No.52




暫く、私が食事をする音と、ルッチが食材を片付ける音だけが響いていた。
そのうち、彼が片付け終わり、私の背後のリビングで新聞を捲る音に変わった。


「ごちそうさまでした。」


食べ終わり、ルッチの方を向かないまま呟く。
彼からも返事が返ってくることはなく、ただバサリと新聞が捲られた。
皿をシンクに運び、高そうな食器たちを慎重に洗う。


「コーヒー。」


最後に洗ったグラスを濯ぎ終えたところで、見計らったように声が掛かった。


「……はい。」


一度だけこの部屋を訪れた時、このキッチンで紅茶を淹れたことがあるが、あの時はルッチが全て用意した道具を使ったのだ。
初めて一人で立つキッチンで、僅かに緊張しながらコーヒーの準備をする。
マグカップを探し出すのに少々手間取ったが、他のアイテムはキッチンのオープンシェルフに綺麗に並べて置いてあり、迷うことは無かった。
近くにトレイが見つからず、仕方なくカップを直接手で持ってリビングに運ぶ。

ダークブラウンの英国風インテリアで統一された高級感溢れるリビングでは、一人掛けソファーに深く体を沈めたルッチが長い脚を組んで新聞を広げている。
彼の足元に両膝を付いて、彼の前のローテーブルにマグカップを一つ置く。
そして、一人掛けソファーと垂直になる様に置かれた揃いのロングソファーに腰を下ろした。

彼は無言だったが、ページを捲る際に一瞬こちらに視線を向け、またすぐに新聞の文字を追い始めた。
読んでいる記事を遮らないように軽く新聞を折りたたんだルッチは、片手に新聞を持ち、長い腕を伸ばしてカップを持った。


「やはり、コーヒーはお前が淹れた方が旨いな。」


一口コーヒーを飲んだ彼は、記事から目を上げないまま言った。
……うん。それは、やはり、“料理「は」俺の方が上手いけど、”という枕言葉が付く事が前提なのだろうな。
まぁ、確かにすごく美味しかったけどさ!
微妙な気持ちになりつつも、目の前の彼の機嫌を損ねるつもりも無いので差し触りのない返事を返す。


「ありがとうございます。……ルッチさんは、お料理が上手ですね。」


私の言葉に、ルッチが新聞から目を上げてにやりと笑う。


「まぁ、家事が苦手分野だと公言するような女よりは上手いだろうな。」


……良く覚えてるなぁ。
彼の意地悪な発言に気を悪くするよりも、彼の記憶力のよさに思わず感心してしまった。

以前、彼にエニエスロビーは暇だと訴えた際、給仕の手伝いしか私の出来る仕事は無いと言われ、その時確かに“家事が苦手な私にその仕事はどうだろうか。”というような事を返したのだ。
たった今、彼が言うまで、自分がそんなことを言った事などすっかり忘れていた。


「家事が苦手といっても、掃除と洗濯くらいはまともに出来るんだろ?」

「はい、まぁ。」


一応6年間一人で暮らしていたのだ。
苦手というか、好きではないが、必要最低限一通りの事は出来るつもりだ。
彼の問いに頷くと、彼は満足そうに肘掛に両肘を置き、両手の指を組んだ。


「じゃあ、今後はお前が掃除と洗濯をしろ。その代わり俺が食事を用意してやる。」

「いやあの。……と、いうかですね!」


家事の分担をし始めた彼の言葉を慌てて遮る。


「私、出来るだけ早く他にお部屋を見つけて引っ越すつもりですので。それまでは、まぁ、此処に居させて頂くしかないので、家事は出来るだけお手伝いさせていただきますが。」


パニックになっていた昨日はなんだか流れに流されてしまったが、これは一晩寝て冷静になった頭で決意したことだった。
私が前のめりになり、ルッチに宣言すると、彼は片頬を吊り上げ僅かに首を傾げた。


「……ほう。この部屋に何か問題でもあるのか?」

「もちろんですよ。ルームシェアの相手がルッチさんだって知ってたら、最初からカリファさんの紹介の物件に決めてたと思います。」

「エニエスロビーで好き勝手に暮らしたお前の生活レベルを落とさない物件が、3万5千ベリーであればいいがな。」

「……元々、3万5千なんて破格だったので、もう少し高くなることは覚悟の上です。」


ふうん。と鼻を鳴らした彼は、愉快そうに口角を上げる。


「食事中に俺が帰宅しただけで、あそこまで怯えるお前が、一人暮らしか。」

「それは!……ルッチさんがお仕事に行っていると思い込んでいたからで……。」

「聞くところによると、ニホンとは、随分と平和な世界らしいな。銃や刀を持ってただけで罪になるとか?」

「……ええ……まぁ……。」

「残念ながら、この世界では合法だ。しかも、海賊も山賊も珍しくない。強盗や暴漢もな。」


睨みつけるように彼を見つめるが、彼も口元に笑みを浮かべたまま目を逸らそうとしない。
睨めっこのように暫くの間見詰め合って、先に目を逸らし折れたのは……。


「……分かりました。」


……やっぱり、私だった。
不服そうな色を滲ませながら私が呟くと、ルッチがくっくっと笑いながら新聞を広げなおした。


「いい条件じゃないか。たったの3万5千ベリーで、ボディガードに食事つきだ。」

「ボディガード……ねぇ。」

「強いぞ?俺は。」


愉快そうに言う彼の言葉に返す気になれず、すっかり気分的にやさぐれて溜息を吐いた。


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