No.80
一旦閉めた扉の前で部屋の主がドアチェーンを外すのを待つ。
カチャン、と軽い音がしてチェーンが外れたのを感じ、そっとドアを開ける。
すぐ目の前に、珍しくまだラフな格好のルッチが無表情で立っていた。
「近所迷惑だ、大声を出すな。」
「そ、そう言われましても……。」
では、どうやって部屋の奥にいるであろう貴方を呼べというのだ。テレパシーか?
心外なクレームに少々引っかかるものを感じるが、まあそれもいつもの事か、とすぐに気を取り直す。
そのままリビングの方へ向かう彼を見送りながら、自室へ入る。
荷物を置いて皺になったスーツを脱ぐ。
部屋着に着替えてようやく息がつけるような感じがした。
洗面所で手を洗うついでに、カリファの家を出るときに薄くつけていたメイクも落とす。
日曜日の今日は完全に家でダラける気満々だ。
昨日は酷い2日酔いでカリファの家から此処まで移動する気も起きず、結局カリファに甘えてもう一泊したのだが、まだ完全復活とはいかない今日は落ち着ける場所で休息していたかった。
何か冷たいものでも飲もうとキッチンへ移動する。
冷蔵庫を開ける前にいい匂いがして、コンロに上がったままの鍋の蓋を開けた。
少しだけ残ったスープが湯気を立てている。
カリファの家で朝食を食べてきたのだが、胃が荒れているせいか気持ち悪いのにやたらとお腹が空くという妙な現象が起こっている。
カウンター越しにいつもより随分遅い朝食を摂っているルッチに声を掛けた。
「ルッチさん、このスープ頂いてもいいですか。」
「勝手にしろ。」
彼の了承を得たことで、冷たい飲み物を出すのをやめて、食器棚からお気に入りのスープボウルを取り出す。
スープを器に入れると丁度鍋が空になった。
空になった鍋とレードルをシンクに移し、あとで洗おうと水を溜める。
温かいスープボウルを手に持ち、もう片方の手でスプーンを取り出してルッチの居るダイニングへ移動した。
「全部なくなっちゃいましたよ。」
ルッチの向かいの席に着きながら、彼に声を掛ける。
彼はトーストの最後の一口を口に入れながら、視線を寄越しただけだった。
「いただきまーす。」
いつも通り声が返って来ないままスプーンを口に入れる。
安定した美味しさもいつも通りで、柔らかく煮込まれた野菜を夢中で口に入れる。
ふと視線を感じ、顔を上げる。
食事を食べ終えた様子のルッチが腕を組んで、私が食べる様子を眺めていた。
……え、なに?
「え……っと、……美味しいです。」
「当然だ。」
ですよね。……じゃあ、何?
感想を求められている訳では無いらしいと分かると、途端に彼の視線の意味が分からなくなる。
少し首を捻り、再びスプーンを口に運ぶが、視線が気になってつい食べる速度もゆっくりになった。
ようやく食べ終わり、胃が落ち着いたことで気持ちも落ち着く。
「コーヒー。」
食器を片づけようと立ち上がると、それを待っていたかのように声が掛かった。
「あ、はい。」
目の前でバサリと音を立てて広げられた新聞の向こうの彼の顔はもう窺い知れない。
彼の分の食器も合わせ、キッチンへ運ぶ。
テーブルを拭きにダスターを持って戻ると、彼の手元にコーヒーの入ったマグカップが置かれていた。
「あれ?ルッチさん、コーヒー残ってますけど。」
しかもたっぷり残ったそれは殆ど口を付けていないように思う。
私の言葉に無言を返していた彼はしばらくして、顰め面を新聞の端から覗かせた。
「淹れなおせ、それは旨くない。」
「そうですか?……じゃあ。」
テーブルを拭き、中身の入ったマグを片手にキッチンへ戻る。
違う豆でも使ったのだろうか。とマグの中身を嗅いでみるがいつもの嗅ぎ慣れたコーヒーの香り。
お行儀が悪いと思いつつ、一口口に含むが、やっぱり味わい慣れたいつものコーヒーだ。
……普通に美味しいと、思うけどな。
これが美味しくないと言うのなら、これ以上のコーヒーを淹れる自信は無いんだけど。
首を捻りながら、黒い液体をシンクの排水口へ流した。
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