No.81




節ばった長い指がカップを包み込み、形の良い高い鼻が、白い陶器に近づく。

カップの中から立ち上がる湯気を取り込むように少しの間静止した後、唇が陶器に触れ、熱そうに僅かな量の液体を啜った。
そして陶器から顔を離す瞬間、一瞬だけ薄く笑った。

彼がコーヒーを飲む一連の動作に注目していたのは、彼自身が淹れたコーヒーに満足しなかった彼が、果たして私が淹れたものに満足してくれるのか気になったからだが、いつの間にか彼自身の美しさに目が奪われていた。


「何を笑っている?」

「……あ。」


彼が、少しだけ笑みを浮かべた時に釣られてしまった。


「コーヒー、不味くは無いですか?」

「……いや。」

「そうですか、なら良かったです。」


自分でも一口飲んでみる。
先程捨ててしまったものと殆ど変らない味のコーヒー。違いがよくわからず、再度首を傾げる。
まあ、文句を言われた訳ではないからいいか、と考えるのをやめ、頬杖を付いて目を瞑る。


瞼を閉じて光を遮ると、考えるともなしに色んな事が蘇ってくる。

−カリファの家の白いブラウン管テレビ
−タコのアヒージョ
−カリファの家の白いテレビ
−今さっき食べたルッチが作った具の多いスープ
−カリファのテレビ
−カリファの優しい味のスープ
−テレビ、テレビ、テレビ


「……テレビ。」

「は?」

「あ、……いや。」


やばい、口に出た。
はっとして目を開けると、怪訝そうな顔のルッチと目が合う。


「なんでも、ないです。」

「テレビ?」

「あの、カリファの家のテレビが羨ましかったので、つい。……すみません。」


一口手元のコーヒーを啜る。あ、結構冷めてる。
テレビは…今度、自分の部屋に置けるものかどうか、電気屋に見に行こう。


「テレビか……。」


怪訝な顔のまま、私から目を逸らしたルッチがポツリと呟く。しまった。


「いえあの、独り言なのでお気になさらず。」

「置くなら、そこだな。」


私の言葉を無視した彼は顎で壁の方向を示す。
そこは今はインテリアとして椅子と木製のスタンドライトが置かれている一角だった。


「え!良いんですか?!」

「ただし、この部屋に馴染む物だけだ。」

「やっぱり、そうですよね。」


どう考えても、テレビのチャンネルを映していない時の、あの黒いツルンとした大きな画面はこの部屋に似つかわしくない。
せっかくこの部屋の主がちょっとその気になったようなのに残念だ、と肩を落とす。


「以前、画面の前にこういう感じの扉がついたものを見たことがある。」


何か考えるような顔をした後話し出したルッチは両開きの小さな扉を開け閉めするジェスチャーをした。
なるほど、観ない時は扉を閉めておけば家電には見えない代物か。
あ、それなら……
思いつくと、想像が具体的となる。


「それならいっそ、好みの家具の中にテレビを入れてしまえばいいんじゃないですか?」

「ああ、そうか。それなら中に入れるテレビは薄型が良いだろうな、画質もその方が良いだろう。」

「そうですね。ん……でも、そんな丁度いい家具があるかな。」

「それなら、」


私の言葉を受けたルッチが立ち上がる。
彼を目で追うと、近くの引き出しから白い紙と鉛筆を取り出し、私の向かいではなく隣の席に座った。
そしてサラサラと図面を描くかのように紙の上に鉛筆を滑らせる。
彼の手元を覗き込もうと、少し身を乗り出した。


「こういう感じのキャビネットを探す。中のテレビが小さくなるが、あまり高さは無い方がいい。隣のシェルフが背が高いから威圧感が出る。せいぜい、高さは80センチと言った所だな……。幅は今ある椅子とスタンドを合わせたくらいの幅だ。どうだ?」

「素敵!」


器用にもあっという間に家具のデザイン画が描かれた紙の上から隣に座る彼の顔に視線を移す。
想像した以上に近いところにあった顔に驚いた。
お互いの鼻先まで2・3センチといった距離で、彼は全く動じる気配がなく私を見つめていた。
瞬間、カッっと首元から耳に掛けて熱が走り、じわじわと頬にその熱が移動していくのが分かった。
隣の彼が、近い距離に居る私に不快そうな目を向けたり、体を反らしたりしないことが救いだった。
相変わらずあまり表情の無い顔の彼だが、目は何かを面白がっている時のそれで、纏うオーラも怖いものではない。
それに少し安心を覚えながら、煩く主張しだした心臓を誤魔化そうと、彼の絵に視線を戻す。


「そ、それなら、中の棚を外せば良いんですもんね。で、後ろに電源コード用の穴をあけて、あ、アンテナってどうなってるんですか?」

「この建物の共同アンテナで受信できたはずだ。コンセントはそのシェルフの後ろにある。」

「そ、そっか。」


彼の手元を覗き込むように乗り出していた体を少し引いた。
カランと小さな音を立て、彼の長い指から鉛筆が紙の上に落ちる。
鉛筆を失った手で頬杖をついた彼は、紙を少し眺め、そして私に視線を移す。


「私が言い出した事ですけど、ルッチさんの家のインテリアに関わる事なのに、私がこんなに口出しして良かったんですか?」


先程よりは離れたものの、いつもよりは近い距離から顔を見られ、なんとなく視線を逸らして言う。
私の言葉に少し肩を竦めた彼は、目線を私から外すことなく口を開いた。


「今はもう、俺一人の家ではないからな。」


たったそれだけの言葉に、こんなにも湧き上がる喜びが、

まだ、鳴り止まぬこの胸の鼓動が、

一層熱を持つ、自らの頬が、


何を意味しているかなんて、もう、カリファに教えてもらわずとも、分からない訳がなかった。


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