No.72-side:LUCCI
「なんだ、これは。」
ナツが紅茶のカップを出してきたから深く考えずにそれに顔を近づければ、陶器の縁が唇に当たる前に中身がいつもと違う事に気がついた。
お湯の色に申し訳程度に薄く色を付けた中身と、草のような香り。
怪訝に思ってもう一回深く息を吸うと、スッと鼻の奥が通るような感覚がした。
「なにって、ハーブティーですよ。ミントティー。食べ過ぎ飲みすぎの後にお勧めです。スッキリしますよ。」
そう言いながら、俺に出したものと同じものを飲む彼女を見て小さく溜息を吐く。
カップの中身を口には含まず、そのままテーブルへ戻した。
先ほど、つい頭に血が上ってしまったとはいえ、一般人の女に対するには少々乱暴に扱った事に対する仕返しか嫌がらせかと思ったが、驚いた事にどうやら純粋に親切心からくるものだったらしい。
しかし、生憎だがハーブティーは俺の好みではない。
「淹れなおせ。紅茶でもコーヒーでもいい。」
「だめですよ。私の経験上、飲みすぎた後これ飲んでおくと次の日楽なんです。」
「俺は酔っていない。」
「酔ってる人ほど、そう言うんですよ。」
俺の要求は一瞬で突き返され、俺が事実を伝えれば子どもに言い聞かせるような口調で返事を返される。
自分の主張の伝わらなさと、目の前の女の微妙にズレた親切と、俺に対する酔っ払い扱いに苛つく。
口を開くのを諦め、目の前に座る人物をじっと見つめていれば、俺の視線に気づいた彼女が困ったような首をゆるく振った。
「これから寝るだけなのに、カフェイン入りのお茶は淹れませんよ。」
「俺はカフェイン入りでも構わない。なんならお前にも眠れない事でもしてやろうか。」
半分本気で陳腐な口説き文句を口にすれば、呆れ顔になった彼女がハイハイと往なすように口を開く。
「ミントティーが嫌なら、ホットミルク作りましょうか?蜂蜜たっぷりカモミール入りで。」
俺が絶対に飲まない代物だと分かった上での発言に返事をする気も無くし、口の中で小さく舌打ちをする。
俺があの程度のビールで酔っ払うはずはないし、酔っ払いの戯言ではなく事実酔っていない。
ナツとパウリーの雰囲気に当てられ、気分が悪くなっていた所へ彼女の不用意な発言があったものだから少し感情的になってしまった。
しかし、アレは俺なりに失いつつあった理性を総動員し、自分を抑えた結果だった。
相手がナツじゃなければ、迷うことなく指銃でもぶち込んで二度と目が覚めないようにさせていたであろう位には、苛ついていた。
まぁ、相手がナツでなければそこまで苛つく事もなかったわけだが。
それを俺が酔っ払っていたからだと解釈した目の前の彼女は、今夜は何処までも俺を酔っ払い扱いしたいらしい。
その様子に辟易するが、仕方ない。と、一度置いたカップを取り上げ、口に運ぶ。
一口飲み下したそれは、草の香りと苦味を感じた直後、鼻、喉、食道の順に冷涼感を運ぶ。
決して美味しいものではない。
一口飲んで、やはり自分の好みではなかったと再確認し、またテーブルへカップを戻した。
それでも彼女は、一口俺が口を付けたことに満足したのか、安心したような顔を見せる。
「水。」
「はいはい。」
コーヒーも紅茶も出せないなら、これなら良いだろうと口にすると、それを聞いた彼女はあっさりと席を立った。
俺を酩酊状態の酔っ払いだと信じて疑わない彼女は、すぐに大き目のグラスに並々と入った氷水を持ってきた。
「どうぞ。」
差し出されたグラスを受け取り、テーブルへ置く。
目の前の今しがたまでそのグラスを持っていた手を、引っ込められる前に素早く捕まえ、手前に引く。
あっさりとバランスを崩した彼女はギリギリ転倒するのは免れたものの、俺の座るソファの肘掛に手を付き中腰の姿勢で止まった。
突然の事に流石に驚いたのであろう、ヒュッと息を飲むような音が聞こえ、中腰になった事で目の前に迫った俺の顔を見て戸惑ったような顔をした。
目の前にやってきた彼女を見据え、とりあえず本題ではない疑問からぶつけてみることにした。
「一体俺の何処を見て酔っ払ってると思うんだ?」
こんなに目の焦点の定まった酩酊状態があってたまるか。
するとナツは、俺の顔を少し見てから視線を斜め下に向け、んー……と考えてから口を開く。
「ルッチさんらしからぬ行動も然り、ですけれど。……なんか余裕がないからですね。」
苦笑気味に言われた言葉に、米神を鈍器で殴られたような気分がした。
ああ、余裕か……。
今は、確かにないかもしれない。
何ヶ月も自分の体に渦巻いていた、痛いような、沁みるような胸の違和感の正体に気づいてから、俺は確かに動揺している。
宙を仰ぎ、一瞬自嘲気味に笑みを零してから、再度目の前の彼女を見つめる。
「……引っ越すのか?」
彼女と目を合わせてから、口を開くまでにたっぷりと間を置いて問いかける。
その時間、俺と目を逸らすことのなかった彼女は、俺の言葉を聞いて少し焦ったように目を逸らした。
無意識だろうか逃げるように僅かに引かれた体を引き戻すように、捕まえていた手に力を込める。
迷うように視線を彷徨わせていたナツは、おずおずと伺うように俺の顔を見た。
「わ、たしは……ルッチさんに、甘えすぎていたのかもしれません。貴方の仰る通り、こんな特殊な状況、自覚はしていたつもりだけど、ルッチさんを含め出会った人が良い人過ぎて調子に乗っていたんだと思います。なので……、」
自分で聞いておきながら、彼女が言葉を紡ぐたびに、目の前で動くこの口をどうやって止めようか思案する。
何か、自分が言葉を発するのが一番だと思いつつも、さて、何て言うかと考えれば上手い言葉が思いつかない。
ここで、傍にいて欲しいと、伝える事が出来れば……。
「なので、自立する事をかんがえ……「お前が……」
言葉を遮ると、彼女はあっさり言葉途中に話すのを止めた。
「お前が、俺から離れる事を、許すと思っているのか?」
俺の言葉に、ナツが動きを止める。
数秒、固まったように俺の顔を見つめていたかと思えば、強張ったように表情が動き、ぎこちない笑顔を浮かべる。
「……わかってますよ。」
ぽつりと言った彼女は俯き、すう、と息を吸ってから何かを振り切るように顔を上げた。
「能力が目覚める瞬間を見届ける、んでしたよね。ちゃんと、それまでは貴方の傍に居ます。」
俺の傍に居る。
最後には望んだ答えを目の前の彼女は言ったはずなのに、俺の胸に引っかかった異物が流れる事はなかった。
ゆるゆると、捕まえていた手を離すと、それを待っていたかのように彼女が立ち上がり、鞄とジャケットを持ってリビングを後にする。
ただ、それだけの事に、いつもと変わらない彼女の行動のひとつなのに、何故自分が傷ついているのか全く理解が出来なかった。
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