7-1




シャーロックは、まるで我が家を自宅の離れか、第二の自室のように思っているらしかった。

実験や解剖は断固とした態度で拒否していたため、ホームズ家の彼の自室でしばしばみられるグロテスクな、何かの生物のどこかの臓器……みたいなものを私の家で見ることは無かったが、学校の理科室にあるような顕微鏡がうちに1週間ほど置かれていた時はあった。


「エレナ、シャーロックにたまにはママと家に居るように言ってやってくれよ。」

「おじさん、私がそれをシャーロックに言ってないと思う?」

「……そうだね。」


学校の帰り道、車の中でミスターホームズとお決まりのようにこの会話をするようになっていた。
今となっては彼が私の家に居ることは、ホームズ夫妻も承知の事だった。
当然、ホームズ夫妻は最初の頃、私の家に彼が入り浸る事について良く思わず、苦言を呈していたが、シャーロックにあっという間に言いくるめられてしまったようだ。
彼はこの件について両親に従う気など毛頭なく、ホームズ夫妻も注意しながらもそれを分かっていたようだった。


「シャーロックは迷惑をかけてないかい?」

「別に。シャーロックは、どこに居ても同じだもの。本を読んだり調べ物をしたり。場所がうちに変わっただけ。」

「なら、うちに居ればいいのに。」


これもおじさんとのお決まりの会話。
私がホームズ家に掛けている迷惑に比べたら、シャーロックが家に来る程度気にすることも無いと思うのだが、大人というものは彼方此方を心配しなくてはならず大変だ。


「秘密基地が出来たみたいで嬉しいのかな……。」


そんな風にミスターホームズはシャーロックの一過性のマイブームだと納得したようだったが、シャーロックが私の家に入り浸るのは、彼が実家に居る限り続く。

車が私の家の前に停まると、家の中からバイオリンを掻き鳴らす音が聞こえた。
思わず苦笑するミスターホームズと目を合わせると、彼は仕方ないというように肩を竦めた。


「夕飯には遅れないようにね。」

「わかった。おじさん、またあとでね。」


ミスターホームズの首に手を回してハグをしてから車を降りる。
玄関扉を開けると、めちゃくちゃなバイオリンの音は一際大きくなった。
両耳に人差し指を突っ込み、目をぐるりと回す。
お隣のブラウンさんからクレームが来る前に早くこの音を止めなければと、急いでリビングに向かった。


「ちょっと!」


素早く廊下を通り抜け、リビングに足を踏み入れるが、騒音の発生源はこちらに背中をむけバイオリンを構えており、さらには目を瞑って弾いている始末で、私の存在などに気が付く余地もなかった。
ぐるりと部屋の中を見渡すが、いつも傍らに居るはずの赤毛の塊は見当たらず、きっと騒音被害が比較的少ない場所に避難しているのだろうとほんの少し開いた私の部屋の扉に視線を向けた。


「ねえシャーロック!」


ガ・ガ・ギャギャギャギャ・キューガガガガガ!!!
バイオリンとは人の歌声に最も近い楽器と聞いたことがあるのだが、これではまるで工事現場だ。


「ねえってば!!!」


腕の2倍の長さ程もありそうな弓を持つ右手を捕まえると、ようやく騒音は止まった。


「ああ、ハロー。」

「ハローじゃないよ!バイオリンを弾くのはいいけど、ちゃんとした曲にして!」

「そればかりじゃつまらない。」

「つまるつまらないじゃないの。それならせめて赤ひげを家に置いてきなよ。犬はヒトより耳が良いんだから。」


私の部屋の扉を開けると、案の定ベッドの下に潜んでいたらしい赤い塊が勢いの付いたゴム毬のように飛び出してきた。
屈んだ私の肩に前脚を掛けて、尻尾をブンブン振り回し、頬をべろべろ舐める。


−おかえりおかえり、よくぞ帰ってくれました。
−もう少しあなたの帰りが遅かったら、ぼくの耳はもげてしまっていたかもしれませんよ。
−バイオリンの音を止めてくれたエレナ、歓迎します。よくぞおかえり。


犬が人の言葉を話したなら、きっとそう言っているに違いないと思える程の必死さを感じた。
どうどう、と赤ひげの背中を叩き、ずっしりと肩に乗った前脚を外す。

バイオリンを弾くのを止めたシャーロックが弓をテーブルに置いて、深くソファーに腰掛けた。


「赤ひげを家に置いてくるなんて出来ないよ。僕らはいつでも一緒なんだから。」


ポロン。と爪先でシャーロックがバイオリンの弦を弾く。


「ね、赤ひげ。」


アイスブルーの瞳が細められ薄い唇が弧を描くと、私にじゃれ付いていた赤ひげはパッと踵を返してシャーロックに駆け寄った。
犬が言葉を持っていたなら、こう言っているに違いない。


−もちろんさ!我が親友シャーロック!


Oh、赤ひげ。なんたる変わり身の早さ。

赤ひげは例えどんな目に合っても、シャーロックが大好きで何処までも彼に従順だった。
シャーロックの赤ひげに対する信頼も、揺るぎないものだった。

彼らは、何者も付け入る事が出来ない位確固たる絆で結ばれていた。

何人たりとも、彼らを引き離すことは出来ないのだ。


何人たりとも。


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