QT10-5
彼の白い腕にプツプツと鳥肌が立っている。
そりゃ家の中といえどもこんな真冬に裸同然の格好をしていればそうであろう。
彼の腕を引っ張って隣に腰掛けさせ、彼の肩と背中を覆う様に羽毛布団を掛けた。
サイドテーブルの上の物を改めて見て、カセットテープを手に取る。
CD等の音源をダビングする用の、黒い簡素なカセットテープだ。
もしかしたらシャーロックのセレクトで音楽が数曲入っているのかもしれない。
きっとこれを用意したからポータブルCDプレイヤーが気に入らなかったのだろう。
「ミュージックテープね。シャーロックが作ってくれたの?」
「……ああ。まあね。」
拗ねた顔のシャーロックが投げやりに返した。
彼の様子に苦笑して、カセットを表裏ひっくり返したりして観察する。
ラベルもなにも貼っていない。
「何が入ってるの?」
「……ショパン。でも君はバッハが好きだから最初に一曲だけバッハが入ってる。」
相変わらず拗ねた顔でそっぽを向いている彼の横顔をまじまじと見る。
「ねえ、もしかして……これ、シャーロックのバイオリンが入ってるの?」
「視聴覚室で、録音したんだ。……でも自分の楽器じゃなくて学校のバイオリンで弾いたから、」
彼の肩にかかった羽毛布団ごと抱きついた。
「嬉しいシャーロック!なんで貴方って私の欲しいものがわかるの?!」
私から顔を背けていた彼の眉がひくりと動き、横目がこちらを向いた。
「欲しかった?」
「うん!たまに貴方のバイオリンが聴きたくなるの。夜、寝る前に。」
シャーロックが、ニッと笑ってこちらを向いた。
「ああ、そうだと思った!エレナ、これを見て。」
急に機嫌を直した彼は、体を乗り出してサイドテーブルに手を伸ばす。
「メトロノーム?……なんだか古そうだけど。」
私が眉を顰めても、彼は構わず得意そうにしている。
「そりゃそうだ。学校の備品を持ってきたから。」
「ええ!ダメだよそんな事しちゃ!」
彼の言葉を思わず咎めるが、彼はそんな事聞いちゃいない。
メトロノームを再びサイドテーブルに置き、透明のカバーと留め金を外して振り子を動かした。
「いいか?この錘はこの位置から絶対動かすなよ。このテンポがプレゼントなんだから。」
「……テンポ?」
メトロノームはカッチカッチカッチカッチ、と一定の速度で音を刻む。
彼はどうだと言わんばかりに得意気な顔をしていた。
「この速度が大事なの?」
「そうだ。錘が1ミリ上でも下でも駄目だ。設定するのは本当に苦労した。」
口端を引き上げてそう言う彼の横で、この速度になんの秘密があるのだろうとメトロノームをじっと見つめる。
彼が良く弾いてくれるバッハの曲のテンポ……?ではなさそうだ。
催眠状態に導きやすいテンポ、とか?……ありそうだけど、そんなの貰っても別に嬉しくない。
隣でニコニコしていた彼は、動く振り子を見つめながらじっと動かない私を見て、困惑した表情を滲ませる。
「まさか、わからないのか?」
「……ごめん。」
「この速度が何か?!」
「……分からない。」
申し訳なく首を振る私に、シャーロックは愕然とした顔をした。
そして憮然とした顔になり、勢いよく私の体を引く。
え?と思った時には、彼が体に掛けている羽毛布団の中に引きこまれ、頭を抱え込まれて華奢な胸板に抱きとめられていた。
「え?!何、急に?!」
「……シッ!」
訳が分からず慌てる私を、シャーロックが静止させた。
なんなのよ、もう。わけわかんない!と思いながら、彼の胸に横顔をつっくけて静かにじっとする。
羽毛布団に包まれていたおかげで温かい彼の皮膚の奥から、トクントクン、と規則正しい心音が聞こえる。
その心音に意識を向けたせいでメトロノームの音が聞こえなくなった。……訳ではなかった。
彼の胸に付けているのとは逆側の耳から確実にメトロノームの音は入っていた。
しかし見事に、一寸の狂いも無く、彼の心音とメトロノームの音が同調していたのだ。
それに気づき、信じられない気持ちで彼の顔を見上げた。
憮然とした顔で私を見下ろしている。
「……なんの音か、分かった。」
「そうか。」
満足そうに、抱えていた私の頭を放した。
彼から離れて立ち上がり、そっとメトロノームの振り子の先を留め具に固定し、カバーを掛けた。
「これ、どうやって合わせたの?」
「保健室で聴診器を借りて。なかなか合わなくて大変だった。」
「借りた?盗んだじゃなくて?」
「すぐに返した。」
「……シャーロックったら。」
「あれはなかなか便利だから、今度自分用にも買うよ。」
「……聴診器を?」
「聴診器を。」
冗談でなくそう言う彼にくすくすと笑って見せながら、少し泣きたくもなっていた。
悔しいが、ちょっと感動しているのだ。
「ありがとう、これも大事にするね。」
この時にはもう、このメトロノームがシャーロックの学校の備品である事は頭から飛んでいた。
責めないで欲しいのだが、実はホームズ家のシャーロックの自室にはこのメトロノームがまだ置かれているはずだ。錘の位置はそのままで。
何度もいうが、責めないで。もう、時効だ。
静かになったメトロノームをそっとサイドテーブルに置いて、最後に残った小さな箱を手に取る。
私達の年ではずいぶん背伸びした品物だ。
細い手が伸びてきて、私の手の中からその箱を取り上げた。
バリバリと乱暴に開封し、綺麗な四角い瓶を取り出した。
透明の瓶の中で水色の液体が揺れている。
シャーロックが腕を伸ばしてシュッと音を立てて空中に霧を振りまいた。
爽やかな香りが広がった。
「この匂い、嫌い?」
男性物の香水だったがシトラスや少し甘い香りも感じられて嫌じゃなかった。
「ううん、嫌いじゃない。良い匂い。」
「それは良かった。じゃあ、今日からこの香水をリネンに付けて寝よう。」
大人の彼がそんな提案をすれば、きっととてもセクシーなのだろうが、11歳ぽっちの細い少年がそんな事を言っても、私の頭の中にクエスチョンマークを浮かべるだけだった。
「嗅覚は他の五感と脳への伝達方法が違う。匂いの記憶は最後まで残ると聞いたことは無い?眠っている時の無意識の記憶はきっと長く残る。君は僕と寝ていると錯覚すれば眠れるわけだから、メトロノームの音を聞いて僕と一緒に寝ている間の香りを脳に刷り込ませれば薬なしでも眠れる。絶対だ。」
言いきると同時に、コン、と音を立てて瓶をメトロノームの横に置いた。
「シャーロックの考える安眠グッズは最強な気がするわ。」
「当然だ。」
彼はむき出しの白い腕を組んで、自信満々に頷いた。
「でも、シャーロック。この3つのプレゼントの中で私が一番うれしいの分かる?」
さあ?という様に彼が眉を上げた。
「このカセットテープ!貴方が私の為に何曲も違う曲を弾いてくれたなんて嬉しすぎるわ!だっていつもリクエストと違う曲を弾いたり、同じ曲ばかり弾いたりめちゃくちゃに弾いたりするでしょ。」
「へえ。じゃあ、やっぱりそのCDプレイヤーは返して、」
「それとこれとは話が別。このカセットはそこのコンポで聴くわ。」
シャーロックの部屋のミュージックコンポを指さした。
「だって見てよ、これ。」
「ソニーのディスクマンか。ラジオチューナー付き。今年発売の最新型だな。」
「でしょ!」
嬉しそうにCDプレイヤーを抱え直した私にシャーロックは諦めたように肩を竦めた。
「さあ、シャーロック。ガウンを着て。早くリビングで貴方のプレゼントを見せてよ。」
「OK、じゃあ行こうか。」
羽毛布団から抜け出すように勢いよく立った彼は、ヒヤリとした空気にぶるりと体を震わせた。
椅子の背凭れに放り投げてあったガウンを着こみドアに向かうシャーロックを追いかける。
「ちなみに僕へのプレゼントはそこに置いてあるより高倍率に見える顕微鏡だ。」
ドアノブに手を掛けながら振り返って言った彼は嬉しそうに笑って出て行った。
「なにそれ!もう分かってるの?!ネタバレ禁止よ!!」
わざと怒った声をだし、彼の背中を追いかける。
きっと騒がしく登場した私達にマイクロフトが嫌味を言い、シャーロックと喧嘩になるだろう。
私とミスターホームズがまあまあと宥め、いい加減にしなさいとミセスホームズが息子達を叱りながら朝食の席へ促す。
この頃はホームズ兄弟の仲も今より良好で、ホームズ夫妻も若く、私も平和だった。
まだ、シャーロックが名探偵と言われる片鱗も見せてない頃だ。
マイクロフトはいつでも静寂と沈黙を愛し、私はいつでも平和と不変を愛し、
幼い頃海賊に憧れていたシャーロックは、心のどこかでスリルと冒険を求めていた。
私の愛する平和のまま、
シャーロックの求めるスリルの無いまま、
マイクロフトが愛する静寂をもって一年が終わろうとしていた。
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