No.75-side:LUCCI
その日は、船の依頼主の接待でルルと飲みに出ていた。
依頼主というのが賑やかな場を好む人間で、気遣いが上手く場馴れした何人かの部下も同席させた。
いつもに比べ肌寒いようなその日は、温かいタパスで酒がすすみ、すぐに宴も酣となった。
周りが馬鹿みたいに盛り上がれば盛り上がるほど、こちらの気は滅入ってくる。
わいわいと騒ぐのは性分じゃない。
なぜこの場に呼ばれたのがカクやタイルストンではなく自分だったのか。
今すぐにでも帰ってしまいたい衝動を抑えながら、ワインを口に運ぶ。
この店のワインは割と美味いというのが、この場の唯一の救いだった。
高い音を立ててドアベルが鳴った時、隣に座る部下が色めき立った声で「カリファさんだ」と呟いた。
馴染み深い名前にそちらに目を向ければ、カリファと共に同居人の顔が見える。
あいつの顔を見ただけで、滅入っていた気分が少しマシになったような気がした。
彼女に対する自分の気持ちに気づいてから、幾分楽になった事がある。
なんせしばらくの間、健康診断では認知されない病気が自分の身体に起こっているんじゃないかと本気で思っていたのだ。
人並み外れた肉体・体力・技術、それのどれが欠けてもCPとして完璧な任務はこなせない。
胸をさすっても収まらない心臓あたりのざわつき。
彼女が視界に入った時、自分の名前を呼ばれた時に、胸から喉のあたりの気管がキュッと一瞬絞られるような感覚。
もしくは胸焼けを起こしたような。胸のあたりに小石でも挟まったような。
何れにせよ、それらが内臓疾患の類が原因ではないことには安堵した。
病気になるなど愚の極み。まるで普通の人間のようではないか。
ただ、複雑なのは、恋愛などという浮付いたものもCPの仕事をする上で邪魔なものでしかない。という事。
空いていた隣のテーブルに腰を落ち着けた二人の様子が無意識に気にかかる。
この店に来るのは初めてではないようで、慣れた様子でメニューからこの店の美味い料理を次々と候補に上げる。
別に放っておいてもいい事なのに、こちらに気づいてない様子が少し癪で、彼女たちのオーダーに口を挟んだ。
そこでようやく自分の存在を認識され満足する。
向けられた目が迷惑そうなものであっても、俺にとっては愉快なものでしかない。
一応、自分の居るべきテーブルに戻るが、もう正直この船バカ共の話などどうでもいい。
船の話への参加は身ぶり手ぶりのハットリにほとんど任せ、自分の背後に位置する女性二人のテーブルの様子に度々意識を向けていた。
−−
……あいつ、あれで何杯目だ?
一応は船大工たちの群れに居る身だ。常にあいつに目を向けていたわけではない。
が、しかし、たまに向ける視線の先で、何回か彼女の手の中のグラスが空になる瞬間を見ていた。
仕事と割り切って、こちらの宴がお開きになるまでは向こうには極力関わらないようにしようと思っていたが、カリファがナツのグラスにワインを注ぎいれようとディキャンタを傾けた所で咄嗟に隣のテーブルへ割って入っていた。
「ポー。おい、もうやめておけ。」
少しだけワインをグラスに注いだディキャンタを押し戻すように、カリファの手を掴み押す。
こいつは飲める場や、つまみや、飲み会の空気が好きなだけだ。実際大した量が飲めるわけではない。
しかも酔い癖が泣き上戸であるとW7に来た日に分かってしまっていた。
口当たりの良い白ワインで、ついつい量が進んだのだろうが、とうにこいつのアルコール許容量をオーバーしている事は明白だった。
「余計なお世話だわ。ナツだって日頃のストレスをアルコールで発散させたい時だってあるのよ。たまには好きなだけ飲ませたっていいじゃないの。私と二人で飲むときくらい、ビール一杯でノンアルコールに切り替えなくて良いと、私がいつも彼女に言っているのよ。」
敵視ともとれる程の視線を向け俺に抗議を始めたカリファは無視し、ナツの顔に注目する。
俺に見られていることに気づいた彼女はしばらく無言で俺と目を合わせていたが、そのうちじわじわと俺を見つめる目に水滴を溜めはじめた。
ああ、やっぱりな。
目に溜まる水滴の量に比例して顔が徐々に歪む。
耳障りな高音で俺に抗議を続けていたカリファもそれに気づいて言葉を止めた。
ナツは俺を見つめたまま、ハタリハタリとテーブルに雫を落とす。
俺も水滴の浮き続けるその瞳から視線を逸らすことなく見つめ続けた。
こいつは、精神的に嫌なことがあっても基本的には泣かない。
痛い、苦しいなど肉体的苦痛から逃れたいときに生理的な涙を流すことはあるが、その他の理由でエニエスロビーでもウォーターセブンでも、俺に涙を見せたことは殆どない。
青キジ絡みだったり、俺絡みだったり理由は様々だが、普通の女なら一度や二度位は泣いても良さそうな事態である噂は俺の耳にも入っていた。
しかし、俺がこいつが泣くのを見たのは青キジにエニエスロビーへ呼びつけられた日と、こいつがウォーターセブンへ観光に来た日の2回だけだ。そして今が3回目。
気付けば、船大工達の接待テーブルの事はすっかり忘れ去り、こちらのテーブルの椅子へ腰を落ち着けていた。
脚を組みテーブルに片肘を預けてから、なおも泣き続けるナツを眺める。
俯いて静かに泣いていたナツは、ついには顔を両手で覆い隠してひっくひっくと苦しそうな呼吸を繰り返し始めていた。
「ナツ、ナツ、落ち着いて。お水を貰いましょう。ね。」
CP9や船大工達は基本ザルばかりだ。カリファもまともに酔っぱらいの相手などしたことがないのだろう。
ひどく戸惑った様子で落ちる涙をナフキンで拭い、慰めるように声を掛ける。
「ちょっとルッチ、あなた何落ち着き払って静観しているのよ。ナツがこんなに泣いている要因はあなたにあるんじゃないの?」
それはひどい言いがかりだ。
カリファの物言いに軽く目を細め不満の表情を向けた。
その反面、泣くナツを見て動揺しているカリファに、優越感のようなものを感じてもいた。
こいつの酔い癖を知っていたのは、カリファでも、パウリーでも、カクでもジャブラでも青キジでもない。俺だけだ。
こいつがこの世界に来てからずっと俺は見続けてきた。
そして、今も、ああこれは泣くな。と思った瞬間この瞳に涙が溜まったのだ。
些細な事だが、こいつに関することで俺だけが想定できたという事実、悪い気はしない。
俺に濡れ衣を着せてから鋭い視線を寄越してくる同僚を一瞥し、すぐにナツに視線を戻して教えてやる。
「こいつは泣き上戸なだけだっポー。」
そう言った所で、訝しむ色を滲ませた鋭い視線は俺の横顔に注がれ続ける。
はあ、と溜息を零しナツから視線を逸らして椅子の背もたれに背中を預けた。
正直、カリファが俺に対してどう思っていようが知ったことではないが、このままこの視線を受け続けるのは面倒くさい。
「ポッポー。奢ってやるから会計しろ。こいつはもう連れて帰る。」
「がえりばぜんっ!!」
は?
鼻声で何かを宣言するように言葉を発した酔っぱらいに目を向ける。
何か言ったか?よく聞き取れなかったが。
「ぎょ……きょうは、か、かでぃふぁの、ところに……と……ととと、とまどぅんですっ」
「こいつ何言ってるんだっポー?」
ハットリが俺の代わりに酔っぱらいを翼で指し示す。
険しい表情で俺を睨み続けていたカリファが、ようやく眉間に寄った皺を緩め、眼鏡に手を添えた。
「ああ、ナツは今日うちに泊まるのよ。引っ越し先が決まるまでそのままずっと居ても良いと思っているわ。」
そう言って楽しそうに笑い、首を傾げて俺を見た。
は?
カリファと俺は一瞬で表情が入れ替わってしまったようだ。
深く眉間に皺を寄せるのは次は俺の番だった。
問題の発端である酔っぱらいに目を向けると、睡魔が襲ってきたのか首の座っていない赤子のように俯かせた頭をゆらゆら揺らしていた。
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