No.69
「いやあ、ナツちゃん。急に頼んでわざわざ悪かったね。」
「いえいえ、丁度手が空いたところだったんで。」
3番ドッグの職長に、急ぎで頼まれた書類を渡しに来た。
手など空いてなかったが、本当に彼はいつもギリギリで書類作成を頼んでくるのだ。
「ナツちゃん、仕事早いから、ついいつもギリギリになっちゃって。……どう?日頃のお詫びに……じゃないけどさ、夕方飲み行かない?」
「……あー、ごめんなさい。今日はちょっと約束があって。」
下心丸見えのお誘いを、曖昧に笑ってかわす。
お詫びをする誠意があるなら、客先に出す書類なんかはもっと前もって言ってきて欲しい。
「残念だ」と連呼する彼に、じゃあ。と頭を下げ、その場を後にする。
ガレーラカンパニーという会社に入って数ヶ月が経った。
日頃こなす業務に関しては、だいぶ様になってきたんじゃないかと思う。
余程マイナーなオーダーが入ったりすれば英単語が分からなくて戸惑ったりするが、今のところ問題はない。
読めない単語が出てくる程マイナーな船のオーダーは2番ドッグ〜7番ドッグに入る事はほとんど無く、大体が1番ドッグなので、分からなかったらすぐにルッチに聞きに行く事にしているのだ。
言葉が読めない、と言うのは意外と人に聞きづらいものだ。
ダリアにも聞けばもちろん丁寧に教えてくれるが、必ず一瞬彼女の瞳にクエスチョンマークが浮かぶ。
その点、全ての事情を知っているルッチは即答で答えてくれる。
彼と同じ職場良かったと思える唯一の利点と言っていいかもしれない。
廊下の向こうを煙をもくもくと吐きながら、見慣れた金髪が目に入った。
「あ、おーい、パウリー。」
私が声を掛けると、1番ドッグの扉の向こうへ消えようとしていた人物が止まる。
彼がこっちに気づいてから、腕を上げてぶんぶんと振る。
腕を大きく振ったまま彼に近づくと、呆れた顔で葉巻を口から離し、ぶわっと煙を吹き付けられた。
「……わっぷ!!なにすんの!」
「そんなアホみたいに手振ってなくても、ちゃんと見えてんだよ。恥ずかしい奴。」
「中二みたいに年中、女の胸や脚に過剰反応してる男が恥ずかしいとか言うもんじゃないよ。」
「うるせぇっ!!」
私の抗議に返された言葉を受け、辛辣に返す。
イラついた顔をしながら、再度葉巻を咥えてパウリーが見下ろす。
「で?なんか用か?」
「ああ、今日飲んで帰ろうよ。」
さっき、3番ドッグの職長に言われた事を目の前の彼に言う。
急ににこやかになった私の提案の言葉に、彼の眉が怪訝そうに上がる。
「あ?なんで。」
「さっき、今夜約束があるって言ってお誘い断っちゃったから。」
「はあ?なんだそりゃ。後付かよ。」
私の答えに、少し考えるように宙を仰ぐ。
「まー、いいんだけどよ。これが来ないと金ねえんだよな。」
言いながら胸ポケットから小さな紙切れを出す。
そこには“ 8レース 3連単 ”と大きく書かれ、その横に3つ数字が並んでいた。
ヤガラレースの賭け券と分かった瞬間、片手を上げて踵を返す。
「ごめん。忘れて。」
「おおい!!」
私が歩き出す間もなく、ガッと肩を掴まれる。
「なんだよ。冷てぇなぁ。金がねえ時はお互い様だろ?」
「お互い様って……逆の立場になった事ないじゃないよう。」
彼の手から逃げるように体を捩り、彼の言葉に抗議し頬を膨らます。
彼は即座に片手で私の顔を掴み、私が頬に溜めた空気を抜く。
「奢ったじゃねえか」
「「一回だけ」」
そして、ハッピーアイスクリーム。言葉が重なる。
呆れると同時に、声が揃った事で可笑しさがこみ上げてきた。
相手も同じだったようで、お互いくつくつと顔を見合わせて笑う。
「もー、ほんとにパウリーは仕方ないなあ。ルッチさんの堅実さを見習いなよ。」
「うるせぇよ。酒しか趣味のねえ男なんか詰まらねえだろ?」
笑いながらパウリーに言うと、彼も口角を上げたまま答える。
そして、少し呆れた顔になって肩を竦め、言葉を続けた。
「あいつ葉巻も賭け事もしねえんだぜ?女で遊んでる様子もねえしよー。」
「ポッポー?誰が詰まらない男だって?」
びくり。
パウリー体が急に鉄板を入れ込まれたかのように硬直した。
その様子に益々可笑しさがこみ上げてくるが、堪えて微笑みに留めた。
「いえ、パウリーがまたスってお金が無いらしいんで、堅実なルッチさんを見習いなさいって話をしてたんですよ。」
「ポッポー。まあ、それについては珍しく全面的にお前と同意見だっポー。」
胸の前で腕を組んだルッチの肩で、ハットリが当然とばかりに頷いた。
相変わらずの無表情だが、空気が怒っている様子ではなかったので、彼も誘ってみる。
「じゃあ、ルッチさん。飲みに行きましょう。」
「ポッポー。なんでルッチが。」
「なーんで、ルッチさんにしてもパウリーにしても、私が飲みに行こうって誘うと『なんで』って返すんですか。嫌なら良いですよもう。」
why?とばかりに肩をすくめるハットリに、ふん、と顔を背けた。
すると、やれやれ、と言った感じでハットリが緩慢な動きで首を左右に振る。
「ポッポー、パウリーの分は奢らないからな。」
「なんだよ!お互い様だろ?ルッチ!!」
「クルッポー。お互い様って言うのは世話になった事のある奴に言って欲しいものだッポー。」
噛み付くように返したパウリーに、ルッチがほぼ私が言ったのと同じ内容で返す。
パウリーの肩をポンポンと宥める様に叩く。
「パウリー、大丈夫。私の分はルッチさんが奢ってくれるから、パウリーの分は私が奢って上げるよ。」
私の言葉に、パウリーの顔がパァッと輝き、ハットリが片翼で小さな顔を覆い、無表情のルッチの眉間に僅かに皺が入った。
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