No.51
カーテンの隙間から漏れる光が、私の顔に直撃して、その眩しさに意識が浮上した。
赤く光る瞼の裏を感じながら、目を開けるのを躊躇っていた。
だるく寝返りを打ち、腕を投げ出したところで、手のひらにマットレスの感触が感じられず、いつもよりベッドが少し狭いことに気が付く。
ゆるゆると瞼を開け、薄く開いた視界に飛び込んできたのは梱包が解かれていないままのダンボール。
……そうか、引っ越してきたんだっけ。
寝るのは一人なのに、なぜかクイーンサイズのベッドがあったエニエスロビーではないのだと思い出した。
とはいえ、このベッドもセミダブルなので一人用と考えれば十分なのだが、やはりベッド幅が50cmも小さくなるのは慣れるまでに少々時間を要しそうだ。
体を横たえたまま顎を上げ、ベッドサイドに置いていた時計に目を向ける。
もう少しで、短針が9を指そうとしている所だった。
ベッドの上で上半身を起こす。
伸びをするように体を僅かに反らすと、背中がコキリ、と音を立てた。
仕事が始まるのはもう少し先だが、明日から早く起きるように努力しよう。
しばらくベッドの上でぼんやりして、そういえばもう部屋までお花やフレッシュジュースを運んでくれるギャサリンは居ないのだと気づく。
この世界に来て、ずいぶんな身分になったものだと自嘲的に笑みを零し、ようやくベッドから抜け出した。
簡単に身支度を整え、カーテンと窓を開けて光と風を部屋に入れる。
ひんやりとした朝の空気にぶるりと身震いをして、手近にあったカーディガンを引き寄せ肩に掛けた。
ぺたぺたと裸足で歩いて昨日与えられたばかりの自室から出る。
ドアを開けると、そこには既に人の気配も鳩の気配もない。
どうやら部屋の主はもうお仕事に出て行かれたようだ。
少しだけホッとして、洗面所に向かい洗顔と歯磨きをする。
部屋の主不在の時に色々弄るのは気が引けるが、せめて何かお茶でも入れられないかとキッチンへ向かうことにした。
キッチンを目指しリビングを通過したところで、カウンターの上に1人分の食事が置いてあるのが見えた。
近づいてみると、玉子料理とサラダが乗った白い皿と、その隣に小さな鍋がスープ皿と寄り添うように置いてあり、丸いパンがいくつか入ったバスケットがある。
空のグラスを重石にしてメモ用紙が挟まれており、そこには「飲み物は冷蔵庫から適当に」と走り書き。
……まさか、これはルッチが私に用意してくれたのだろうか。
いや、2人しか存在しないこの家でそれ以外に可能性はないのだが……。
なんだなんだ、この至れり尽くせりっぷりはなんだ。
嬉しいよりも、少し恐ろしさすら感じながら、ルッチが作ったのであろう完璧な朝食を見下ろす。
バターの香り漂う艶やかなスクランブルエッグをみて、ぐぅ、とお腹が小さく鳴った。
「頂こうかな……せっかくだし。」
独り言と知りつつも態々声に出して言ってから、小鍋を火に掛けようとキッチンへ回った。
蓋を開けてみると、彩り良い野菜が細かく刻まれ煮込まれたミネストローネ。
大きな椅子にドカリと座って、給仕が周りで彼の全てを用意する……という光景しか知らない私は、
彼がキッチンに立ってこれらの全てを用意した等とは到底想像の出来るものではなかった。
「……しかも超美味しそうだし。」
スープが温まったところで、火を消し皿によそう。
冷蔵庫に入っていたオレンジジュースをグラスに半分ほど注いだ。
パンを一つ手に取り、一口の大きさに千切った所で、玄関からガチャガチャと鍵が回される音がした。
パンを口へ運ぼうとしていた手を止め、思わず入り口の方へ意識を集中させる。
頭の中では“強盗”やら“ストーカー”“不法侵入”などの物騒な言葉がぐるぐると回る。
トン、トン、と静かな足音が此方へ近づいてくるのと共に、私の心臓がドクドクと大きく鳴り響く。
廊下へ続く扉のドアノブが回ったのが見えた瞬間、ヒッと息を吸い込み、肩を強張らせた。
「なんて顔をしているんだ。」
私の顔をみて怪訝そうに入ってきたのは、誰でもない、この部屋の主のルッチだった。
大きな紙袋を両手で抱えているせいか、ハットリが珍しく彼の肩には乗らず自分で飛んでいる。
未だ煩く鳴り続ける胸に手のひらを当てながら、ハァーと浅く息を吐き出す。
「ルッチさん……お仕事なんじゃ……?」
「長いこと無職でいると曜日も分からなくなるのか?今日は日曜日だ。」
安堵の溜息と共に彼に問いかけると、僅かに嫌味を含んだ声色と冷ややかな視線が返ってきた。
彼の返事にぐっ……と言葉を詰まらせるが、彼はそんな私には気にも留めず、両腕の大きな紙袋をダイニングテーブルへ置いた。
彼が、大きな紙袋から野菜やソーセージ、チーズの塊などを次々と取り出し並べていく。
買い物の内容から、彼が市場に行ってきたらしいのは分かったが、色々、あまりに意外すぎる。
ジャガイモを手にする彼をカウンターチェアの上からボンヤリ眺めていれば、彼は此方を見ないまま口を開いた。
「食べないのか?」
「……え?」
「朝食だ。」
チラとまだ手の付けられていない私の手元に視線を投げる。
その言葉にようやく我に返り、慌ててミネストローネを一匙口に含む。
「……美味しいです。」
見た目以上の美味しさに思わず呟けば、彼は何も言わず当然とばかりに眉を上げた。
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