6-5




「さあ、エレナ。そろそろ眠くなる時間だろう?コートを着て。」


夜8時を回った所で、ミスターホームズが時計を見上げ新聞を閉じた。
ミセスホームズの持っていた毛糸でポンポンを作り、ハサミで毛先を丸く整えながら首を横に振る。


「まだ、眠くない。」

「そんなこと言ったって、エレナ、明日も学校だろう?」

「おうちに、帰りたくない。」


私はホームズ夫妻にあまり我儘を言ったことは無い。
内心気が進まなくても「こうしなさい」と言われれば、ほとんどの場合二つ返事で「はい。」と返した。
珍しく頑なな私の様子に、ホームズ夫妻はそれぞれの手を止めて顔を見合わせた。


「エリー?どうしたの?いつもならママが帰ってきちゃうかもしれないから早く帰るって言うじゃない。」

「おうちに何かあるのかい?ネズミが出たならおじさんが捕まえてあげよう。」


私の顔を両隣から覗きこんでくるホームズ夫妻に、再び首を横に振る。
弱った顔で私の頭を撫で、「今日は泊まらせようか。」「それならミスノールズに電話しないと。」「まだ職場にいるかな。」と頭上で相談を始めた。


「僕が送って行く。」


ママの職場の電話番号を探そうと手帳を捲り始めた両親を遮るようにシャーロックが進み出た。
ミスターホームズが手帳を捲る手を止め、驚いたように息子を見た。


「でも、シャーロック。」

「いいから。エレナ、行くぞ。」


コートハンガーから私の白い上着を取り、私の膝の上に投げた。
上着を抱きしめ、玄関に向かうシャーロックを見返す。


「やだよ。シャーロック。」


懇願するようにシャーロックの名を呼ぶ私を見て、ホームズ夫妻が慌てたように立ち上がった。


「シャーロック、もう遅いんだから子供だけで歩くのなんて駄目よ。いいのよ。今日はうちに泊まればいいんだから。ね、エリー、そうしましょう?」

「そうだよ。考えてみたら、僅かな時間でもこんなに小さな子がお母さんが帰って来るまで一人で待ってるなんて寂しくなるにきまってるんだ。」


両親の言葉が耳に入っているのかいないのか、シャーロックはつかつか私に歩み寄り、膝から上着を取り上げて少々乱暴に私の肩に掛けた。


「エレナ、君が家に一人で居たくない理由は分かってる。僕が一緒に行ってあげるから、おいで。」


彼は私の腕を掴み、中途半端に上着が引っかかった体をソファーから引き上げる。
成されるがままの私に対し、彼の言葉に食いついたのはホームズ夫妻だった。


「家に一人で居たくない理由?」

「やっぱり何かあるのね?エリー、おばさんに話してごらんなさい?」

「必要ないよ。子供だけの秘密だ。」


ホームズ夫妻がやんややんやと声を上げるのをシャーロックが一蹴した。
子供だけの秘密と言われ一瞬怯んだ彼らだったが、何かに気付いたように険しい顔になった。


「ああ、学校で何かあったんだね?意地悪な子がいる?それとも先生?」

「話して、エリー。ママと相談してからおばさんが学校に言ってあげるわ。」

「違うよ、パパママ。」

「いいえ、シャーロック。エリーがこんなこと言うなんて初めてなのよ。」

「ママ。」


諌めるような息子の声に、ミセスホームズは険しい表情ながらも口を噤んだ。


「エレナ、本当に学校では何もないんだね?」


念を押すようなミスターホームズに頷いてみせると、彼は納得したようにシャーロックを見た。


「わかったよ、シャーロック。君に任せよう。子供たちだけではどうにもならないと思ったらすぐに相談する事。あと、エレナを送り届けたらまず無事に着いたと電話をして。いいね?」

「たった2軒隣なんだけど。」

「わかったね?シャーロック。」

「分かったよ、パパ。行こう、エレナ。」


シャーロックが再び私を促すと、不安そうな顔のミセスホームズにハグをされ、ミスターホームズに額にキスを貰った。
名残惜しむ視線を彼らに向けながら手を振り、シャーロックの背中を追う。


「赤ひげ。」


シャーロックの呼びかけにすぐさま赤ひげが駆け寄ってきて、2人と1匹で私の家に向かう事になった。
ホームズ家の門扉を出て、数フィート歩いたところでシャーロックが立ち止まり勢いよく私を向く。


「馬鹿か、君は!」


流石に夜なので大きな声は出さないが、彼の声は勢いがあり憤っている事が伝わった。


「あのままだったら、本当にパパ達は君のママに連絡を取りかねなかった。君のママは今日は帰らない日だ。うちの両親は遅くても君のママが家に帰る事を前提に君を預かっているんだ、わかるだろ?……もし、君のママの事がうちの両親に知れたらどうなる?下手をすればCSC(児童相談所)に連絡を入れられるぞ。言っておくが君のママが君を放っている現状は違法だ。頼る親戚を持たないママから引き離されて、君は一体何処へ行く?エレナ、賢い君ならもう分かるだろ?」


責めるようなシャーロックの言葉に体を強張らせた。
彼の言う通りの展開になったら、祖父母の居ない私が預けられる先は大好きなホームズ家ではない。両親に育てられない子供達が集まる施設だ。
そんな現実感の無い話が急に身の上に降りかかり呼吸が少し苦しくなった気がした。
下唇を噛んで俯くと、右手を取られる。
そのまま強く握られ、ぐいぐいと引っ張るように歩かされた。

頭の芯が熱く熱を持ち、噛みしめた唇がジクジクと痛んだ。

家に辿り着くと、シャーロックが慣れた動きで隠してある合い鍵を取り出し解錠する。
手際よくパチパチとライトと暖房のスイッチを入れ、コートを脱ぐ。
私は玄関を入った所で、無駄の無い彼の動きをぼんやり眺めるだけだった。
シャーロックは迷いなく電話を取り、プッシュボタンを押した。


「ああ、パパ?今エレナの家に着いたから。うん、問題ないよ。……分かってる。じゃあ。」


20秒足らずの短い通話を終えると、シャーロックはようやく私を向いた。
彼はもう怒っているような表情ではなかったが、何を考えているのか窺い知れない表情で私を真っ直ぐ見つめる。
頭の中さえも暴かれてしまうような彼の瞳に見つめられると、私はたまらなく泣きたくなった。
赤ひげが、私を見上げてクゥと小さく鳴いた。

ゆっくりとシャーロックが私の目の前まで歩み寄った。
ふいに彼が片手を持ち上げ、思わずびくりと体を揺らす。
彼の手は私の下唇に触れ、すぐに離れる。
噛みしめすぎて、私の唇が切れていたのだろう。親指に血が付いていた。
彼は自らの親指に移った赤を眺めてから、なんのコメントも無くその手を下ろした。


「……シャーロック。」


静寂な室内で、はっはっと繰り返される赤ひげの呼吸音だけが唯一だった。


「私は、ひとりぼっちになるのね。」


ぽつりと一番の不安を言葉にすると、目の奥で凍っていた氷が解けるように、私の意思とは関係なく涙がじわじわと流れ始めた。
しばらく私が涙を拭う事もせず、ただ立ち尽くして泣き続けるのを見ていたシャーロックは、ようやく小さな声を出した。


「マイクロフトは……君を妹だと言っていた。」


彼は、相変わらず何を考えているのか計り知れぬ顔で、唇の動きも最小限に話す。


「血が繋がっていなくとも、家族だ。少なくとも僕はそう考えよう。君が心細いと感じるなら僕が傍に居たっていい。」


感動的な言葉をシャーロックが言い、私は数回瞬きをした。


「……シャーロック、無理してない?」

「……少し。」

「少しどころじゃないわ。だってあなた、一人が好きなのに、私の傍にいる、なんて……。」


私の言葉に彼が困惑した顔をした。


「ラボが欲しいから?」

「違う!……いや、ラボは欲しいけど。」


肝心な所で嘘を吐けない彼が可笑しくて、思わずぶっと吹き出した。
くつくつと笑いながらも涙は止まらない。

笑い泣きを始めた私を前に、シャーロックが顔を顰めて視線をうろうろと動かし始めた。
きっと、どう対処したらいいのか分からないのに違いない。
益々可笑しくなって遂にしゃがみこんでしまった私に合わせるように、彼も腰を屈めた。
赤ひげの背中で体を支えながら、涙の溢れ続ける瞳でシャーロックを見上げる。


「血が繋がってなくとも、家族よ。シャーロック、私もそう考えることにする。」


そして目の前にある彼の首に、両腕を回し抱きついた。
瞬間緊張したように体を強張らせた彼は、遠慮がちに私の背中をポンポンと素早く叩いた。

意外にも、彼とハグをしたのはこの時が初めてだったのだ。








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