさないか。と言われたんです。ガレーラで働いてみないか。と。」
急に言い出した話の内容に、思わず咽かえりそうになるが、平静を装い静かにカップをテーブルに置いて、一つ咳払いをした。
「そうか。」
「……あの、もし、もし私が、カリファさんの提案を受けたら、ルッチさん達のご迷惑になるような事はありませんか。」
とんでもない。願っても無いことだ。
こんなにも早く、俺の思い通りに事態が進むとは思ってもみなかった。
しかし、そんな事は口にせず、少し考える素振りをして口を開いた。
「……CP9の……俺らの正体を匂わせるような事をしなければ、特別問題ないと思うが。」
「そうですか。」
「ウォーターセブンに来るのか?」
「ええと、考えてみようかなって。いつまでも働かないでクザンの脛を齧っている訳にもいきませんし。」
「……そうか。」
カップの紅茶を飲み干し、ナツに空になったカップを差し出し、顎を振ってもう一杯淹れろと促す。
ナツは、それに気づき、ポットからティーコゼーを外し、俺のカップに紅茶を注いだ。
ついでに中身が少なくなった自分のカップにも紅茶を注いでいる。
「来るなら、力になってやらないこともない。」
「ありがとうございます……。」
俺の言葉に、ようやくナツが笑顔を見せ、ホッとしたようにカップを口に運んだ。
「それ、飲んだら今度こそホテルに戻れ。」
「……はい!」
俺の言葉ににっこり笑って返したナツが、大切そうに両手でカップを包み込み、味わうようにゆっくり紅茶を口に含んで小さく息を吐いた。
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