11-4
パワーズ少年が病院へ向かう救急車の中で、息を引き取ったらしい。
「シャーロック!」
当然大会は中止となり、出口に向かって人々の群れが出来た。
その群れの波を遡るように突き進む。
プールの四方を囲うように建物の二階に配置された観客席を、もう何度もぐるぐる回っている。
すり鉢状になっている席の階段を何度も何度も上がったり下がったり、いろんな場所でシャーロックの名前を呼びながら右往左往していた。
「お嬢ちゃん、迷子かい?」
見知らぬ初老の男性が、気遣うように私の肩を叩いた。
―いい?エリー。知らない人には決して付いて行ってはいけないわよ。
―わかってるわ、おばさん。私もう、よちよち歩きの赤ちゃんじゃないのよ。
脳裏に今朝ミセスホームズと交わした会話が蘇る。
慌てて、親切そうな男性に首を振って、逃げるように反対方向へ駆け出した。
観客席を出て、建物内の階段を駆け下りる。
この階段は全然人の気配がない。
きっと出口に向かう階段ではないのだろう。
控室 と書かれたプレートが目に入り一瞬足を止める。
きっとこの先にはシャーロックは居ないだろう。
シャーロックがもし私を置いて建物を出ていたら、私迷子だわ。
どうしよう。
途端に心細い焦燥感が胸に湧き上がる。
人の気配がして、知らず知らずに俯いていた顔を上げる。
少し先の通路に曲がって行った人の横顔が、とても覚えのあるもので、再び無意識に足を動かし始めた。
私も急ぎ足になっているのに、ゆったり歩いているように見える彼はそれより早く進んでいるらしく、ちっとも追いつけない。
丸い後頭部。
黒く柔らかい短髪。
学校の制服だろうか、白い半そでのシャツにダークグレーのスラックスを履いている。
少し背が伸びているようだけど、きっと彼だ。
「……ジミー?」
遠ざかる背に声を掛ける。
「ジミー!!」
少し声を張って呼びかけてみた。
しかし、彼は私の声に反応することなく歩いて行く。
……人違いだったのかも、しれない。
そうだ。彼はサセックスだ。ロンドンに居るわけない。
でも、両手をポケットに入れてほんの少し猫背で歩く姿もチラリと見えた横顔も本物のジミーのようだった。
胃の奥が、キュッと縮んだ気持ちになった。
「このガキ、いい加減にしろ!!」
突如音が反響する建物内の廊下に怒声が響き渡った。
わんわんと残響する音を辿って廊下を進むと、KEEP OUTと書かれたテープが張られている手前で、シャーロックが投げ飛ばされたような形で転がっていた。
「シャーロック!」
慌てて彼の名前を呼び駆けよると、シャーロックは私に目もくれず自分を飛ばしたらしい警察の男性を床から睨み付けていた。
「お嬢ちゃんの知り合いか?頼むからこの坊主を中に入れないように見張っておいてくれ。」
「はい!ごめんなさい!」
転んだままのシャーロックを立たせようと彼の肩に手を掛けると、彼は勢いよく腕を振り回し私の手を振り払った。
「だっておかしいじゃないか!じゃあ刑事さん、貴方はカール・パワーズが此処まで裸足でやって来たとでも思っているんですか?もっとちゃんと探すべきだ!」
「誰か間違って履いて行ったんだろうよ。」
「彼のロッカーに入っていた靴を?」
「……見当たらなくても、重要じゃない。これは事故だよ。同じ年頃の少年の不幸を目の当たりにして君もショックだったのかもしれないが、事件性はない。警察もじき引き上げる。君ももう帰りたまえ。」
テープ越しにシャーロックの相手をしていた刑事さんは最後宥めるように言い、私に目配せをした。
慌てて彼の腕を掴みあげて立たせる。
私が済まなそうに肩を竦めると、刑事さんは軽く目を瞑って小さく溜息を吐きながらテープの先のロッカールームへ入って行った。
眉を顰めてロッカールームを睨み付けているシャーロックの腕を揺する。
「シャーロック、もう行こう?」
「靴が、ないんだ。」
「え?」
唐突な呟きに、思わず彼の足元を見る。
しかし、彼はいつも通り磨かれたオックスフォードシューズをきちんと履いている。
私が首を傾げると、彼はようやく顔を私に向けた。
「カール・パワーズの靴がないんだ!」
両手の平を広げて、そう強く訴えられても、私の頭の中はクエスチョンマークでいっぱいだ。
「アー、待って。シャーロック。えっと、まず、なんでその靴がない事を貴方が知っているの?」
「そんなの、ロッカーを見たからに決まっている。」
「はあ?まさか。」
目を見開く私に、逆にシャーロックが訝しげな顔をする。
「だって……え?警察が来る前に?」
「もちろん。ロッカーの彼の私物は全て見た。」
私は呆れた。
彼はパワーズ少年が救急車で運ばれている辺りでもうプールの施設内を嗅ぎまわっていたのだ。
ロッカールームから荷物を持った警察官が数人出てきた。
また怒られる前に此処をどかなくては。
「シャーロック、行こう。」
「……。」
「早く動いて。ここに居てももう何も出来ない。」
名残惜しそうにするシャーロックを引き摺るように、出口へ向かう。
ひんやりとしたコンクリート造りの建物から出ると、眩しい日差しがじりじりと照りつけ、まだ日の高い時間だという事を教えてくれた。
なんだかもう、一日終わってもいい位の疲労感だ。
「シャーロック。今日他にどこかへ行くんだっけ。」
「……。」
「シャーロック。」
「ああ、本を取りに行く予定が。今日はもういい。考えることが出来た。」
「そう。じゃあアイスだけ、付き合ってね。」
心此処に非ずの彼を引っ張って、プールからはじき出された観客で賑わうアイスクリーム屋へ足を向けた。
だって、次はいつロンドンに来れるか分からないのだから、アイスくらいは食べない手はないじゃないか。
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