No.87
日本に居た時も、こんなに真面目に料理をしたことは無い。
鰹出汁をとる行為がこんなに心躍るものだとも思わなかった。
日本に暮らしていた頃は自分一人の為の料理など、面白いものでは一切なく、嫌いな家事ランキング第一位に輝いていたのだが、なんだか今日は楽しい。
料理が日常ではなく、普段はルッチが作ってくれるもの、というのが大きいかもしれないが。
外人舌であろうと思われるルッチの事を考え、米は銀シャリで食べたい所であったが白米で炊かずに炊き込みご飯にした。
この家でリゾットやライスサラダを食べた事はあったが、所謂ジャポニカ米を主食として食べた事はなかったのだ。
つまり炊飯器の無い家なので、鍋で炊く事になるのだが、この米を炊くのが一番緊張した。
学生の頃飯盒炊爨を真面目にやっていて本当に良かった。丁度良い炊き具合で、鍋の縁にできたおこげがまた美味しそうだ。
「ルッチさんてお箸使えます?」
「……馬鹿にしているのか?」
「失礼しました。」
いや、だって普段シルバーのカトラリーしか使わないから……。
箸は使えるのか、調味料と一緒に買ってきて良かった。
買い物の後、日本食を“和食”と言い換えたら理解していたので食べたことはあるのかもしれない。
箸の問題は解決したが、お茶わんやお椀は当然ないので、カップボードのお皿を出したり入れたりして迷いに迷い、結局カフォオレボウルにご飯をよそい、スープボウルにお味噌汁を入れた。
「和食を食べた経験はそれほど無いが、甘辛い味付けのものが多いのか?」
「そうですね、家庭料理は割と多いですね。あと、こういう味が食べたかったのです。本能の赴くままに作りました。」
作ったおかずは肉じゃがと鶏の照り焼き、キャベツのおひたしだ。
前二つは確かに甘辛い味付けで、私はこういうのが食べたかったのだ。
私の食べたいものが、私の作れる範囲でよかった!
ビバ醤油!ビバ味醂!ビバさしすせそ(調味料の順番)!
もっと言うならすき焼きも食べたい!(甘辛い)
あと生姜焼きとか。(甘辛い)
ブリ大根とか。(甘辛い)
「あ、お味はどうですか?お口に合いますか?」
自分的には大満足なのだが、たぶん外人舌である彼はどうだろうか。
既に結構食べ進んでいたので今更感が否めないが、確認しておかなくてはなるまい。
「悪くない。」
ルッチが肉じゃがを口に入れた流れで吟醸酒を流し込み答える。
彼なりの褒め言葉だ。嬉しくて頬が緩んでしまうのも構わず、自分の料理を食べ進める彼を見つめる。
和食はほとんど食べないと言う割に、綺麗に箸を使う。元々器用なんだろう。
彼が小さなショットグラスを掲げ、その中に入れた透明な液体を通して電気の光を見た。
「この酒も悪くないな。」
「そうですか、お気に召したのでしたら今度は四合瓶じゃなくて一升瓶で買ってきますよ。」
そうだ、その時にもし売っていたらぐい呑みと徳利も買ってこよう。
お酒をショットグラスで飲むのはなんだか微妙にアンバランスだ。
それにどうせなら大吟醸買えばよかった。
日本では自分用に大吟醸なんてもったいない気がして買うことなかったけど、彼には沢山お金使わせてしまっているんだしこれくらいなんてことない。
次は大吟醸の一升瓶だ。うん。
よし、と心の中で決定して、ご飯をぱくんと口に入れる。
もぐもぐと咀嚼している所で目の前の彼と目が合った。
「うまそうに食うな。」
どうやら大口を開けてご飯を食べているところから見ていたらしい。
普通の恋する女子なら恥らうところなのだろうが、何ヶ月も数え切れないほど彼と食卓を共にしている私には今更な問題だ。
彼の言葉に大きく頷いて返す。
「はい、美味しいです。ルッチさんは?」
「今さっき言っただろ。」
彼は、私のand you?に、睨むような目線をくれながら、酒を飲む。
「もう一回、言ってくださいよ。」
しかし、そんな睨みであっさり引く私ではない。この半年の同居を舐めてもらっちゃ困る。
一見無表情の貴方が機嫌が良い事は分かっている。
彼は、ふぅと息をついて、鶏の照り焼きに箸を伸ばした。
……なんだ、無視か。
ちぇ、と思ってお味噌汁の入ったスープマグに口を近づける。
「うまい。」
陶器の縁に唇が触れる直前、聞こえた言葉に固まった。
……え?……今……。
スープマグを口元まで掲げたまま、目の前の彼を見る。
悪くない、じゃなかった。
悪くない、が彼の他人に対する最上級の褒め言葉だと思っていたのに……。
鶏の照り焼きを口に入れてから箸を置き、四合瓶から直接グラスに酒を注いだ所で、私の視線に気づいた彼が目を上げた。
「なんだ。」
彼が酒で満たされたショットグラスを持ち上げながら怪訝そうな顔を向ける。
今の「うまい」の一言で、この数時間で蓄積された嬉しい気持ちがMAXまで募り、溢れた。
それでも抑えようと一瞬ぎゅっと目を強く瞑るが、そんなもの無駄な抵抗で顔一杯に喜びが露となる。
そして、この嬉しい気持ちをくれた人物に溢れ出る笑顔を向けた。
「そっかぁ。よかったぁ。嬉しいです。ありがとうございます。」
私が笑いかけると、彼はグラスを持ち上げた状態で数秒止まり、またゆっくりグラスを口元に近づける。
そして酒を一口飲み、喉がコクリと動くと、彼は私から目を離さぬまま笑みを浮かべ、フッと空気の漏れるだけの音を立てた。
そしてまた、料理に箸を伸ばす。
私も、手に持っていたお味噌汁を口に運んだ。
久しぶりの出汁の利いたお味噌汁は、幸せなほど美味しかった。
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