7-2
「はい、おつり。この飴はおまけよ。」
「どうもありがとう。」
「早く帰りなさいよ。寄り道もダメ。もうすぐ暗くなるからね。」
「はあい。」
雑貨屋のおばちゃんに手を振って、ショルダーバッグにお財布と今買ったノートを仕舞い、飴玉をポケットに入れて駆け出した。
この辺りはロンドン程都会ではないし、家から然程遠い店でもないが、7歳の子供が一人で買いものに出るのはやはり珍しい。
一人歩きが怖い訳ではなかったが、一人で歩いていると親切な大人に何事かと声を掛けられるので、やはり早く帰るに越したことは無いのだ。
幸い、その後誰かに会う事も無く玄関に辿り着けて、ほっと息を吐く。
鍵を開けて中に入るが、そこに思った人物の気配はなかった。
いつもは「またシャーロックったら勝手に入ったのね!」と不満に思っている位なのに、居ないなら居ないでなんだか寂しく味気ない。
「さみしくなんか、ないわ!」
わざと元気に大声を出してみる。
「そうだ!邪魔者がいないあいだに、宿題をしましょう!」
算数のプリントがあった事を思い出し、下手くそな演劇のように棒読みで口に出してみる。
自分の声が響いた後に訪れる静寂が何とも物悲しく、もう、声に出すのはやめた。
キッチンでお湯を沸かし(もうコンロを使うのに緊張したりはしない)、一人分の紅茶を淹れた。
紅茶もシャーロックと居る時は、ちゃんと茶葉で淹れるようにしているのだが、今日は一人なので久しぶりにティーバッグだ。
沸かしたお湯にティーバッグを入れ、しばらく待ってから取り出しミルクを少し。
クルクルとティースプーンで混ぜてから、マグカップを持って宿題を広げたリビングへ戻る。
一口飲んで、への字に口を曲げた。
「…………イマイチ。」
やっぱり、紅茶はリーフティーに限る、のかもしれない。
傍らに一口飲んだだけの紅茶のマグを置いたまま、しばらく学校の宿題を熟す。
計算というより頭を柔らかくして解くパズルのような宿題は、ゲーム感覚でやってすぐに終わった。
シャーロック遅いなあ。と時計を見上げる。
去年彼は、我が家の隠してあるスペアキーからさらにスペアキーを作って持つようになり、それから一日も欠かすことなく必ず我が家に顔を出した。
殆どは私が学校に行っている昼間から夕食までの間で、例え昼間に何か用事があったとしても夕方ほんの短時間我が家に来る。
そして一緒に夕食を食べにホームズ家へ向かうのだ。
夕食のぎりぎりの時間まで待ったが、きっと今日はうちには来ないんだろうと腰を上げた。
ホームズ家で会ったら、一言「待ってたのよ。」と言ってやらなければなるまい。
リビングの電気を消してしまうのはなんだか怖いので、カーテンだけ閉めて電気は点けっぱなしで出かけることにした。
玄関を出て、鍵を掛けようと視線を下げた所でぎょっとして一歩飛びのいた。
扉の横に大きな黒い塊があったのだ。
ドキドキと波打つ心臓を大きく呼吸をしながら落ち着かせ、薄暗い中塊を凝視すると、どうやらそれは膝を抱いて蹲るシャーロックだという事が分かった。
「シャーロック?」
声を掛けるが、返事はない。
恐る恐る、膝を抱え頭を埋める彼の腕に触ると、小刻みに震えているのがわかった。
「シャーロック?どうしたの?」
「...あ...I...I...am......」
「え?何?」
消え入りそうな小さな震え声で、しかも顔を腕の中に埋めているので籠って聞き取れない。
彼の顔に耳をこれでもかと寄せると「I am sorry...I am sorry...」と繰り返していた。
彼がごめんなさいと謝るのを見た事が無いわけではない。
どんなに大人ぶっていても、どの子供よりも博識であっても、彼が子供であることには変わりが無かった。
時には些細な子供らしい間違いも犯すし、両親に叱られてしょげかえる事もある。
そんな時には、自ら、または両親に促されて、頬を膨らませたり唇を尖らしながら「sorry」と呟くのだ。
しかし、今の彼はそれとは全く違う。
何かに怯えるように身を隠し、震え、うわ言のように「ごめんなさい」と繰り返すその姿は、彼より幼い私から見ても普通の状態ではなかった。
思わず、私より大きなシャーロックの体に覆いかぶさるように両腕を回し、守るように抱きかかえた。
彼の髪も服もひんやりと冷たくなっていて、いつからここに居たのかと、たまらなく心配になった。
少しでも彼の体を温めようと手の平が当たる部分の彼の体を一生懸命に擦った。
「大丈夫。シャーロック、大丈夫だよ。もう、怖くない、大丈夫だよ。」
彼の身に何が起こったのかなんて分からない。だけど、とにかく必死に彼を宥めようとした。
彼が「I am sorry」と言う回数と同じくらい、訳も分からないまま「It's ok」を繰り返していたように思う。
そのうち、本格的な闇が辺りを包み込み、私自身も寒くなり、ここでシャーロックを抱いているのも限界だと感じてきた。
「シャーロック、とにかく中に入ろう?」
「...no.」
「シャーロック、ここは私達の部屋だよ。安全だよ。大丈夫。このままだと風邪ひいちゃう。」
昨日まで“分かってる?シャーロック、此処は貴方の家じゃないんだからね!”と喧嘩腰に主張していた私の言葉とは思えなかった。
「ね?」と彼の背中を祈る気持ちで撫でると、彼は腕に埋めていた顔を少しだけ持ち上げ、その場からゆっくり立ち上がった。
ほっとして急いで玄関の扉を開けて彼を迎え入れる。
幸いにも随分前に消したはず暖房の温もりはまだ少し残っていた。
リビングの電気を点けて出て良かったと思いながら、ズルズルと体を重そうにしながら歩くシャーロックをなんとかソファーに座らせ、ヒーターのスイッチを入れる。
とにかく彼を温めなければと思い、ママの寝室からダブルのブランケットを持ってきて彼をぐるぐる巻きにした。
彼の隣に座り、ぐるぐる巻きの上から彼の背中を撫でる。
沈黙が止めどなく流れ、なぜこんな時こそ赤ひげが居ないんだろう、と彼の親友の不在を呪った。
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