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「この家、使っていないのか?」
「そうね。あんまり。」
「でも、埃もそんなにない。空気も淀んでいなかった。」
「2・3日毎に風を入れに来ているの。流石にリビング以外の部屋の家具には布を被せているけれど、来る度に軽く掃除もしているから。」
カップボードから二人分のマグカップを取り出しながら、リビングのシャーロックと取り留めなく話をする。
シャーロックがパブリックスクールへ行く前は、いつもこうやって二人でこの家に居た。
その頃は二人とももっと随分幼くて、この家は“家”というより、二人の“基地”みたいだった。
二人共好きなように過ごし、お小遣いでお菓子や飲み物や冷凍食品の買い置きもあった。
時には下らない事で喧嘩をし、時には下らないゲームで大笑いする事もあった。
ミセスホームズが知ったら怒りそうだけど、夕食の後にチョコレートを食べたりなんてしょっちゅうだった。
でも、彼が家を出てから、この家の本来の主であるはずの私の足も自然と遠のいた。
それでもママから預かったこの家をただの空き家のようにしてしまうのは忍びなく、義務のようにたまに来ては埃を落として空気を入れ替えている。
あれからまだ2年ほどしか経っていないのに、再び二人でこの家に居る事がひどく不思議だった。
彼は結局私の変な態度の原因は何か、それ以上追及する事をしなかった。
私も、彼を変に意識する事はやめた。
だって、彼は他の誰でもない。シャーロックだもの。
彼は、学校の同級生や先輩とは違う。そんな風に意識するなんて、変だ。
今思えば、急に格好よく思えたシャーロックの変化にドキドキしたりなんて、思春期の当然の反応であったと思う。
別に幼馴染に恋をしたって悪いことではないし、おかしなことでもない。
でも、自分自身に渦巻く動揺が彼に恋してる事が原因だなんて思いつきもしていなかった。
だから、私はその自分の中の良く分からないものに蓋をした。
それ以上ドキドキなんてしないように。
温かい紅茶を両手に二つ持ち、リビングへ戻る。
ソファーに座っているシャーロックに一つ手渡して、私は彼の近くの椅子に腰かけた。
この頃にはようやく、彼に対して芽生えた感情の戸惑いも消え、目の前の人物をいつもの二軒隣の幼馴染だと落ち着いて見れるようになっていた。
「それにしても、なんで急に筋トレなんてしたの?なんだか、少し……貴方らしく無いわ。」
そんな質問をいつもの軽い調子で彼にぶつけられる位には落ち着いた。
彼は、紅茶を飲みながら視線だけこちらに向け、考える間も無く答えた。
「だって、効率的だろう?」
「何の効率?」
一の説明で十を悟らない私に彼は、おいおい、と言うように眉を歪める。
「何のって……、君が言ったんだろう?学校の間取りに相手の行動パターンの予測。それってつまり、やられる前に回避しろって事だろ?言われて、なるほどその通りだと思ったよ。でも、学校に戻って気づいた。僕は体力も持久力も瞬発力も何もかもが足りなかった。足りていたのは発想力と思考力だけだ。頭の中で考えている動きが僕の体では実現できなかったんだ。身体能力が無くても回避は出来るけど、殆どの場合がスマートなやり方じゃないから。」
「それで、」と思い出すように彼は宙を仰ぐ。
「最優先すべきは動ける体を作ることだった。食生活を見直して、しばらくはストイックに自分で決めた食物だけを摂ったよ。毎日トレーニングもした。何を食べどう動いたら筋肉がどうつくか、そういうのを考えるのは良いけど、トレーニングは楽しくないね。反復運動の繰り返しで実に詰まらない。あーでも、頭を使わなくても出来るから君もやってみたら?」
「結構よ。」
実に失礼なお誘いを一蹴する。
「そうか、残念だ。」と肩を竦める彼はさして残念そうには見えなかった。
こくりと紅茶を飲み下したシャーロックが、カップの中身から視線を外さずに口を開く。
「君のおかげだ。」
「……はぁ?」
彼の口から飛び出した言葉に驚いて、間抜けな声が出た。
彼は少し不機嫌そうな目をチラリと向ける。
「あれから僕を狙うやつは居ないし、怪我もしていない。同級生の奴等とは最悪の出会いだったけど、なんとか卒業まで我慢できそうだ。……君のおかげで。」
「まさか……まさか、シャーロック、それってお礼?お礼を言ってるの?」
ワオ……と口元を抑えて、目の前のシャーロックをまじまじと見る。
彼は今度こそ鋭い瞳で私を睨み付けた。
しかし、ふん、と鼻を鳴らして顔を背ける。
「君がそう思うのなら、そうなんじゃないか?」
「……シャーロック!」
少々大げさに感激の表情を浮かべ、胸に両手を当てて、彼を見る。
「偉いわ!素晴らしいわ!あなた、大人になったのね!!」
「やめてくれ!ママみたいだ。」
彼は煩わしいものを振り払うように腕を大きく振った。
私がくすくすと笑うと、不機嫌な顔でこちらを睨んでいた彼の顔が歪み、遂には耐えきれなくなって、ぶはっと吹き出した。
ひとしきり、二人で笑い転げる。
落ち着いたところで、シャーロックが大きく息をつき、ふとこちらを見た。
「アイスクリームが食べたいな。ある?」
「……もちろん!あるわ!あ、貴方に貰ったチョコレートも。」
「いいね。」
彼が取って来て、と顔をキッチンに振る。
「仕方ないわね。」
仕方ないなんて露とも思っていない声色で返し、ピョン!と椅子から立ち上がる。
まるで2年前に戻ったみたいだ。
なあんだ、私もシャーロックもちっとも変わっていない。
ホッとして、嬉しくて、私の心は躍っていた。
キッチンに向かいながら、クルリとシャーロックを向く。
「あ、ねえ。アイスの事、おばさんには……」
「もちろん、内緒だ。」
口元だけにニヤリと笑みを浮かべる彼に、にっこり笑い返した。
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