14-3




「エレナ・ノールズ?」


さて、どうやってこの場を辞そうかとぐるぐる考えていた所で、ふいに背後から声を掛けられた。
名前を呼ばれた事で振り返ると、そこには知らない男の子が立っていた。


「……誰?」

「僕?ピートの友達。」


私の呟くような質問に彼は肩を竦めながら答えた。

流行のヴィンテージデニムに、アメコミ風のイラストが描かれた普通のTシャツ。
腕にはビーズと綺麗な糸がカラフルに編まれたブレスレットをしている。
きっと彼のいつも通りの普通のファッションだ。
今日の私やアビーのように大人に見せようと背伸びしたのではない等身大さが感じられた。
私は、目の前に急に現れた知らない男の子に僅かに好感を持った。

彼はピートのようにジャラジャラとアクセサリーは付けていないし、大人ぶって無理矢理煙草を咥えたりもしていない。
それに、彼が手に持っていたのはお酒の入ったグラスではなく、コカ・コーラの瓶だった。


「隣、いいかな?」


申し訳なさそうにアビーとは逆隣の席を指さす彼の視線は、今にもキスしそうな位近づいているアビーとピートの二人に向いていた。
思わず苦笑を零し「もちろん、どうぞ。」と頷くと、彼はほっとしたように隣に座った。


「……初めまして、だよね?」


名乗る前に私の名前を呼ばれた事から、恐る恐る隣の彼に問いかける。
彼は「そうだね、殆ど初めてだ。」と頷き、コークの瓶の底を私のオレンジジュースのグラスに小さくぶつけた。
カチン、とガラスの触れ合う音がする。


「僕は君を一方的に知っていたけどね、ミスノールズ。初めまして、バーナード・ダイアモンドだ。」

「よろしく、ミスターダイアモンド。」


さっきのピートとのやり取りがあったせいだろうか。
普通のやりとりであるはずのミスターダイアモンドの言葉がなんだかすごく丁寧に感じ、目の前の彼が好青年に見えた。
私がにっこりと笑って彼に返すと、ミスターダイアモンドは一瞬驚いたような表情をしたあとすぐに笑顔を見せた。


「どうぞ、バーニーと。」

「じゃあ、私もエレナと。……でもとっても素敵なファミリーネームだからいつも呼べないのは少し残念だわ。」


バーニーは私の言葉に照れたようにはにかんだ。


「ダイアモンドは僕より君の方が似合いそうだ。」

「……ワオ、意外だわ。そういう言葉はそっちの彼の専売かと思ってた。」


僅かに首を傾げて未だアビーに甘い言葉を囁いているピートを指し示すと、バーニーは薄暗い店内でも分かるくらい顔を赤くした。
その様子がいかにも少年らしくて、大人の空間で緊張していた心が少し解れたのを感じる。

彼は赤くなった顔を誤魔化すように私から少し顔を逸らしながら話す。


「僕も意外だよ。君がこんな店にくるなんて。」

「……そう?」


ちゅう、と強くストローを吸いながら眉を上げると、彼はうんうんと何回か頷いた。


「成績優秀。チェスクラブでは向かう敵なし。それに、この間の弁論大会では準優勝だったっけ?しかもブロンドの美女。活発で美人のアビー・ハワードといつもセットで歩いてて、高嶺の花で誰も声が掛けれない。」

「何それ。私ってそんなに良い風に思われてるの?お世辞ならやめて。」

「僕はお世辞が言えるほど女の子とのトークに慣れてないよ。」


バーニーが困ったように肩を竦めてから、目を細めて私越しに如何にも女の子慣れした男の子を見つめた。
そのじっとりとした表情にくすくすと笑う。


「そうだ。それと、人違いかもしれないんだけど……。」


バーニーが思いついたように口を開く。


「君、Thunderbolt Musicって店知ってる?」


彼の口から出てきた店名に目を丸くする。
Thunderbolt Musicと言うのはとても小さな店だけど、私の住む街に数件あるCDショップの中で一番ロックミュージックに力を入れている店だ。
メジャーなバンドに聞き飽きたら、この店に行って店主に聞けばいつでもホットでスパイシーなマイナーバンドのCDを選んでくれる。
今年発売のアルバムで一躍有名になったレッドホットチリペッパーズを2年前に私に教えてくれたのもこの店の店主だ。
私はマイナーな頃のレッチリを知っているのが密かな自慢だった。


「知ってるわ!」


親しんだ店の話題に嬉しくなって身を乗り出すと彼も嬉しそうに笑った。


「やっぱり!何度かあの店で見かけた事があるんだ。似てるけど別人だと思ってた。……だって学校での君って音楽はクラシックしか聞かないわ。って顔してるだろ。」

「クラシックも好きだけど、それこそメジャーな曲しか知らないわ。」


実際、クラシックはシャーロックのバイオリンでしか馴染みがない。
やっぱり普通に生活していれば耳にするのはポップミュージックだし、ロックミュージックだった。

そこから、彼と打ち解けるのは早かった。
アビーの言った通り、共通の話題があるというのはとても重要だ。そして共通の馴染みの店があると言うのも大事。
それに、馴れ馴れしすぎず、かと言って堅すぎない彼の距離感は初対面での会話としては非常に理想的で心地よいものだった。

彼が最近クラブ活動でバンドを始めたという話題の時、急に肩に重みを感じ、ガクンとバランスを崩す。
同時に「アビー!」とピートの焦った声が聞こえ、慌てて隣の席で良い雰囲気になっていたカップルを向いた。
アビーは明らかに酔っぱらった様子で、私に凭れて半分眠っているような状態だった。


「ちょっと!アビー?あなた、この子に一体どれだけ飲ませたの?!」


体重を掛けてくるアビーを支えながら彼女をリードしていたはずの彼を非難する。
私に咎められたピートは両手を天に向けながら肩を竦めた。


「そんなに飲んでないよ。ビール2杯と、ちょっと。3杯目は半分も減ってない。」


言いながらアビーの飲み残しのビールをぐいと煽る彼に呆れと怒りを感じた。
そんな私の表情の変化を前にしても、この軟派な男は飄々とした様子を崩さない。


「オーケーオーケー。心配しないで。俺がアビーを送って行くから。」

「えっ。駄目よ。困るわ。アビーは今日うちに泊まるんだから。」


アビーの脇の下に手を差し込んで背中を支えようとするピートから彼女を奪い返す。
彼は目をぱちくりと瞬いた後、ニヤニヤと笑った。


「だーいじょうぶだって。どこに泊まったって一緒だろ。アビーのママには予定通り君んちに泊まった事にすれば良い。彼女も明日の朝、隣に俺が居たら、サプライズなロマンスにきっと喜ぶさ。」

「だから、駄目ってば!」


下心見え見えのピートからアビーを守らなければと、形振り構って等居られなかった。
思わず大きな声を出す私に、ピートは初めて顔から笑顔を失くした。


「ピート。」


尚もこの軟派な男に喧嘩上等で喰って掛かろうとした私を抑え、先に口を開いたのはバーニーだった。
宥めるように、彼は私の肩をぽんぽんと軽く叩いた。


「アビーを本気で落としたいなら、素面の時にした方が良い。酔った勢いて一線超えちゃったらお前二度と彼女と話もできなくなるぜ。」


不機嫌そうに眉間に皺を寄せていたピートだったが、そのうち諦めたように両手を上げた。


「わかったよ!……タクシー拾ってきてやるよ。」


乱暴にカウンターチェアから降り、店の出入り口に向かったピートの後姿を見て、ほっと息を吐いた。
初めての大人の世界で、頼みの綱の親友が酔い潰れたあげく、軟派な男に手籠めにされそうになったのだ。
今更ながら、少し泣きたくなってきた。


「ありがとう、バーニー。」


力の入らない声で隣の席の彼に声を掛けると、バーニーは慰めるように私の背中を擦った。


「あいつ、悪い奴じゃないんだ。ただ、落としたい女の子が現れると手段を選ばなくなっちゃうところがあるけど。」


……それって最低じゃないか。
目玉をぐるりと回して肩を竦めるが、ピートの友人であるバーニーの前で思った事を口に出すのはやめた。


「あ、そうだ。帰る前に……。」


バーニーがごそごそと自分の手元を探り、アビーを支えていない方の私の手を取った。
クルリと手首に何かが巻かれ、彼の手が不器用そうに端を結ぶ。
間接照明が照らすカウンターの上に彼が触った手首を持って行くと、私の手に巻かれたのはそれまでバーニーの手首に巻かれていたものだった。


「これ……?」

「ミサンガ。最近ブラジル帰りのサッカー選手が付けててちょっと流行ってるんだけど知らない?切れたら願い事が叶うってジンクスがあって、チームの勝利を願って付けてるんだろうね。」

「素敵……でも、貰っちゃっていいの?」

「もちろん。」

「でも、あなたの願い事は?叶わなくなっちゃう。」


バーニーが私の言葉に「アハハ!」と声を上げて笑った。


「願い事なんか掛けてなかったから良いんだよ。ただのファッションみたいなものさ。君に上げたいんだ。友人になったしるしに。……あ、友人って言っていいよね?」

「もちろんよ!でも私、お返しに上げるものが無いけど。」

「要らないよ!僕が君に何かプレゼントしたかっただけだし。……さあ、もう出よう。アビーを運ぶの手伝うから。」


バーニーは私が支える逆側からアビーの背中に手を回し、彼女を立たせた。
私の力では座るアビーを何とか倒れずに支えている事が精いっぱいで、きっと一人だったらタクシーまで彼女を運ぶ事なんかできなかった。

外に出るとタクシーを拾っていたピートも手伝って彼女をタクシーに乗せてくれた。
ピートは私に代わってバーニーとアビーを支えながら私に声を掛ける。


「ねえ、アビーを酔い潰したのは悪かったけど、勢いに乗じて彼女を持ち帰らなかったのは評価してくれるだろ?」

「評価もなにも、そんなの当たり前の事よ。紳士ならそもそも酔い潰したりしないし。」

「まさか!紳士だって計算高く淑女を口説き落とすもんだぜ。」


私とアビーがタクシーの後部座席に乗り込むと、ピートはいつの間に用意したのか電話番号の書かれた紙きれを人差し指と中指で挟んでピッと私の前に差し出した。


「アビーの酔いが醒めたら渡して。また一緒に飲もうって。」

「……はいはい。」


彼女を運ぶのを手伝ってもらったお礼に、電話番号を渡すくらいはしてあげよう。
また一緒に飲むのは反対だけど、素面の彼女を口説くのは勝手にしたらいい。
ごつい指輪の嵌った指先から紙きれを抜き取ってバッグにしまった。

ピートはウインクをして車のドアから離れる。
彼と入れ替わりにバーニーが後部座席を覗いた。


「じゃあね。今日はあんまり過ごせなかったけど、また学校で。」

「うん、また学校で。」


ピートに対する態度とは一転してにこやかに応じる。

バーニーは少し迷うように視線を泳がせ、意を決したように上半身だけ車の中に乗り込んできた。
そして素早く私の頬にキスをして、半ば叫ぶように「お休み!」と言って座席のドアを閉めた。

タクシーが動きだし、状況を把握できず固まっている私とぐったりしたアビーを乗せて家路に向かう。


「……ワオ。」


徐々に意識を戻した私は小さく呟き、随分離れてしまったパブを振り返る。
店の前にはまだバーニーが立っていて、落ち着かない気持ちを持て余すかのように、両手を腰に当ててその場をウロウロと歩いていた。


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