9-5




「まあ、うちのパパとママはちょっと大変かもね。」


クラシカルなオイルランプに火を点けて、ふっとマッチに息を吹きかけながら、シャーロックはベッドの中の私に言った。

シャーロックの部屋。
なんだか嗅ぎ慣れない薬品みたいな匂いに、理科室でしか見ないようなフラスコやビーカー類、アルコールランプに顕微鏡。
沢山の百科事典や、タイトルに『自然界の毒百種』とか書いてある物騒な本が乱雑に置かれたこの部屋は、お世辞にも片付いているとは言い難かった。


「なんで?」


シャーロック自身もここ最近はほとんど使わないであろうベッドの中から、お爺さんみたいな雰囲気の椅子に座る彼に声を掛ける。
彼は私に呆れたような瞳を向けた。


「なぜって。君は、ミスノールズの娘だぞ?親である義務を怠っていたからと言って、自動的に親子関係が解消されるわけじゃない。
いいか?君がママを愛しているのと同じようにミスノールズも君を愛している。
……ただ、絶対解消されない親子関係より、繋がりの危ういあのフワフワ赤毛のソバカス男との愛を優先した時期があったってことだ。
つまり、子供を取られてハイそうですか。で引き下がる親は居ない。下手したらうちの親を訴えるかも。」

「……そんな。」


早速私は自分の行動を後悔し始めていた。
やっぱりあの場は私が我慢するべきだったのかもしれない。
私は別にママを悲しませたかったわけではないし、ホームズ夫妻とママを喧嘩させたかったわけでもない。
……ただ、マンチェスターに行きたくなかったし、ホームズ家と離れたくなかった。
引越しや転校で、ジミーやアビーと別れるのも嫌だった。
自分の予想を遥かに超えて大事になりそうな事態に胸が痛んだ。


「私が自分で逃げてきたの。おじさんとおばさんが取り上げたわけじゃないわ。」

「分かってる。でも、逃げて来た君を速やかに返さない時点でそういう事なんだよ。」

「……訴える、なんて。」

「まあ、可能性だけどね。君のママが不利な部分も沢山あるし。」


シャーロックは何でも無いような顔で、机の上のペンを指先でクルリと回した。


「大丈夫だよ。うちのママとパパだって馬鹿じゃない。それに、僕が今まで何もしてなかったと思ってるの?」


バサリと机の端から紙の束を取り出した。
バサバサとその紙を私に向けて揺らし「見る?」と首を傾げる。
掛け布団を鼻の下まで持ち上げながら、じっとシャーロックの手元の紙束を見つめた。
そして、布団を頭の上まで被り、寝返りを打つ。


「……見ない。」


私のくぐもった声が布団の中に響く。


「ママを悪者にするための紙でしょ。」

「もちろん、最初から使おうだなんて思ってない。いざという時の最終手段だ。」

「……それでも、見ない。」


シャーロックはそれ以上何も言わなかった。
ガタガタと音がして、布団から顔を出し様子を窺う。
シャーロックがオイルランプを移動させたせいで、部屋の明かりが不安定にゆらゆらと揺れた。
彼がランプに金属のシェードを掛ける。
360度に光を発していたランプの明かりは、殆どを金属に遮られ、下方向だけを照らすに留まった。
僅かな明かりだけになると、シャーロックがベッドに潜り込んでくる。
私が温めていた温もりを探すように手足を伸ばした彼は、結局温もりの発信元である私を抱え込んだ。


「やめて、狭い。そうされると寝返り打てないの。」

「我慢しろ、体が温まるまでだ。君は体温が高いから……」


私のクレームを適当に往なし、私を抱き枕にした彼は、早速うとうとと微睡み始める。
こうなってしまうと、私も諦めるしかない。
彼の寝息が聞こえる頃には、私も眠くなってしまうから。


−−

それからたっぷり3ヵ月間。
ママとアルバートとホームズ夫妻の話し合いは続いた。
シャーロックはああ言ったけど、私がマンチェスターに行くことでしか事態は収束しないだろうと、心のどこかで覚悟していた。
でも、最後はママが折れる結果になった。
ホームズ夫妻がママに何を言ったのかは分からない。
結局どこかの行政や法律の専門家を挟む事はしなかった。

もうすぐ10歳になる私を抱きしめたママは、ごめんなさいと愛してるを、私が今まで貰い損ねた分全部くれたんじゃないかと思う位言われた。
ママが離婚する時私のパパに貰った家は、依然ママの名義だけど実質的に9歳の私だけの家となった。
私の保護者も、もちろん名義上はママだけど、ホームズ夫妻が引き受けてくれる事となった。

半年後、ママは仕事を辞め、マンチェスターに引越した。
アルバートやその息子と暮らすことにしたママだけど、私が大人になった今も、ママ達は未だに籍を入れていない。
まあ、男女の関係は色々だから。
私が口出しするつもりはない。

誤解しないでほしい。
私とママは決して気まずい関係になったりしていない。
離れて暮らしても、人生の節目に本当の親という物は必要だし、私が大人になるにつれママの色んな部分が理解できるようになったのだ。
ママとは遠くに住んでる女友達という感覚だ。

今も、ロンドンとマンチェスターの距離で仲良くしている。








NEXT→ to grow


[*prev] [next#]

ALICE+