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「お客さん、その子大丈夫?」

「あー……なんとか、します。」


迷惑そうな色を隠す事の無いタクシー運転手の言葉に、小さな声で返しながら彼に紙幣を渡す。
小さく溜息を吐いておつりを用意しようとする彼に「結構です」と手の平を見せた。
眉を上げて首を傾げた運転手は、それでもおつりを断った事で、先程より少し機嫌を持ち直したようだった。

さて、このグダグダになっている少女をどうやって我が家のベッドまで連れて行こう。
直ぐそこが玄関なのにゴールがひどく遠いものに思えた。


「おやおや。」


静かにすぐ脇の扉が開いたかと思うと、笑み混じりの男性の声がした。
ドキリと心臓が跳ね上がり、背筋に嫌な汗が噴き出る。
泥酔状態のアビーを連れている所をミスターホームズに見られでもしたら流石に言い訳は出来ない。


「我が妹はしばらく見ない間にとんだ不良少女になってしまったようだ。」


次いだ嘆くような台詞に、勢いよくドアを振り向いた。


「……マイクロフト。」


私を見下ろす彼は、開けた車のドアに片肘を付き、口元に薄く笑みを乗せていた。
なんという渡りに船、 大海の木片。良い所に現れた彼がまるで神のように見える。
夏場にも関わらずキッチリと着込まれた彼のジャケットの裾を掴んだ。


「おねがい、手伝って。」


私の肩に凭れている綺麗な同級生を指し示すと、彼は上げていた口角を瞬時に下げ、眉頭に一本皺を刻んだ。

今のマイクロフトは随分デスクワークが多くなってしまったから、もしかして肉付きの良いグラマーな女性を抱き上げるのは無理かもしれない。
……いえ、こんな事を言ったら彼はムキになって「出来ない訳がない」と言い張るでしょうけど。

でも、若い頃の彼は今より随分スマートで、肩や胸元なんかすごくガッシリしていた。
アビーを軽々と、そして嫌そうに抱き上げた彼は、ぶつぶつ文句を言いながら、それでも部屋まで運ぶのを手伝ってくれた。


あ、まって、ストップストップ!一時停止!!

感動的だわ。
アビーとマイクロフトはその後私の紹介で改めて知り合う訳だけど、ここで二人は既に出会っていたのね。全然気が付かなかった。
なんだか運命的なものを感じない?あらそう?私だけかしら。
あなたが何にも感じなかったのなら、まあ、いいわ。話を戻しましょう。


マイクロフトが、チラリと私を横目で見て、小馬鹿にするようにふんと鼻で笑い、片眉を上げて意地悪そうな視線をよこした。


「見違えたね。とってもセクシーだ。」


それは言葉通り褒めるために言った言葉でないのは一目瞭然だった。
パブでは何とも思わなかったのに、マイクロフトの嫌味を受け、急にこのワンピースの丈の短さが恥ずかしくなる。
こっそり伸ばすようにスカートの裾を引っ張った。


「愚かなエレナ。そんな恰好で夜遊びをして、君にロマンスをくれるロリコンは現れたのかね。」

「わたし、そんなつもりで行ったんじゃないわ。」


彼の繰り出す嫌味に無反応を貫いていたが、ロリコンには流石にカチンときた。
言い返したが、口で「そんなつもりはない」と言ったって、お尻のすぐ下から全て足を出すような短いワンピースを着て、高いヒールを履いた今の私の姿では全く説得力がなかったようだ。


「でも、まだまだ子供だ。今度私が服に合わせたブレスレットを贈ってあげよう。」


彼の目はさっきバーニーに貰った手首のミサンガに向けられていて、その視線を避けるように手首をそっと太ももの後ろに隠した。
マイクロフトは再度ふん、と鼻で笑った。
相変わらずの彼の、遥か上から見下ろすような口ぶりや態度に胃の辺りがモヤモヤと渦巻くように苛ついた。


「まあ、友人がこのような醜態を晒すトラブルに見舞われて、君にとっては却ってよかったじゃないか。これに懲りてもう数年は夜遊びなんかしようという気も起きないだろう?」

「分かってないわね、マイクロフト。確かに思った様ではなかったけど、それ程悪くも無かったわ。どうやら私もまるきりイケてない訳じゃなかったみたいだし。」

「どういう意味かね?」

「新しく出会った素敵な男の子に帰り際にキスを貰う位には私もモテるんだって事。」


そんな事彼に言うつもりは無かった。
だって、キスって言ったって、頬に別れの挨拶でされたものだし(初対面だしそれだってかなりのスキンシップだと思うけど。)第一バーニーはピートみたいに私を口説いたりしていない。
あまりにマイクロフトが私を子ども扱いして小馬鹿にするものだから、まるで口にキスをされたかのような雰囲気を滲ませて誇張して話してしまっていた。
言ってから少し「しまった。」と思ったがもう遅い。
マイクロフトは相変わらず口元に薄く笑みを乗せてはいたが明らかに雰囲気が凍りついたのがわかった。


「物わかりの悪い妹で嘆かわしい事だ。懲りていないとすれば、今後門限を設けなくてはいけないね、エレナ。」

「ちょ、ちょっと待ってよ、マイクロフト。何の権限があってあなたが私の門限を決めるの?!」


アビーを運んでもらっている恩も忘れて食って掛かった私に、マイクロフトは薄い微笑みを崩さなかった。

「私が決めるのが気に入らないと言うのなら、今すぐホームズ家に戻って両親に話して来よう。君の言う通り、ミスノールズに君の事を託されているのは私ではなくうちの両親だからね。」

「……ごめんなさい、私が悪かったわ。」


打って変わって素直に謝罪を口にすると、マイクロフトは満足したように頷いた。

アビーを主寝室のダブルベッドに寝かせて貰い、もう帰ると踵を返すマイクロフトを慌てて追いかけた。
このまま彼を帰してしまったら、次に会った時に今日の蟠りを引き摺ってしまう気がしたのだ。
少し口喧嘩みたいになってしまったが、たまにしか会えない彼とは特に、本当は喧嘩なんかしたくないのだ。


「マイクロフト。ありがとう、本当に助かった。」


マイクロフトは玄関の手前で立ち止まり、追いかけて来た私を振り返った。
その表情に人を馬鹿にするような雰囲気はもう無く、代わりに眉を下げて少し困ったような顔をしていた。
そして私の耳元に、大きくて男性にしてはしなやかな手を差し込み、顔の横に掛かる髪を梳いた。


「私をあまり心配させないでおくれ。もし君が襲われたり誘拐されたりしたら、流石の私でもロンドンから一瞬ではやって来れないからね。」


そのまま私の頬を撫でる手に自分の手を重ね、うん。と頷いてから、彼の言葉に引っかかるものを感じ顔を上げた。
彼が通っている大学は地名にもなっている。
ロンドンより少し北にあったはずだ。


「……ロンドン?」


眉を顰め訝しんだ顔で首を捻った私に、マイクロフトは「ああ。」と軽く頷いた。


「就職が正式に決まったのでね。電話でも良かったんだが両親に報告に来たんだよ。序でに君の顔でも見ようと思って来たら、」


そこで言葉を切り、首を竦める。
「ああ……。」と溜息にもならない声を漏らし、彼のお腹に抱きついた。


「本当に、ごめんなさい。せっかく来てくれたのに。」


そして、すぐに彼のお腹から離れる。


「ところで、就職って?大学院には行かないの?何処に就職するの?私にも聞かせて。」

「エレナ、悪いが私は今日は時間がなくてね。今度ゆっくり会いに来るからその時に話そう。」


こんな、立ち話ではなくね。
そう言ってマイクロフトが私にキスを落としたのは、奇しくもバーニーが顔をぶつけるようにキスをしたのと同じ場所だった。

確かに時計を見ればもうすぐ日付が変わりそうな時間を指していた。
これ以上引き留めるのは諦めて、背の高い彼の頬に背伸びをしてキスを返し、送り出す。
マイクロフトが玄関を出て行ってすぐに鍵を閉め、扉を背にして溜息を吐いた。

さて、とにかくシャワーを浴びて窮屈なワンピースとメイクを落とさなくては。
そして、明朝ホームズ夫妻に会った時に、ラム漬にされたレーズンよりよほどアルコール臭を放っているアビーについての言い訳を考えなくては。

本当に、見つけてくれたのがマイクロフトで良かった。
彼は面倒な事は極力避ける人だから。

これがミスターホームズやシャーロックだったら、と思うと今でも心臓が凍りつくわ。


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