No.82




「じゃあ、行くか。」


ガタンと音を立てて立ち上がった彼をぼんやり見上げる。
距離が離れてしまったことを少し残念に感じるが、彼が何処かに出かけるのならもう部屋に行って休もう。と今日の目的を思い出していた。

未だソファーの上でぼんやりしている私を、立ち上がった彼がむっとした表情で私を見下ろす。


「何をしている。そんな恰好で外へ出るつもりか。」

「はっ?え?私も出かけるんですか?」


驚く私に彼は、何を言っているんだと言うように眉を顰めた。


「テレビを買うんじゃないのか。」

「ああ、はい。テレビ。行動早いですね。」


あまり万全でない体調で出かけるのは気が進まなかったが、これは自分が言い出した事だ、と重い腰を上げる。


「10分間で準備しろ。」


部屋に向かおううとすると、冷静な声が掛かる。
さっきまでピンクががっていた私の心はすっかりブルーに変わっていた。


「……はい。」


今さっき、隣同士で座っている時に、あれ?もしかして、この人も私の事ちょっと好きかも、なんて思っていない!断じて!!
……ああもう、恥ずかしすぎる。

自分の中に渦巻く羞恥を振り切るように、少し早足でルッチの横を通り過ぎる。
すれ違いざまに二の腕を掴まれ、前に出ようとしていた体を無理矢理引き戻された。
驚き、掴んだ相手を勢いよく見上げると、腕を掴んでいるのと反対側の手が耳の下で髪の毛を括っていたゴムをするりと抜いた。


「お前は、髪を結んでいない方が良い。」


近くで呟かれた言葉に、一瞬ぶわりと鳥肌が立った。

呆然と見つめる私を一瞥し、私の髪から抜き取ったゴムで自らの髪を結って去っていく彼の後姿を見送る。
彼の部屋のドアがバタンと音を立てたと同時に、へなへなとその場に屈み込んだ。

……もしかして、この人私の事好きかも……2回目。

勘弁してください。本当に。
はぁーと大きく深呼吸をし、立ち上がる。
10分で、準備しなきゃいけないんだっけ。……急がなきゃ。

−−

与えられた10分という時間内で支度をしようというのだから、洋服なんて選んでいる余裕などないのだ。

しかし考えてみたら、この島に引越してきてから明るい時間に会社内以外でルッチと並んで歩いたことがほとんど無かった事に気が付いた。
彼にとっては特別な事ではないかもしれないが、気付いてしまったら此方にとっては特別だ。

ベッドの上に並べられたワンピースやカットソーを見ているうちに何が何だか分からなくなってしまった。
なんだかどれも、気合が入りすぎた服装のように思える。


違う……これはデートじゃなくて、ただの買い物だってば!
構えない!気合は入れない!

ベッドの上の全ての服をクローゼットに戻し、引き出しから細身のブルーデニムを取り出す。
そして、ハンガーに掛かった白い綿シャツをキャミソールの上に着た。
大きい家具家電を買いに行くんだ、動きやすい恰好が一番に決まっている。
色気なんて無用無用。
メイクだって最低限で行ってやる。ベースとファンデとリップだけ。10分しかないんだし。
色気なんて、無用。

無用……だけど。
カフスを外して袖を折り、手首を出す。
一つだけ外されていた首元のボタンも、もう一つ開けてみる。
彼がこんな事で私に色気を感じるなどあるわけないのに、小さく抗っているかのような自分が切ない。

はっと、時計を見る。
先程から丁度10分程経過した時間を差している。

大きな仕事用のバッグから財布とポーチを抜き出して小さなバッグに入れ替え、パンプスを履き、急いで部屋を出た。


「11分40秒。」

「……すみません。」


いや、誤差でしょ、それくらい!
どれほど前からそこにいたのかと思うくらい、リビングのソファーですっかり寛いでいるルッチが時計を見ながら経過時間を読み上げる。
小さく謝罪の言葉を述べれば、彼は満足したように立ち上がった。
ソファーの背に掛けられていたジャケットを取り上げ、羽織りながらこちらに歩いてくる。
彼がジャケットを着るとハットリがその肩に乗り、シルクハットを被るといつもの見慣れたスタイルとなった。


暗黙の了解のように、私たちが一緒に暮らしていると周囲に悟られないよう、出勤時間さえもずらして家を出ていた。
帰りが夜遅くなると一緒に帰ることもあったけど、休日も外で一緒に過ごしたことなど一度もなかった。
この島はエニエスロビーとは違うし、とか、家でも職場でも顔を合わせる私と外でまで一緒に過ごしたくは無いだろう、とか無意識に気を使っていたかもしれない。


「あ、待ってください。電気とかガスとかもう一回チェック……、」

「お前が11分掛けて支度している間に俺がした。」

「……そうですか。」

「鍵、掛けてこい。」

「はい。」


ルッチと、一緒に出掛ける。
昼間に。
美しいウォーターセブンの街を。


−カチャン。

これは、デートではない。
何度も自分に言い聞かせていたけれど、鍵を回す私の心はやっぱり浮付くのをやめなかった。


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