No.37
「またのお越しをお待ち申し上げております。」
カウンターの向こうで恭しく腰を折ったホテルマンに軽く会釈して背中を向けた。
ホテルを出れば、入り口前の水路に既にヤガラが待機していて、私の荷物は全てベルボーイによってヤガラの背中に運ばれていた。
今日は、ヤガラの手綱を持ってくれるカリファは居ない。
一人で出来るかかしらと少し不安になりながらも、見よう見まねで席に座りヤガラブルに声を掛けた。
「あなたを貸してくれたレンタルショップに戻りたいの。OK?」
「ニー!!」
私の呼びかけに返事をするように鳴いたヤガラにホッとする。
あとは、この子に任せよう。
この子ならちゃんと目的地まで連れて帰ってくれるはずだ。
「お気をつけて。」
「またのお越しを。」
ヤガラブルが動き出したと同時に頭を下げるベルボーイに手を振った。
ゆっくりと起きてチェックアウトをしてきたが、まだまだ午前中の太陽の光は白く強い。
煌々と輝く水面に、サングラスが欲しいと、目を細め眉根を寄せた。
ふと、周りを見ると、私が進む方向と反対方向に向かうヤガラや船が多いことに気づいた。
殆どが屈強そうな体躯をした男性で、中にはニッカポッカを身に着けている人も居る。
……そうか。この人たち、ガレーラの社員なんだ。
どうやら丁度出勤時間らしい。
私の乗るヤガラも、流れに巻き込まれないように水路の端を進んでいた。
――おーい!ナツー……!!
どこからか、私を呼ぶ声が聞こえた気がして辺りを見渡した。
しかし、何処にも知った顔は無く、私のほうを見ている人もいない。
首を傾げ、空耳か。と思おうとしたところで。
――こっちじゃよー……!!
ハッとして空を見上げると、屋根から屋根へ軽々と移動した黒い影が見えた。
目を凝らすと、影は此方に大きく手を振っていて、顔からは、昨日初めて見た長い鼻が伸びていた。
「カクっっ!!」
うわっ。すごい、すごい!!
重力など感じさせない身軽さで屋根を渡っていく姿に驚きと共に感動を覚えた。
思わずヤガラの上に立って彼に向けて両手を振る。
私の真上の屋根を飛ぶところで、彼が此方を向いてニッと笑ったのが見えた。
後ろを振り返って、ピョーンピョーンと屋根を渡っていく後姿を見送った。
さっすが、CP9。身体能力は並じゃないわ。
感心しながら椅子に座りなおす。
すると、すぐに何処からかワーワーと誰かが怒鳴る声が聞こえた。
「おいっ!そこのヤガラ!!乗せてくれっ」
橋の下を潜ろうとした所で頭上で声がして、直後に安定感のあるはずのヤガラブルが揺れた。
驚いて、後ろを振り向くと見えたのは朝日に光る金髪。
「お。」
「ええ?!なんで此処にパウリーさん?!」
「パウリー!!手前ぇ待て!金返しやがれ!!」
「待てって言われて待つ奴があるかよ!」
橋の欄干から上半身を乗り出したガラの悪そうな男が数人こちらに向けて叫んでいる。
勝ち誇ったような得意満面な顔でパウリーが男達に返す。
ニーニー!と軽くパニックを起こすヤガラブルを慣れた調子で落ち着かせたパウリーは私の後ろから腕を伸ばして手綱を握った。
「丁度良かった。ナツのヤガラだったのか。」
「ええー!……な……え?どうしたんですか?!」
「ちょっと追われててよー。会社まで乗せてくれ。」
「会社までって、ガレーラって反対方向なんじゃ……。」
「いいじゃねえかよ。おい!ガレーラ向かってくれ。」
「ニー!!」
ゆっくりとUターンして、ガレーラ社員の出勤の波に乗ったヤガラに諦めの溜息を吐いた。
「ていうか、パウリーさん。」
「あー?」
「昨日お金有るって言ってたじゃないですか。返せば良いんじゃないですか?」
「はあ?」
私の言葉に、パウリーが呆れたような顔を向ける。
心外だ。なぜ私が呆れられるのだ。
昨日、彼の趣味がギャンブルだという話を聞いたばかりで、この状況。
呆れるのは此方だろう。
「馬鹿だなーお前。せっかくなら増やしてから返した方が良いに決まってるだろ。」
「絶対増えるとは言えないでしょ。」
「いや、増える。昨日からの俺はノってるんだよ。お前も俺に金を預けてみろ。倍にして返してやる。」
「……遠慮します。」
自信満々に言い切るパウリーに言い返す気にもなれず、呆れて思わず目元を手で覆った。
「しっかし、このヤガラおせーなー。もっとスピード出せねえのか?」
「仕方ないですよ。急ぐ必要なかったんで、お店で一番穏やかな子借りてきたんです。」
「んだよ。借金取りに追いつかれちまうぜ。おい、もっと水路の真ん中泳げ。」
「ニー!」
ヤガラブルが、特に混み合っている水路の真ん中へ移動する。
他の船やヤガラよりもスピードが遅い私たちのヤガラは流れを乱し、注目を浴びた。
「おい、パウリー。女と同伴出勤か!!」
「お前も隅に置けねえなぁ!破廉恥男め!」
パウリーが乗っていると分かった瞬間、周りから野次が飛ぶ。
手綱を握った手がふるふると震えたかと思うと、私の真後ろでパウリーが大声を出した。
「うるっせぇえっっっ!!」
――キーン……
若干耳鳴りがする位の大声に、驚いた心臓がバクバク言っている。
ヤガラも驚いたようで目を見開いて固まり、スピードもほとんど止まってしまいそうな位落ちた。
パウリーが、小さく舌打ちをして、手綱から手を離した。
「ここでいいや。悪かったな、ナツ。助かった。」
「……え?でも、ここ、」
水路の真ん中ですよ?と言おうとして後ろを振り向くが、最後まで言葉を続けることは叶わなかった。
向こう岸の建物にロープを投げ飛ばしたパウリーの姿はもう私の後ろにはなかったのだから。
CP9では無いはずの人の身体能力もハンパない……。
あっという間に“1”と書かれた大きな扉の向こうに消えてしまった姿をヤガラと共にしばし呆然と見つめた。
「あー……っと、帰ろうか?今度こそ。水路の端通って、ゆっくりとね。」
「……ニー……」
私の言葉にのろのろとUターンしたヤガラブルは、進行方向から来る沢山の障害物を上手に避け水路の端へ向かった。
ようやく通行量の少ない場所に移動した私とヤガラは、ホッと安堵のため息を同時に吐いた。
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