No.77-side:CP9
彼が、ソーサーごとカップを手にしたところで口を開く。
「それで」
「それで」
同時に話の口火を切った事に、少し苛つき眉根を寄せる。
「お前から話せ。」
ルッチが少し肩を竦めて話す。
その様子が、この男の上機嫌を物語っているようで益々不快感が増す。
「じゃあ聞くけど、あなた、この子に何をしたの?」
紅茶を一口飲んでから、少々乱暴にカップをソーサーに置き、ルッチに問いかける。
彼は私の問いに少し首を傾げ、少しの間を置いてはっきり返した。
「何かした覚えはないが。」
「あなたね。私が諜報でどんな仕事をしていたか知っているでしょう?人の機微を探るために、普段接している人間のどんな表情の変化も逃さない自信はあるわ。まぁ、この子がハッキリあなたを拒否しない様子で最悪の事態ではなかったことは分かったけど。」
「本当に何もない。」
「じゃあ、なんで彼女は普段自制するお酒をこんなになるまで飲んだのよ。」
そう。いつもと飲み方が違うことはすぐに気づいていた。
ナツが飲みに行きたがる割にはそれほどアルコールが得意ではない事はしっていたが、二人で飲みに行く度にもっと飲んで良いんだと勧めていたのも事実だった。
会社では順調に仕事をこなしているようだし、たまに耳に入ってくる彼女の評判は悪くない。
少し前ならいざ知らず、元来人当たりの良い彼女に、今会社で喧嘩を売ろうという人間などいないだろう。
そう考えたら思いつく原因はただ一つ。
ソファに深く座り、脚を組んで紅茶を飲む男を注意深く見つめる。
彼は何を考えているのか計り知れない無表情で紅茶を飲んでいたが、片方の眉を上げて私を見た。
「そうだな。まぁ、多少の口喧嘩はしたか?」
「口喧嘩?」
まったく納得がいかない。
大方、口喧嘩などと言ってもどうせルッチが一方的に威圧したんだろう。
本人にその気がなくとも、彼の威圧的なオーラは普通の女の子ならその場で逃げ出してしまう程のものだろうと想像できる。
彼の答えにあからさまに不服そうな声を出すと、ルッチはティーカップをテーブルに置き、面倒くさそうに腕を組んだ。
少し顎を上げ、見下ろすような視線を私に向ける。
「警戒心の足りないこいつに、少し注意を促しただけだ。俺たちの任務の妨げにならないよう口にする言葉には細心の注意を払えと。」
「何かあったの?」
「……まぁ、大したことではない。」
話しながら思い出したように彼の表情が曇り、それ以上は言いたくないというように顔が背けられた。
「私は、今でも納得がいってないのよ。」
ルッチが顔を背けたまま目線だけ寄越す。
「あなたが、ニホン人であるという事以上に彼女の何にそこまで執着しているのか分からない。けど、私はあなた達は一緒に暮らすべきじゃないと思っているわ。
何の話をしたのか分からないけど、大したことではない話を他人にしただけで彼女が毎回こんな風になるのなら友人としてこれ以上放っておくことはできないわ。」
「俺たちの任務に支障をきたすような事があってもか。」
「彼女は任務の詳細なんて何も知らないでしょう?うっかり人に話したところで最悪、“政府の諜報機関が潜り込んでいる”位なものでしょう。そんな事誰も信じやしないわよ。面白がる人間が居ても噂の範疇を超えることはないわ。」
私が言葉を紡ぐたびに、彼の目が鋭く細められる。
「……カリファ。」
彼が何か言おうと口を開きかけた所でソファで寝ていたはずのナツが小さな声で私の名を呼んだ。
私とルッチの視線が同時に彼女の顔に向けられる。
ナツの瞼がゆっくりと動き、薄く開いた瞳がまつ毛の奥でこちらを見ているのがわかった。
「……と、ルッチさん。」
そう言ってから、くっと辛そうに目を瞑り眉間に皺が寄せられる。
そして、消え入りそうな弱弱しい声が続く。
「……ごめんね…………。声、頭に響く……。」
そして、もぞもぞとクッションの間に頭を沈み込ませた。
それを聞き届けると、すぐにルッチが立ち上がり、ナツに近づく。
反射的に私も立ちそちらに向かうと、彼はナツの背中と膝に腕を差し込み静かに抱き上げた。
「寝室はどこだ。」
「……あ。こっち。」
先導して、客間の扉を開ける。
ベッドのブランケットを除けると、そこにルッチがナツをゆっくりと降ろした。
「すぐに、こっちに連れてきてあげれば良かったわね。」
その様子を見ながら誰に対して言うわけでもなく呟いた。
「……りがとう……ございます……ルッチさん……。」
首の後ろから腕を抜き取る彼にナツが囁き、瞼を閉じる。
ナツにブランケットを掛けてあげようと、さっきベッドから除けたものを手にして近づく。
しかし、すぐにはそれは叶わなかった。
両手が自由になったルッチは、すぐその場から離れるものと思っていたが、ナツをベッドに降ろした時の腰を曲げた体勢のまま、すぐに寝息を立てるナツを見続けていた。
そして、彼女の前髪をかき上げ額に手の平を当てる。
窓からの月明かりだけの薄暗い中、白く浮かび上がるナツの顔を見つめ続け、額の手を頬に滑らせ手を放した。
そして、すぐに踵を返し部屋を出ていく。
慌てて彼女にブランケットを掛け、ルッチを追いかける。
……びっくりした。
キスでもするのかと思った。
無表情の彼が、あんなにも彼女を想っていることが、あの数十秒で伝わる。
リビングへ戻ると、シルクハットを被った彼は、チラ、と視線を私に寄越す。
「俺は帰る。」
「待ってルッチ。」
思わず呼び止めた私の声に、彼は足を止めた。
「あなたが、ニホン人であるという事以上に彼女の何にそこまで執着しているのか分からない。けど、私はあなた達は一緒に暮らすべきじゃないと思っているわ。」
数分前に、自ら口にした言葉が蘇る。
彼女への執着の理由はよくわかった。
……だからこそ。
「ルッチ、私はやっぱりあなた達の同居に賛成は出来ないから。」
……あなたが、彼女に女性としての好意を抱いているのならなおさら。
彼は、私の言葉に答えることなく、そのまま玄関を出て行った。
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