14-5
「こんな失敗は絶対にしないわ!」
リベンジに燃えるアビーを往なしながら、廊下を歩く。
二日酔いで落ち込む彼女にピートの電話番号を渡すと急に復活し、それからずっとこの調子だ。
私はもう付き合わない、と伝えても隙をみては説得に掛かろうとする。
パブはしばらく懲り懲りだけど、あの日から私の学校生活は少しだけ変わった。
「Hi、エレナ。」
後ろから声が掛けられたかと思うと、すぐに横にバーニーが並び、私と同じスピードで歩きはじめる。
「Hi、アビー。」
「……Hi。」
愛想よくアビーにも声を掛けたバーニーに、アビーは少し不満そうに返した。
何が不満って?
ピートはアビーに対して、いつも夜遊びに誘うばかりで、学校内で他愛無い話をしたりすることがあまりないのだ。
彼女曰く、私とバーニーのように図書室で会ったら何となく一緒に勉強をしたり、CDを貸し借りしたり、そういう関係が羨ましいのだという。
そんなアビーのリアクションも意に返した様子も無く、バーニーはニコニコと私に笑い掛けた。
ふと、私の手首に未だにミサンガが巻かれてるのを目にし、彼の笑みはより深くなる。
「ねえ、今日放課後空いてない?良かったら一緒にThunderbolt Musicに行かないか?」
「行きたい!あー、でも、今日は先生とチェスクラブに顔を出す約束をしているの。」
「ああ、チェスクラブか。じゃあ仕方ないな。明日は?」
「いいわ。」
「決まりだ。じゃあ明日。ロッカーで待ってて。」
ポン、と背中を叩きそのまま私たちを通り越して走って行く後姿を笑って見つめる。
白いワイシャツの下にバンドのツアーTシャツが透けて見え、スラックスはウエストではなく骨盤辺りのほんの少し下がった位置でベルトが留められていた。
先生に怒られない程度の絶妙な制服の着崩し具合も、彼の入っているクラブで使うギターケースを背負っている所も、なんだか凄く格好良く見えて私は彼に憧れた。
男の子に憧れると言っても、いつも大人みたいに格好良かったジミーに対する気持ちとはやっぱり少し違っていて、たまには子供っぽかったりたまにダサイ所もある彼は私の夢ではなく凄く現実的な男の子だった。
*
それは、ピートの精いっぱいの妥協だった。
遊ぶなら夜、パブで会いたいと言い続けるピートの言葉を、アビーが答える前に私が却下し続けていた。
「遊ぶなら昼間!ショッピングとか、カフェとか、図書館とか!夕飯までには家に戻らなきゃだめ!」とピートに指を突き付けて宣言する度、ピートは煩わしそうに眉を顰め、バーニーはお腹を抱えて大笑いし、アビーは苦笑しながら「Yes、Ma'am」と言って肩を竦めた。
提案したのは、アビーだった。
「それならエレナの家で集まりましょうよ!エレナの家なら大人の目も無いし、皆でお菓子を食べてビデオを見るの。ねえ良いでしょ?エレナ!」
当然私は渋ったし、私をアビーの厄介な保護者のように考えているピートも良い顔をしなかったけど、提案したアビーはもとより何故かバーニーもノリノリで、結局その案は可決となった。
*
私が家に友人を招くというのをホームズ夫妻は思いのほか喜んだ。
アビーは度々泊まりに来ていたし夫妻とも面識があったけど、彼女以外を私の家に呼ぶのは初めてだったのだ。
ミスターホームズは前の日から私の家の庭の雑草を草刈り機で刈り込み、当日の朝にはホームズ家の庭の薔薇を花束にして持ってきてくれた。部屋に飾れということらしい。
ミセスホームズはたっぷりのクリームと春に作ったラズベリージャムを使ってお手製のヴィクトリアンケーキを作ってくれた。
勿論、お得意のニワトコシロップも素敵な瓶に小分けにしてくれた。
さらに、
「お友達が来るならテーブルをもっと素敵にした方が良いわ。あなたの家は少しシンプルすぎるから。」
そう言ってホームズ家のキャビネットから出してくれたのは、赤いギンガムチェックのテーブルクロスと、ドイリーのティーマットだった。
カギ編みのドイリーなんか特に、とっても素敵だったけど、アビーはともかくピートとバーニーがこんなに可愛いテーブルでアフタヌーンティーをしている所を想像し、思わず吹き出してしまった。
有難くお借りしたけど、結局使うのはやめた。
あー、だって、せっかく素敵なのに汚したら悪いでしょう?
結果、すごく楽しかった。
ベッドルームだけ立ち入り禁止にして、あとは皆自由に楽しんだ。
私が彼らの為にしたことは紅茶を淹れた事くらいで、それぞれが楽しい事を持ってきてくれたのだ。
テレビでは、アビーが持ってきたプリティウーマンやバックトゥーザフューチャーなどの映画のビデオを適当に流し、バーニーがロイ・オービソンのプリティーウーマンをギターでそれっぽく弾くのを聴いたりする。
「ジュリア・ロバーツって本当に可愛い!このエスカルゴのシーン最高!何度見ても笑っちゃう!」と騒ぐアビーに同意しながら、ジュリアがお行儀悪く食べるクロワッサンが何よりも美味しそうだと憧れた。
そして、ピートが不格好なブルーベリーパンケーキを大騒ぎしながら焼いて、ミセスホームズのヴィクトリアンケーキと一緒に食べた。
フットボールチームに入っててどんなにガタイが良くっても、ボロボロのヴィンテージデニムを履いていてもイギリスの男の子はティータイムが似合う。
薔薇を飾ったテーブルで、話している内容は皆が嫌いな化学の教授のモノマネだったり、バーニーが何故かウクレレを欲しがっている話だったり、隙をみてアビーを落とそうとするピートの口説き文句だったりしたのだけど。
夕方、ピートがアビーが帰るなら送って行くと下心丸見えの紳士っぷりを発揮し、それに釘を刺すのも忘れなかった。
「いい?ピート。アビーをすぐ家へ帰すのよ。寄り道しないで。アビー、30分後に電話するわ。」
「Yes、Ma'am」
アビーがおどけて私に敬礼し、ピートが心底煩わしそうに溜息を吐いた。
「全く、君はほんとに俺を信用してないね。」
「当たり前よ。でももしアビーのママが貴方を認めたら私も貴方を応援するわ、ピート。」
「言ったね?OK、任せろエレナ。俺は母親世代にウケが良いんだよ。」
「ハイハイ、精々頑張って。」
二人が門扉の所で振り返って私に手を振るのを見送ってリビングに戻ると、バーニーがまだソファーで寛いでいた。
ビデオはアビーが持って帰ってしまったし、もう私の家に面白いものなんか何もない。
彼が居るとキッチンの後片付けも出来ないし、少し困ったな、と思いながらバーニーの向かい側に腰を下ろした。
お互い探り合うような気まずい無言の時間が流れた後、バーニーがはっと思いついたように席を立った。
そして、壁際の棚に入れてあるCDのラインナップを興味深そうに眺め、一枚棚から抜き出した。
「何か、気になるのがあったらどうぞ借りて行って。」
「本当?嬉しいな。……でも良かったら今二人で聴きたいんだけど。」
「ああ、もちろん……」
彼が手に取ったCDを受け取ろうと席を立って彼に近づくと私の手がCDに触れる直前で彼は手を引き、ミサンガの上から私の手首を撫でた。
驚いて見上げる私と、困ったような切ないような顔で見下ろすバーニーの間に沈黙が流れる。
ドキドキと徐々に高鳴ってくる心臓の音が彼に伝わってしまうんじゃないかと冷や冷やしていると、その沈黙を破ったのは意外な人物だった。
「ン゛ン゛ッ!」とわざとらしい咳払いが無音の部屋に響き、私達はびくりと肩を弾ませた。
音の発信源を振り向き、私は2度目の驚きで思わず固まった。
「マイクロフト……。」
彼は帰省しても滅多に私の家には来ないのだ。
というか私が覚えている限り、先日アビーを運んでもらった日を含めて、片手にも満たない位の回数しか来てないと思う。
「知り合い?」
小さく私に耳打ちするようにバーニーが声を掛ける。
マイクロフトがその様子を見て大きく眉を上げた。
「エレナ、久しぶり兄が会いに来たというのにハグもなしかい。さあ、いつものようにおいで。」
「……いつものように?」
大きく腕を広げたマイクロフトの彼らしくない動作と言葉に眉を顰める。
バーニーが、慌てて私から一歩遠のいた。
「あー、僕はもう帰ります。えっと……お兄さん。」
「え?バーニー?」
手にしていたCDを私に押し付け、ソファーのギターを拾い上げてケースに入れるバーニーをマイクロフトが口元に薄らと笑みを乗せながら顎を上げて見下ろしていた。
「やあ、どうも彼に気を遣わせてしまったようだ。しかし、レディの家にそう長居するものではないからね。」
優雅に立つマイクロフトの横をバーニーが委縮した様子で通り過ぎ、玄関に向かう。
流石にマイクロフトは玄関まで付いてこなかったので、部屋の中に聞こえないように小声でバーニーに謝った。
「ごめんね、バーニー。ゆっくりして欲しかったんだけど……。」
「……良いんだよ。またね、エレナ。また学校で。」
「うん、また。」
帰り際には笑顔を見せた彼に手を振り、見送った。
小さく溜息を吐いて、リビングへ戻る。
この溜息は3割は残念な気持ち、7割はホッとした気持ちだ。
この頃の私の恋愛経験なんて限りなくゼロに近く、ジミーに対しては子供がロマンス小説に憧れる程度の物だったし、シャーロックに対する感情は家族愛のような物に違いないと自分に言い聞かせ、目を逸らし続けていたのだから。
変わらず同じ場所に立ってこちらの様子を窺っていたマイクロフトのお腹に抱きついた。
彼もようやくわざとらしい笑みではなく、本当の微笑みを見せて私の背中を撫でた。
この彼の登場が偶然ではないと知ったのは、それからずいぶん経ってからだった。
もっと言えば、先日パブからの帰り偶然出くわしたように見えた彼も、もちろん偶然なんかじゃなかったのだ。
彼が手を回した人物が街中に紛れていて、私の動向をそれとなく監視している。
どうやらリビングにもいつの間にか私を監視するアイテムが仕込まれていたのだ。
そして、彼の思う“エレナの人生”から私が逸脱しそうになると進路を戻そうとしてくるのだ。
でも、この時の私にはまさかそんな事知る由もない。
その後もバーニーが遊びに来て何となく良い雰囲気になる度に、ホームズ夫妻が現れたり、急に小包が届いたり、インターフォンが押され見知らぬ人に道を尋ねられたりした。
マイクロフトもそんな調子で私の家に現れることが多くなり、私は嬉しい反面なんだか不思議だった。
偶然って重なるものだ、と呑気に思っていたこの頃の私の頬を叩いて「しっかりして!」と揺さぶりたい。
ああ、そうだ。
一応、マイクロフトの名誉の為に言っておかなくては。
私としてはどんな勘違いをされても彼の自業自得としか思えないけれど、それは彼にとって本意ではないそうだから。
決して彼はロリコンの気があって、私をストーカーしていたのではない。……らしい。
彼曰く、本当に純粋に私の事を思って『見守って』いたそうだ。
実際にストーカーで逮捕された人も警察に同じ事を言うんじゃないかしら?
もちろん今も、私はこの事について怒っているのよ。お分かりでしょうけど。
さて、この時が14歳。
私が事実に気付くのはまだまだ随分先の話だ。
[*prev] [next#]
|