10-3
「……サセックス?」
「……ああ、サセックスの、ブライトンだ。」
「……ブライトン。」
ぼんやりと、ジミーの言葉の単語を繰り返す。
サセックスには2年前の夏休み、ホームズ家と一緒にバカンスに行ったことがあった。
ホームズ夫妻やシャーロックと、ビーチでフィッシュアンドチップスとアイスクリームを食べ、海に入った事を思い出す。
「海が、あるわね。」
「……そうだね。」
ぼんやりと放心している私の口から出てくる呑気な言葉に、ジミーは素直に頷く。
「暖かいし、シーフードが美味しいのよ。」
そう言って、ジミーを見つめると、彼の輪郭は酷くぼやけて見えるのだった。
「Oh、エリー。」溜息の中に私の名前を混ぜながら、ジミーがハグをした。
「泣かないで。君に泣かれるのが一番つらい。」
「ごめんね。私、泣き虫なの。」
「知ってるよ。」
顔を埋めた彼の肩に両目から1滴ずつ涙が吸い込まれると、視界がクリアになる。
「良い、街だわ。」
「……エリー。もういいよ。」
ジミーは、私がサセックスの良い所を上げて彼を慰めているとでも思ったのかもしれない。
ポンポンと背中を叩かれ、体を起こし彼から少し離れる。
彼は自分は立ったまま、私を出窓の縁に腰掛けさせた。
「親の都合なんだ。」
彼は眉間に皺を寄せ、口元を歪めて言った。
「向こうにセカンドハウスがあって、休みになると家族で行ってた。両親はずっとサセックスに引越すために、仕事の基盤を向こうで築いていたらしい。……今年からセカンドハウスを本邸にして生活する事になったんだ。父親はもう先に向こうに行ってる。」
「そうだったの。」
今お腹の奥で、嫌だ嫌だと駄々を捏ねている自分を必死で抑え込む。
いつだって親の都合だ。子供の私たちにはどうにもならない事が山のようにあるのだ。
ジミーに我儘は言いたくない、それでも。
「……ショックだわ。」
「ごめんよ。」
座る私と向かい合うように立っていたジミーは、俯きゆるゆると首を振る私の髪を静かに撫でた。
しばらく彼の手が頭の上で動くのを感じていたが、視線だけ上げて彼を見上げる。
「もう、会えなくなる?」
「まさか!まさか、エリー!そんなわけないだろ!」
私の肩を両手で力強く掴み、腰を屈めて私の顔を覗きこむ。
いつも楽しそうに笑い、鼻歌交じりにガムを噛み、余裕な態度で教師と話すジミーとは思えなかった。
初めて見る必死な顔を悲しそうに歪め、私に向き直る。
「僕は絶対に君に会いに来る。」
「本当?」
「本当さ。だって君は僕のスペシャルなんだ。」
「貴方だって、私のスペシャルな友達よ。」
私の言葉に彼が困ったように笑う。
ジミーが、私の肩を掴んでいた手で私の頬を包み込んだ。
「この学校で5歳の君を見つけたのは僕だ。細いブロンドに丸くて赤いほっぺでさ。眉を下げて、クラスメイトや先生にどう思われてるかいつも窺うようにソワソワしてた。小さなエリーはとっても可愛かったよね。」
そう言うと彼は懐かしそうに遠くを見ていた視点をしっかり私に合わせる。
「しかも、大きくなった君はとってもワンダフルでゴージャスだ。」
両手で包んだ私の顔を覗きこむように彼は顔を寄せる。
「君の一番は僕だ。僕でなくちゃ。僕の一番は君なんだから。」
その言葉は私にとって、とても嬉しいものだったのに、彼はとても辛そうに口にした。
私だって、ジミーを一番の友達だと思ってる。その事を伝えたいのにあまりの近さゆえに口を開くことが出来なかった。
彼は私のおでこに自分のそれを合わせる。
「ねえ、エリー。僕たちが初めてした約束を覚えている?」
「……約束?」
おでこを合わせているせいで視界にジミーの瞳しか映らない。
何だったかしら。と、殆ど口を動かさないまま呟き、唯一見える彼の瞳を見返した。
彼はすぐに思いだせない私を薄く笑う。
「じゃあ、改めて約束する。……エリー。僕は大人になったら君をプリンセスにするよ。必ず。」
ああ!と声を上げそうになった。
彼の言葉で思い出した。
確かに幼い私はジミーとそういう約束をした。
まさか、彼が今その話を持ち出すとは思っていなかったけれど。
……だって、10歳になった私はもうずいぶん夢から覚めていて、自分がプリンセスになれるわけがないと分かっていたから。
それでも、彼が嘘でも今その事を口にしてくれたことが凄く嬉しかった。
微笑んで、彼の瞳を見つめ返した。
「だから、ねえ、エリー。僕を待っていて。必ず迎えに行くから。」
彼が囁くように「誓うよ。」と言うと、吐息がふわりと口元に掛かった。
彼の口から飛び出た「Promise」はそのまま私の口に吸いこまれた。
同時に、震えるような温もりが唇を掠める。
ほんの一瞬の出来事。
触れるか触れないかの物だったけど、彼の誓いと共に。
それが、10歳と11歳の幼い私たちの、ファーストキスだった。
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