No.79-side:LUCCI




こんなことなら、酔ったあいつを素直にカリファの家に届けるべきではなかった。


目が覚めて、この家の中に自分以外の人間の気配がなく一番に思ったことはこれだ。
当然昨日のうちには帰ってくるものと思っていた同居人は、そのまま連絡もなく今日になった。

大方ひどい二日酔いか何かで連泊したんだろうが、昨日あいつが帰って来ないまま夜を迎えると、ひどい苛立ちを覚えた。
もし眠っている状態でも、俺が自分以外の人間の気配に気付かないなんてあるわけがないが、それでも万が一俺が気付かない間にあいつが戻ってくるかもしれないと、1ミリ位は思っていた。
1ミリ位の期待だったのに、やはりあいつは帰っていないようだと確信すると、存外がっかりしている自分が居た


顔を洗い、リビングに向かう。

カーテンの閉まった部屋。
カウチソファーの上には、三つのクッション。右側に二つ、左側に一つ。
俺が一人掛けソファーに座ることが多いせいか、このカウチはあいつの定位置になりつつある。
この上のクッションはあいつが居る時はいつも適当に置かれていて、俺が決めたように置けと何度言っても守られたことは殆ど無い。

天板の上に何も置かれていないソファテーブル。
いつも片付けろと口酸っぱく言っても出しっぱなしだった雑誌類も今日は無い。

勢いよくカーテンを開けると、舞い上がった埃が朝日に照らされキラキラと光った。
普段はこんなに埃が立たないはずだが、と眉を顰める。
そういえば、あいつが来てから自室以外の掃除をする習慣がなくなっていたのだと思い出した。


静かすぎる家の中が何となく居心地が悪く、入口を開けたままの鳥かごの中で未だ静かに止まっているハットリを突いて無理やり起こす。
外の鳩はもう起きている時間だ。

昨日の夜作っておいたスープ鍋を火に掛ける。
冷蔵庫からレタスを取り出し、わしわしと何枚か剥いて千切る。
流水で洗い、水を切って皿に盛りつけるところで、自分一人分にしては少々千切ったレタスの量が多いことに気が付いた。

以前、あいつが急に自分が帰ってきたせいで料理を急遽余計に作ったのではないかと聞いてきたことがあった。
その時はそんなことは無いと否定したが、実際はそうではない。
あいつの食べる分が大した量ではなくても、やはり自分の食べる分を確保するためにはその大した事ない量を余分に作らなくてはいけない。

あの時はたしか、酒を飲みながらつまみに1品あればいいと思っていたが、そのつまみに作っていた料理を大皿料理に変更して、パスタを追加したのだ。
それ以降はあいつが飲みに行くと分かっていても、あいつ一人分は一応余計に作っておくのが習慣になっていた。
無意識でも用意してしまう程に。


皿の上でいつもより山になったレタスを見て、トマトを切るのはやめた。
今度は余計に作らないように意識して冷蔵庫からハムと玉子を取り出し、フライパンを火に掛けた。

あいつが何処に泊まろうと、何日家を空けようと構わないではないか。
一体俺は何にペースを乱されているんだ。
馬鹿馬鹿しい。

ブレッドケースからパンの塊を取り出し、スライスする。


「ああ、ナツは今日うちに泊まるのよ。引っ越し先が決まるまでそのままずっと居ても良いと思っているわ。」



ふと、楽しそうに笑いながら話すカリファの声が蘇る。

普段ならブレッドナイフを一回滑らせただけで真っ直ぐにスライスされるはずが上手くいかず、曲がったパンをダイニングテーブルにとまっていたハットリに向けて放り投げた。
嬉しそうに羽をばたつかせ、嘴の先で不格好なパンを千切りはじめるハットリを横目に、再度塊にブレッドナイフを刺し込んだ。


自分一人分の朝食を作り終え、新聞を開きながら焦げ目のついたパンを齧る。
粗方食べた所で、そういえばコーヒーが飲みたいと思いつく。


「コーヒーは、どうします?」



飲みたいと思う絶妙のタイミングで掛かる声は今日もなく、仕方なく自分で淹れるために立ち上がる。
思えば自分でコーヒーを淹れるのは数か月ぶりで、その手付きは思っていた以上にぎこちなく、同じ豆のはずなのにいつもの飲みなれた味ではなかった。


ふと、エレベーターが動く気配を感じ新聞から顔を上げた。

この階に止まったエレベーターから、馴染み深い気配が降りてきてたのを感じる。
思わず、広げていた新聞を軽く畳み、目を瞑ってその気配に集中する。
玄関まで、あと3メートル、1メートル、……あと3歩。

ガチャガチャと鍵穴が回される。
次の瞬間ガツン!と大きな音がした。
ああ、ドアチェーンの事を忘れていた。


「あー……ルッチさーん!開けてくださーい!」


ドアの隙間から声が掛けられ、やれやれ、と立ち上がる。
少し頬が緩んだ気がして、誤魔化すように手の平で自らの口元を擦る。
あいつの声が飛び込んできた瞬間、とき解れた心を表情に出さないように気をつけて旨くないコーヒーを一口飲み込む。

クルルと喉の奥で鳴いたハットリの頭を人差し指で撫でてから、ゆっくりとした足取りで玄関に向かった。


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