No.96-side:GALLEY-LA
甲板に居る部下に声を掛けると、それに応えるように二人の男が大きく腕を振るのが見えた。
巻いた状態で肩にかけていたロープの端を持ち、残りを部下へ向けて投げる。
彼らが目の前に落ちてきたロープをちゃんと捕まえたのを確認すると、手に残っていたロープの端をマストへ素早く括りつけた。
急に両端が固定された為かロープが縄跳びのようにぐわんと揺れる。
ぐいぐいと結び目を引っ張り、それが容易には解けないことをしつこく確認する。
ロープを辿った先に視線を向けると、部下の一人はロープが撓まないように引っ張り、もう一人が船体に括りつけている。
先程の自分と同じようにぐいぐいと結び目を引っ張り、ロープの張り具合を見るように何度かロープを揺らす。
そして顔を上げ、俺に向けて両手で大きな丸を作った。
「オーケーでーす。」
下から聞こえた部下の声に片手を上げる。
今張ったロープでひと段落だ。
足場にしていたヤードに腰掛ける。下の方でも部下たちが休憩に入った事だろう。
胸元のポケットから葉巻を取り出し、火を点けないままに口に咥えた。
煙を吸う時とは違う、薄らとした物足りない葉巻の香りを感じながら空を見上げる。
マストから放射線状に張られたロープ越しに太陽が真白く光り、目を細めた。
俺は、高い場所に上がるのが好きだ。
特に帆を取り付ける前のマストに上がるのが殊更好きだった。
尻だけヤードに乗せた状態で、ブランコを漕ぐ子供の様にブラブラと足を揺らす。
俺と同じ高さを鴎が通り過ぎた。
「タイルストンさん!」
男たちの太い声が飛び交う中に女の声が混ざるというのは殊のほか耳に付く。
反射的に声の方に目を向けると、俺の唯一と言っていい異性の友人が、彼女の倍ほどもありそうな大きさの男に駆け寄る所だった。
小脇に抱えていたファイルを開き、タイルストンに見せる。
タイルストンが背中を丸めるようにして彼女の手の中のファイルを覗き込んだ。
ふと、口に挟んでいた葉巻が落ちそうになり、慌ててポケットに戻す。
もう一度ナツへ目を向けると、最近は下ろされている事の多い黒髪がきっちりとジャケットを着込んだ肩からパラリと落ちるのが見えた。
もやもやと、面白くない感情が沸き起こる。
――俺には何の用事もないってか。
元々ナツが重要な用件で俺を訪ねることはほとんどない。
精々が進行表や報告書の受け渡しや、承認のサインを貰いに来るくらいだが、先日俺の分の進行表を直接渡しに来ずにルルに託けていた事を思い出し、唇を歪めた。
今までなら大した用事が無くても一応俺に声を掛けていたのだ。
そこで軽口を叩きあったり、2人で結託してカクやルッチをからかったりしていたのだ。
だからその流れで以前はよく飲みに行く約束もした。
常に金欠の俺が、ヤガラレースに行っても3回に1回は飲みに行く分の金を財布の中に残すようになったのはそのせいだ。
1.よう。
2.今日、残業あるか?
3.たまには飲みに行こうぜ。
3語だ。
たった3語できっとあいつと前のように気の置けない空気で他愛の無い時間が過ごせるはずだ。
だけど何故だか、なんでもないその3つの言葉を口にするのが途方もなく難しい事のように感じた。
タイルストンが覗き込んでいたファイルから顔を上げた。
まだナツと何か話している様子ではあるが、彼女が開いていたファイルを閉じた事から大方用事が終わったことが窺える。
……下に、降りようか。
以前なら頭で考えるより前に出来ていた行動に躊躇する。
彼女は最近近寄りがたい。
自分の同僚と付き合いだした頃から人付き合いが悪くなったように感じる。
否、もしかしたら俺がそう思っているだけなのかもしれない。
たまに話しかけようと思っても、以前は一人で行動することが多かった彼女は、最近クラークの女共とつるんでいる事が多い。
女が数人寄れば必ず一人二人はハレンチな格好をしてやがるし、たまに少人数だと思えばナツの隣にダリアが居る。
……別に、カクと付き合うことになった彼女に未練があるわけではないし、完全な片想いだった気持ちを伝えた事も無いから気遣う必要もないのだが、ダリアと顔を合わせるのはやっぱりなんだか気まずかった。
友達が出来るのは良い事だ。
俺が話すのはまた、別の時にしよう。
そんな遠慮やすれ違いを繰り返しているうちに、ナツと話さなくなって数週間経ってしまった。
このまま疎遠になってしまうには勿体ないと思うくらいに俺はナツとの他愛無い時間を気に入っていた。
出来れば前みたいに、下らない事で言い合いをしたり、お互い同じ部署の奴らには話せない愚痴を酒場で零したり、それを自分で言っておきながらフォローしたり、俺のギャンブルの話にナツが興味なさそうに生返事を返したり、そういう事が出来ればいい。
気楽な奴だと思っていたが、いざこうなると男を相手にするのとは勝手が違って、上手く立ち回れない自分に苛々する。
やっぱり、声を掛けよう。
下に、降りて行って、なんだ来ていたのか。と偶然を装えばいい。
1.なんだ、
2.来ていたのか、
3.久しぶりだな。
これだ。
よし。と膝をひとつ叩き、腕の力だけで勢いを付け、ヤードの上に立ち上がる。
少し下のトップ台へ飛び降りると、会社の屋根から人影が落ちてくるのが見えた。
「ナツ!!」
街中の屋根から屋根へ飛び移りながらやってきたのであろう人影は、真っ先にナツの存在を見つけ、そちららへ着地した。
「なんじゃ、来てたのか。久しぶりじゃなあ!」
「カク!お帰りなさい。査定に行ってたの?」
「そうなんじゃ、面倒な場所に泊めたみたいで見つけるのに苦労したわい。」
「あ、そういえばダリアと今度……」
俺がようやく決心した言葉を後からやってきたカクがあっさりと口にした。
そして、すぐに二人で盛り上がりケラケラと笑っている。
カクが社内へ向かうナツを送るようで、話しながら自然に歩き出した二人を見て、俺はトップ台から降りるのをやめた。
口の中で小さく舌が鳴った。
一度ポケットに仕舞った葉巻を再度取り出し口に咥える。
「職長ーパウリー職長ー。帆に取り付けるギア、見て貰えませんか。」
「…………おー。」
甲板から俺を見上げ声を掛けた部下に返事をする為、葉巻の隙間から溜息と共に声を出した。
カチカチと数度鳴らしながらライターに火を灯し、葉巻の先にその火を移す。
肺いっぱいに吸い込んだ煙と共にもう一度大きく息を吐きだし、甲板へ飛び降りた。
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