12-2
部屋に戻ると、シャーロックは私が去った時のままの状態で、腹部を肌蹴させたまま仰向けで横になっていた。
再び彼の隣に戻り、湿布薬の袋を破る。
私の様子をぼんやりと眺めていた彼は、私が湿布薬のフィルムを剥がし始めると、ふうと息を吐いて目を瞑った。
仰向けになった彼の体は、あばら骨が浮き出てウエストが窪み、直立している状態より更に痩せこけて見えた。
元々色白の彼のきれいな肌に黒く浮かぶ痣は酷く痛々しく、それを覆い隠すように湿布薬を貼った。
1枚1枚貼るごとに、冷たいのかビクリと体を震わせる彼に、小さく笑みを零した。
黒い痣を白い湿布で全て覆ってしまうと、彼はゆるりと起き上りバスローブを脱いで私が出した青いパジャマを着た。
スタンドライトを消さないまま、二人横になる。
腕枕をするように、彼の首の下に腕を差し込み彼の頭を抱え込んだ。
脇腹の打撲に障らないように彼を抱きしめるにはこうするしかなかったのだ。
「先生には?」
「……言ってない。」
「……おじさんとおばさんには?」
「……言わないで。」
彼が私の背中に片腕を回し、私のパジャマの生地を握った。
「本当は、君にも知られたくなかった。」
「……学校へ戻ったら、またやられちゃう?」
「さあ……たぶん。」
「じゃあ、もう行かせない。」
「そんな訳にはいかないだろ。」
私の背中に回る彼の腕を振りほどき、勢いよく体を起こした。
そして驚いたように私を見上げる彼の顔を両手で挟んで固定する。
「……じゃあ!じゃあ!そんな雑魚みたいな卑怯な奴らにやられないでよ!貴方の頭の中身はいつの間にすり替わっちゃったの?しっかりして、シャーロック・ホームズ!貴方のこの中には!学校や寮の間取りが完璧にはいってるでしょう?!学校中の人間の行動予測だって貴方には雑作も無いはず。それに、貴方の頭ならもっとスマートに回避する方法も何パターンも考え付くはずでしょ?!……もし、もしまた、こんな事があったら……。」
「……あったら?」
両頬を挟む私の手の中でシャーロックが僅かに首を傾げた。
言いながら感情が昂ぶった私の瞳は潤んでいた。
彼の頬に私の涙が落ちる。
「こんな事があったら……私が鉄パイプ持って貴方の学校へ乗り込んでやるわ!!」
シャーロックの顔を睨み付けながら宣言すると、彼はポカンと呆けた顔をした後、徐々にその顔を歪めくつくつと笑いだした。
「野蛮だな。」
「勇敢と言って。」
「ああ、頼もしいよ。ジャンヌ・ダルクみたいだ。」
可笑しそうに笑っていた彼の顔が何かに耐えるように、くっと歪み、勢いよく私の腕を引いた。
私の顔は彼の肩口に抑え込まれた。
「確かに僕はスマートじゃなかった。」
「……分かるわ、大勢で向かって来られたらそりゃ怖いもの。」
「……いや?別に怖くはない。……ああ、そういえば全然怖がらないのも頭にくると言われた。」
「……。」
「エレナ。」
名前を呼ばれ、彼の肩口から顔を上げた。
「君に鉄パイプを持たせることは無いと誓うよ。」
近い位置で目の合ったシャーロックは、ニヤリと口元に笑みを浮かべる。
彼と同じように笑みを浮かべて返した。
「それでこそ、私のシャーロック。」
嬉しそうに彼が笑い、私も彼と同じように笑った。
彼の首の後ろに向けて大きく腕を伸ばすと、彼も私の背中に腕を回し、二人の体が寄り添った。
「痛いっっっ!!!」
耳元で悲鳴のような声が上がり、飛び上がるように退いた。
「……大丈夫?」
恐る恐るシャーロックに声を掛けると、OKと言うように彼は小さく手の平をこちらに向けた。
「ごめんね、シャーロック。」
労わるように彼の腕に手を置くと、彼は苦笑を浮かべて此方を見た。
「気にするな、大丈夫。……でもエレナ、今日はなるべく離れて寝よう。」
「……OK。」
彼の提案に素直に頷く。
その日はベッドの端っこと端っこで背中合わせに眠った。
*
「Oh...シャーロック。」
言葉を失った私に、目の前のシャーロックは笑みを作るように素早く口元を引き上げた。
「やあ、エレナ。久しぶりだね。君、少し小さくなった?調子はどう?今日は暑いな。あ、これ途中で買ったお土産。」
矢継ぎ早に話しながら、大きなバッグから白い箱を取り出す彼を呆然と見上げる。
「シャーロック。」
「イチゴのジェリーが入ったチョコだよ。好きだろ?」
「驚いた……私が小さくなったんじゃないわ。……貴方が大きくなったのよ。」
話が噛みあってない事など、気にする余地は無かった。
目の前に立っていたのは、半年前までのヒョロヒョロと背ばかり伸びるガリガリの少年じゃなかった。
私の腕の中にチョコレートの白い箱を押し付けた彼は笑みを深くする。
「学校へ戻ってから、色々動いたんだ。君に言われた事思い出しながらね。」
眉を上げるシャーロックは、推理ゲームの答え合わせの時のように生き生きとして見えた。
「学校の間取りを見直して、あいつらの行動パターンを再度観察して、多少の暴力にも傷つかない体を作るために筋肉を付けた。」
早口で言いながら、彼は胸を張った。
私の学校の教師たちやマイクロフトに比べたら、そりゃあまだ線は細い。
未成年独特の線の細さがある事は確かだけれど、半年前に比べ彼の胸元や肩は厚みを増し、首元や腕は以前より太くなり筋張っていた。
精悍になった体つきは、彼を少年から一気に青年へ生まれ変わらせたようだった。
「どう?」
「アー、そうね……素敵よ。ゴージャスになった感じがする。」
「ああ、実は僕もそう思うんだ。」
動揺を必死に隠しながら、やっと、という具合に答えた私に対して、くすくす笑いながらシャーロックが言う。
しかも、彼はこういう冗談を言える人間ではないから本気で思っているのだろう。
――シャーロック?帰ってるの?
「ああ!帰ってるよママ!」
キッチンからのミセスホームズの呼びかけに答えたシャーロックが、未だ呆然としている私の頬にキスをする。
「抱えてると、溶けるよ。チョコ。」
そして素っ気ない忠告をし、リビングに私を残したまま、キッチンへ向かった。
一人残されたリビングで、思わずチョコレートの箱を放り投げ、小さな悲鳴を上げながら両手で頬を押さえる。
いつもの挨拶と同じはずなのに、この日のキスは特別に感じた。
シャーロック相手に顔が赤くなるなんて、生まれて初めての事だった。
そして、これから20年間私自身認めなかった事だけど、今のキスが、私が初めてシャーロックに恋心を抱いた瞬間だ。
今だったら、認めることが出来る。ああ、もちろん彼には絶対に教えてあげないけど。
でも、この時は自分自身そんな感情を彼に抱くなんて思ってもみなかったから、訳も分からず、ただただ、動揺していた。
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