No.49-side:CP9




目の前に現れた人物に、ビクリと大げさに肩を揺らしてしまった。
そんな俺に気づいてか気づかずか、ナツはいつものように俺に声を掛ける。


「ジャブラ。今、暇?」

「んあ?悪ぃ。今仕事で呼ばれてんだ。急ぎか?」

「あ、ううん。忙しいならいいの。又今度。」

「おう。悪ぃな。」


笑って首を振るナツに、顔の前で手刀を切って通り過ぎた。
背中に視線をしばらく感じたが、足早にその場を後にした。


……4回目。
これで、ナツをスルーするのは4回目だ。
俺は、恐れている。
次に、あいつが俺に話す内容は、此処から出て行く話じゃないかと……。
その事実を受け入れられずに、逃げている。


「ちっ。」


情けねえ。いい年して俺は餓鬼かっつーの。
あいつは元々こんな所に居るべき人間じゃねえんだ。
軽く送り出してやればいいじゃねえか。
人生に役立つちょっといい話でもしてやって、「頑張れよ」なんつって肩でも叩いてやりゃいい。

……情けねぇ…………。


−−


「……ジャブラ。」


背中から久しぶりに聞く声がして、俺は足を止める。

ナツを避け始めてから10日が経っていた。
話しかけられ、それを有耶無耶にしながら逃げ……を数回繰り返すと、そのうちナツからも話しかけなくなった。
その状態に、俺はホッとしていると思っていたが、どうやらそれは間違いだったらしい。

後ろから掛けられたあいつの声が、自分で思っていた以上に、嬉しくて……。
俺は、自分がずっと寂しかったのだと気付いた。

ゆっくりと、後ろを振り返る。
そこには、小さなボストンバッグを提げて、俺の記憶よりも前髪が少し伸びたあいつが、笑って立っていた。
その、ボストンバッグに胸騒ぎを覚えながらも、俺も無理矢理笑みを作る。


「よお。」

「なんか、久しぶりだね。」

「……そうか?」


口元に笑顔を貼り付けて、とぼけながらも、俺は自分の眉が歪んでいくのを感じていた。
ナツは、変わらない笑みを湛えている。


「ジャブラ、お茶飲まない?」

「いいのか?お前、出かけるところじゃ……。」

「いいの!お茶、飲もう?」


俺の言葉を遮って、ナツが少し強引に誘う。
笑顔を保つ努力はしているが、俺は今、さぞかし変な顔になっているに違いない。
俺の意思に反して中央に寄ろうとする眉間に意識を込めながら、ナツの誘いに頷いた。


「良かった。」


肩で息を吐いたナツは、俺の横に並び、自分の部屋へと導いた。

久しぶりに入ったナツの部屋は、一見変わりが無いようだったが、ほんの少し違和感を覚えた。

ソファーに座って、ナツがお茶を淹れるのを待ちながら少し考える。
ドレッサーの上が何も無くなっている。
ギュウギュウに詰まっていた本棚が大分空いている。
きっと、あのクローゼットの中もほとんど入っていないんだろう。
それに気付くと、なんだか其方を向いているのが辛くなり、体の向きを変え目を背けた。

いつものでかいマグカップを持ってコーヒーの香りと共にやってきたナツは、いつもは向かい側に座るのに、今日は何故か俺の隣に座った。
いつものようにローテーブルにマグカップを置かず、直接俺に手渡す。
そして、ソファーの背もたれに体を沈めながらカップに口を付け、熱そうに一瞬小さく顔を顰めた。
そんな隣のナツを眺めながら、俺はコーヒーに口を付けずにカップをテーブルに置いた。


「今日、だったんだな。」


自分の口から出た声は意外にも穏やかで安心した。
ナツは、チラと目線を俺に向け、そしてすぐに前を見て両手でマグカップを包むように持ち直した。
そして、俺を見ないまま小さな紙切れを差し出して俺が受け取ると、またすぐにマグカップを包み込む。


「それね、私の新しい住所と電伝虫の番号。」

「……ああ。」


紙切れを見ないままポケットに乱暴に突っ込み、俺もナツから目線を外し、少し俯いて小さく返事をする。


「仕事で疲れても、お酒飲みすぎないで。」

「……ああ。」

「私の部屋のソファー、勝手に使っていいから、たまには芝生の上じゃなくてちゃんと眠って。」

「……ああ。」

「コッコの事、インテリアとか言わないでもっと大事にしてあげて。」

「……ああ。」

「ギャサリンちゃんに告白しなよ。」

「……………………ああ。」


コツン、と音がして目を上げると、ナツがテーブルにマグカップを置いて俺の方を向いていた。

そして、ナツの手の平がさっきマグカップにそうしたように俺の両手を包む。
……小せえ手だなぁ。
こんな時になって初めて気づく事をぼんやりと思う。
握られた手からナツの顔に視線を移すと、ナツの目の奥が小さく揺れたのが見えた。


「よかった。ちゃんと会えて。心残りが出来る所だった。」


眉を下げて微笑むナツを無言で見つめ返す。
いっそ心残りになれば良かった。

何処に行っても、俺を気にして、
……そしてまた戻ってくれば良かったのに。


「ジャブラ?会えなくなるわけじゃないよ?」


俺の顔を覗き込むナツの言葉に、俺の顔は遂に大きく歪んだ。
会えなくなるわけじゃない。

でも、こいつの性格から、一般人であるこいつが此処にそうそう気軽に来られなくなるのは火を見るよりも明らかだった。
情けない顔を見られたくなくて俯く。
ぎゅっと力を込めて目を閉じて、そしてまたゆっくり開け、ナツの顔を再度見た。

最後かもしれない、から……


「ごめん。ちょっと抱きしめさせてくれ。」

「……え?」


少し驚いた顔をしているナツの返事を聞くより先に、俺は腕を伸ばした。
こいつは割と背も高いし、女の中では小さい部類ではないと思っていたが、実際腕の中に閉じ込めてみると、その肩は驚くほど小さくて、その腰は少し俺が力を込めたら折れるんじゃないかと心配になるほど薄くて、少しの間の後ゆっくり俺の背中に回った腕も、指も、俺と同じ人間かと疑うほど細かった。

こいつはもう、エニエスロビーに帰ってこないかもしれない。
帰ってきても、その時に俺が居るとも限らない。
帰ってきても、俺が、生きているとも、限らない。

腕に抱くナツの感触に意識を集中させる。

覚えておこう。
生まれて初めて、友人だと思えた人間のぬくもりを。
生まれて初めて、傍で何の他意も無く大笑いし合えた人間の感触を。
またいつか会えたとき、抱きしめて、今日の俺らに戻れるように。


「ジャブラ」


俺の肩に頭を埋めていたナツが、僅かに顔をずらし囁くように口を開いた。


「……元気でね。」

「……お前もな。」


俺も囁くように返し、肩に置かれたナツの頭に頬を寄せた。


そして、その日のうちに、

ナツは、エニエスロビーを、去っていった。


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